内村光良さんはどのような学生時代を過ごしていたのでしょうか。
学生の頃イケメンでモテていたという噂もありました。
今回は、内村光良さんの学歴や経歴、年収などを調べてみました。
内村光良の学歴
内村光良さんの通っていた学校について調べてみました。
内村光良の出身小学校
内村光良さんは、免田町立免田小学校(現在はあさぎり町立免田小学校)に入学します。
内村光良さんは後に映画監督を志すようになるのですが、そのきっかけは、小学生の頃お父さんが買ってきた8ミリカメラや映写機を見て映画に興味をもったことからでした。
お父さんから映画のはなしを聞いている内に、映画が好きになっていったのでしょうね。
内村光良さんは小学4年生の時に引っ越し、人吉市立西瀬小学校に転校します。
内村光良さんは小学校で成績がとても良く、給食も大好きで、「特に好きだったのは週に1、2回出てきたソフト麺」と話されていました。
また、幼少期から肌が白かった内村光良さんは、担任の先生から「君は色が白いから歌舞伎役者になるといいよ」と言われたそうです。
内村光良の出身中学
内村光良さんが通っていた中学校は、人吉市立第二中学校です。
部活は野球部で副キャプテンを任され、内村光良さんは部活が始まる前に映画『ロッキー』の気分でグレーのセットアップのスウェットを着用し、レモンを丸かじりしてからジョギングをしていたそうですよ。
また、中学校でも成績は優秀で、中学3年生では生徒会長を務めていました。
そして内村光良さんは中学時代からとてもモテていたそうです。
内村光良さんは、「中学1年生の時に観たチャップリンの『街の灯』という映画で、改めて映画の素晴らしさに魅了されたことを鮮明に覚えています」「『ロッキー』が大好きで中学1、2年生の頃から映画監督になりたいと思っていました」と話されています。
内村光良の出身高校
内村光良さんが通っていた高校は、熊本県立人吉高等学校です。
人吉高校は1916年に開校された県立高校で、進学実績が高く、また部活ではカヌー部や山岳部が強豪で知られています。
内村光良さんは高校では部活に入部せず、映画同好会に在籍していました。
小・中学校の成績は優秀でしたが、高校に入学してからは映画制作にのめり込みすぎて学力が低下したとご本人が明かされています。
また内村光良さんは、バイト代で購入した映画機材で自主映画を制作し、文化祭で毎年上映していたことを、高校の同級生が番組で話されていましたよ。
文化祭で上映した映画3本とバイト代で購入した映画機材は今でも大切にしていて、内村光良さんが上京するときに持ってきたそうです。
内村光良の出身大学
内村光良さんが通っていた学校は、横浜放送映画専門学校の演劇科です。
1975年に開校された横浜放送映画専門学校は、1985年に日本映画学校に、そして2011年には日本映画大学に変わっています。
それに伴い2012年には、内村光良さんが在籍していた演劇科(俳優科)が廃止されています。
日本映画大学は、映画関係者や脚本家、俳優、お笑い芸人を輩出していますが、卒業生には映画監督の三池崇史さん、俳優の長谷川初範さん、北村有起哉さん、入江雅人さん、お笑い芸人ではウッチャンナンチャン、出川哲朗さん、バカリズムさん、狩野英孝さんなど、業界で活躍している名だたる方々がいらっしゃいます。
内村光良さんは映画監督を目指して入学されますが、演劇科では2ヶ月間お笑いの授業があり、講師の内海桂子・好江さんに「クラスの中で誰でもいいからコンビを組んで」と言われ、そこで組んだのが南原清隆さんでした。
南原清隆さんとのネタの評判がよかったので、内海好江さんの薦めで1984年に南原清隆さんとコンビを組み、オーディション番組「お笑いスター誕生!!」に出場して注目を集め、それがきっかけでデビューします。
ちなみに、「ちょうなんず」というコンビ名で「お笑いスター誕生!!」に出場し、直後に「ウッチャンナンチャン」に改名したそうですよ。
クラスメイトには出川哲朗さんもいて、内村光良さんが1番仲が良かったのは出川哲朗さんでした。
出川哲朗さんは内村光良さんのことを「チェン」と呼んでいますが、それは「ジャッキー・チェンに似ているから」とつけた愛称で、それを聞いた出川哲朗さんのお母さんは、内村光良さんのことを中国人だと思っていたそうですよ。
内村光良の若い頃がイケメン
「内村光良さんは若い頃イケメンだった」という噂を耳にし、調べてみると、ネットでは多くの声があがっていました。
確かにイケメンですね!
イケメンは学生時代からだったようで、中学生の時はとてもモテていたそうですし、高校2年生の時には春休みに彼女と映画『伊豆の踊り子』を観たあとにファーストキスをしたこともご本人が話されていました。
イケメンで優しかったらモテるのは当然ですよね。
ちなみに、内村光良さんは若い頃だけではなく、今もイケメンだという声も多かったですよ。
2児のお父さんでもある内村光良さんですが、お子さんからもきっとモテているのでしょうね!
内村光良のプロフィールや経歴
内村光良さんは、横浜放送映画専門学院で南原清隆さんと出会い、お笑いの授業でコンビを組んだのがきっかけで1984年に「ウッチャンナンチャン」を結成します。
講師をしていた内海桂子・好江さんの薦めでマセキ芸能社に入所し、「お笑いスター誕生!!」に出場して注目を集めました。
1988年にはレギュラー番組の『夢で逢えたら』が始まり、その後も『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』など多くの冠番組が放送されました。
1998年には『紅白歌合戦』にポケットビスケッツとして出場します。
2000年代からは、コンビとしてではなく内村光良さんおひとりでの活動が中心となり、『世界の果てまでイッテQ!』『スクール革命!』『内村プロデュース』『内村さまぁ〜ず』など、10年以上続く番組に出演しています。
2006年には『ピーナッツ』で、中学生の時から目指していた映画監督デビューを果たしました。
また、人吉市民栄誉賞を2019年に受賞されています。
現在も数多くのバラエティー番組に出演していますが、その他にもドラマ出演やCM、映画、舞台、吹き替え、小説の執筆など、多才に活躍されています。
内村光良の所属事務所
内村光良さんは、横浜放送映画専門学校の講師を務めていた内海桂子・好江さんのすすめで、1985年にマセキ芸能社に入所し、「お笑いスター誕生!!」に出場しています。
以来38年間、マセキ芸能社でトップを走り続けています。
マセキ芸能社は日本映画学校(横浜放送映画専門学校)の卒業生が多く在籍しており、出川哲朗さん、バカリズムさん、狩野英孝さん、平子祐希さん、ニッチェのお2人も同校を卒業しています。
内村光良の年収
内村光良さんの年収はどのくらいあるのでしょうか。
テレビに出ていない日はない位たくさんの番組・CM出演、舞台やライブ、映画など、多才に活躍されていますし、それに加えて小説の印税などもありますので、相当な額なのではないでしょうか。
内村光良さんの年収について、2019年に東スポが「年収手取り3億円超え」という記事を出していました。
手取3億円ということは、年収5~6億円くらいでしょうか。
あれだけ多くのレギュラー番組に加えスペシャル番組にも出演していますから、東スポの報道もあながち間違っていないかもしれませんね。
まとめ
今回は、内村光良さんの学歴や経歴、年収なども調べてみました。
内村光良さんは、お笑い芸人の才能を38年間遺憾なく発揮して、更に中学生の頃からの夢であった映画監督としても活躍されています。
これからの内村光良さんの活動や作品も楽しみですね!