『法医学教室の事件ファイル』シリーズや『京都地検の女』シリーズなどに出演している女優・名取裕子さんは、どんな家庭で生まれ育ったのでしょうか。
両親はどんな人で、実家はどこにあるのでしょうか。
今回は、名取裕子さんの実家や家族について調べてみました。
名取裕子の実家は座間?
今日の『徹子の部屋』ゲストの名取裕子さんの着物コーディネートが素晴らしい。
— 🐉丸山 麿🐉(maro maruyama) (@maro_fashion358) October 12, 2020
また、黑真珠の指が素晴らしい。
欲しいわ(笑)#徹子の部屋#名取裕子 pic.twitter.com/3lJu2tzbSR
名取裕子さんは、神奈川県横須賀市内で誕生しました。
その後座間市に引っ越し、市内の小学校と中学校を卒業しています。
実家の詳しい場所は公表されていませんが、引っ越し後はずっと座間市内にあったようですね。
名取裕子の実家は大家族だった?
名取裕子さんは、3世代13人家族で生活していました。
名取裕子さん自身の家族は父親・母親・お兄さんですが、家には祖父母、叔父、叔母らも住んでいたそうですよ。
名取裕子の生い立ち
名取裕子さん、昔は美人でしたね。 pic.twitter.com/TM36gJrUYh
— 我が青春のアイドル (@amakawa30) May 20, 2020
1957年8月18日に誕生した名取裕子さんは、お兄さんを真似た刈り上げスタイルで、山や川で泥んこになってわんぱくし放題の日々を送る女の子でした。
近所では男の子だと思われていたため、中学になって制服のスカート姿を見た時は驚かれたそうです。
そんな名取裕子さんは大学生の時に三浦友和さんの相手役を募集する『カネボウ・サラダガールコンテスト』に人数合わせで応募、見事準優勝し芸能界入りしました。
名取裕子の父親
名取裕子さんのお父さんは、名取勲さんと言います。
職業は、汽車の車両製造の会社に勤務する会社員でした。
名取裕子さんにとっては同級生の様なお父さんだったそうです。
そんなお父さんは、1996年に亡くなりました。
名取裕子の母親
名取裕子さんのお母さんは、名取只子さんと言います。
とても料理上手なお母さんは、名取裕子さんが14歳の時に直腸がんが発覚し亡くなりました。
病院へ行ったときにはすでに手の施しようのない状態だったそうです。
お母さんは厳しい人ではなかったものの、名取裕子さんに「挨拶をすること」、「言葉で気持ちを伝えること」を教えていました。
名取裕子の兄弟や姉妹
名取裕子さんには、お兄さんがいます。
名前は名取勉さんと言い、名取裕子さんの2歳年上です。
一般人のため職業などの情報はありませんでした。
名取裕子と継母のエピソード
女優・名取裕子「継母の人生観もわかるようになった」 “反発”から変わっていった家族への心境とは?「サワコの朝」 https://t.co/nEVRGIvu8v #名取裕子 #サワコの朝 #阿川佐和子 pic.twitter.com/hqHoQyQhbP
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14歳の時にお母さんを亡くした名取裕子さんですが、1年後にお父さんが再婚し継母が出来ました。
名取裕子さんと継母の関係は当初良好ではなかったものの、名取裕子さんが家を出てから継母なりに面倒を見てくれていたことに気づき、少しずつ雪解けするようになりました。
そしてお父さんが亡くなってから継母はアルツハイマー型認知症を発症、名取裕子さんは20年近く介護を続け、継母は2015年に亡くなっています。
あなたたちの母親になるつもりはない
名取裕子さんの継母は、48歳の時にお父さんと結婚しました。
継母は初婚で、名取裕子さんとお兄さんには「私はお嫁さんになったのであって、あなたたちの母親になるつもりはない」と言ったそうです。
お弁当は白米の上にコロッケ
名取裕子さんの実母は料理が上手い人でしたが、継母は料理が全くできない人でした。
つゆが少ないうどんや、たくあんが入ったすき焼きなどを出されたことがあるそうです。
そんな継母はお弁当のおかずもお父さんには手の込んだものを作っていましたが、名取裕子さんとお兄さんには白米の上にコロッケを載せて新聞紙に包んで渡していました。
まとめ
中学生の時に実母を亡くし、継母との関係がギクシャクしていた時期もある名取裕子さんですが、長い時を経て和解し、お父さんのことも継母のことも看取りました。
これからも名取裕子さんらしく、幸せな日々を過ごしてほしいですね。