元大相撲力士の東関親方は、何がきっかけで相撲を始めたのでしょうか。
学生時代はどこの学校に通い、家族はどんな人なのでしょうか。
今回は、東関親方の経歴や出身学校、家族、ネット上の噂について調べてみました。
東関親方(高見盛)が知的障害の噂は本当?
20210616
— じゅん📷@スポーツ写真 (@junphotographe) June 16, 2021
【今日の1枚】
大相撲、元高見盛の
東関親方。
取組前には、体を
たたいて気合を入れる
パフォーマンスをしていた。
十両優勝1回
殊勲賞1回
敢闘賞2回
技能賞2回
愛称は角界のロボコップ。
現役の頃はとても人気があり
テレビCMにも多数出演
していた。 pic.twitter.com/C7K8Lnbl9F
東関親方について調べてみると、ネット上で「知的障害ではないか?」という噂がありました。
現役時代にぎこちない仕草から角界のロボコップと呼ばれていたこと、さらに活舌の悪さや視力が低いため目の動きがおかしいという声から障害の噂が浮上したようです。
しかし東関親方自身が障害を持っていると公表したことはありません。
気の弱い性格がぎこちなく見えてしまうだけのようです。
東関親方(高見盛)の学歴
東関親方が通っていた学校について調べてみました。
東関親方(高見盛)の出身小学校
東関親方は、板柳町立板柳北小学校出身です。
4年生の時に相撲を始め、地元の大会で3位に入りました。
東関親方(高見盛)の出身中学
小学校卒業後は、板柳町立板柳中学校に進学しました。
中学でも相撲を続け、3年生の時には青森県大会で優勝しています。
東関親方(高見盛)の出身高校
中学校卒業後は、青森県立弘前実業高等学校に進学しました。
偏差値は、47~55です。
部屋入りの誘いもあったものの、「高校だけは卒業しておきたかった」という思いから進学を選びました。
高校では先輩たちに負けてかなりへこんだこともあったそうです。
東関親方(高見盛)の出身大学
高校卒業後は、日本大学に進学しました。
東関親方は経済学部に在籍、偏差値は47.5〜50です。
大学では4年生の時に全日本選手権で優勝し、アマチュア横綱になりました。
東関親方(高見盛)の実家
東関親方は、青森県北津軽郡板柳町出身です。
実家は祖父の代から続くリンゴ農家です。
東関親方も幼い頃は収穫したリンゴを運んだり、木箱に入ったリンゴをトラックに積んだりなどの力仕事全般を手伝っていたそうですよ。
東関親方(高見盛)の生い立ち
高見盛の加藤家勢揃いで記念撮影。左から長兄•元彦さん、父•元昭さん、高見盛本人、母•寿子さん、次兄•友彦さん。長兄•元彦さんが、高見盛に「笑って!」と左手で引っ張って促しています(^^) pic.twitter.com/w8qy6iJcUl
— スモートフォン (@azechiazechi) October 6, 2013
1976年5月12日に誕生した東関親方は、元々大人しい子供でした。
いじめられっ子だった東関親方を見かねた担任の先生が「相撲部に入らなければ給食をおかわりさせないぞ!」と叱責したことがきっかけで、東関親方は相撲を始めることになりました。
元々運動神経が鈍く、走ってはビリばかり、キャッチボールではボールをそらすタイプだったこともあり、裸にまわし姿で相撲をとるのも最初は恥ずかしかったそうです。
しかし毎日稽古を続け、地元の大会で3位になったことで勝つことの喜びを知り、さらに相撲に打ち込むようになりました。
東関親方(高見盛)の父親
東関親方のお父さんは、加藤元昭さんと言います。
一般人のため経歴などは明かされていません。
東関親方(高見盛)の母親
東関親方のお母さんは、加藤寿子さんと言います。
お母さんは働き者とのことですが、お父さんと同じく一般人のため情報はありませんでした。
東関親方(高見盛)の兄弟や姉妹
東関親方には、お兄さんが2人います。
1番上のお兄さんは元彦さん、2番目のお兄さんは友彦さんと言います。
二人とも一般人で結婚していること以外はわかりませんでした。
東関親方(高見盛)のプロフィールや経歴
「ひとり」インタビュー1人目の大相撲・元高見盛の振分精彦(ふりわけせいけん)親方(41)は「結婚はしたい」と。大きくて強そうな元力士も、ひとりだといろいろ考えるんだと知りました。初の相撲部屋取材で緊張しましたが、親切に応対してくださりありがとうございました。(7日夕刊) pic.twitter.com/1RpdM1tSOY
— 読売新聞 シングルスタイル (@y_singlestyle) April 7, 2018
名前:東関親方 (高見盛精彦)
生年月日:1976年5月12日
出身地:青森県
血液型:O型
身長:187cm
1999年3月場所の幕下付出で初土俵を踏んだ東関親方は、2000年7月場所で 新入幕、10勝5敗と二桁勝利を挙げて敢闘賞を受賞しました。
その後2000年11月場所と2001年1月場所を全休し幕下東筆頭まで番付を落としたものの、2001年11月場所で十両に復帰、2002年1月場所で12勝3敗の好成績を挙げ、十両優勝を果たしています。
2002年9月場所に小結に昇進すると、日本相撲協会のアンケートで好きな力士1位に選ばれるなど人気を集め、2013年1月場所に5勝10敗と幕下陥落が決定的になり引退しました。
引退後は2018年に審判部に配属され審判委員を務め、社会貢献部の一員として本場所前に国技館周辺の清掃活動にも参加しています。
2020年には14代東関を襲名して東関部屋の師匠になり、2021年4月1日に東関部屋が閉鎖したことから八角部屋の部屋付き年寄になりました。
東関親方(高見盛)の本名
東関親方の本名は、「加藤 精彦 (かとう せいけん)」さんと言います。
現役時代の「高見盛」は入門時の師匠の12代東関親方(元関脇・高見山)が命名したもので、「部屋が盛んになるように」という願いと、清酒の日本盛にちなんでつけられました。
東関親方(高見盛)の年収
東関親方の年収は公表されていません。
メディアにも出演している方なので、数千万円以上になるのではないかと思われます。
まとめ
担任の先生の言葉がきっかけで相撲を始めた東関親方は、多くの方に愛された力士でした。
これからも親方という立場で相撲界を盛り上げていけるよう、頑張ってほしいですね。