俳優やモデルとして活動している宮沢氷魚さんは、両親も芸能人の2世です。
お父さんやお母さんはどんな活動をしている方なのでしょうか。
今回は、宮沢氷魚さんの家族や実家について調べてみました。
宮沢氷魚はクオーターで目の色は?
【MEMBERSHIP】
— 宮沢氷魚オフィシャル (@MiyazawaHio) September 11, 2023
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My Favorite #13
~Print-2023~ 彫り作業
が公開されました✨
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お馴染みの氷魚マーク(魚のトレードマーク)ができた経緯や、版画を始めたきっかけについてもお話しています。
ぜひご覧ください!
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宮沢氷魚さんは、お父さんが日本人、お母さんが日本とアメリカのハーフで、クォーターになります。
ネット上では宮沢氷魚さんの瞳の色が少し薄いことから「カラコンをしているのではないか?」という声もありますが、宮沢氷魚さんは茶色の髪の毛も「地毛」と明かしていることから、薄い茶色の瞳も生まれ持ったものだと思われます。
宮沢氷魚の父親は宮沢和史
宮沢の書籍「沖縄のことを聞かせてください」が沖縄県内の書店員が一番読んでほしい本を決める「第9回沖縄書店大賞」(主催・同実行委員会)の沖縄部門優秀賞に選ばれました。 pic.twitter.com/p773BNKTLq
— 宮沢和史 information (@miyazawa_info) April 28, 2023
宮沢氷魚さんのお父さんは、元「THE BOOM」のボーカル・宮沢和史さんです。
宮沢和史さんは、1986年に「THE BOOM」を結成し1989年のシングル「君はTVっ子」、アルバム『A PEACETIME BOOM』でメジャーデビューしました。
「星のラブレター」「島唄」「風になりたい」などがヒットしたものの、バンドは2014年に解散、宮沢和史さんはソロのシンガーソングライターとして楽曲発表や楽曲提供、著書を行っています。
宮沢氷魚さんは事務所の面接を終えた時に宮沢和史さんに芸能界入りを報告したそうで、特に反対されなかったものの「厳しい世界だから頑張れよ。舐めたらヤバイよ」と言われたと明かしていました。
宮沢氷魚の母親はハーフ
光岡ディオンね。覚えた。貴理子さんに「明るくしてるのが痛々しい」って言った人。 #グッディ pic.twitter.com/jw0nue5vmA
— sorriso (@sorriso013) May 20, 2019
宮沢氷魚さんのお母さんは、タレントの光岡ディオンさんです。
光岡ディオンさんは日本とアメリカのハーフで、音楽番組やCNNニュース・日本語版のナビゲート役等を中心として活動、2007年には『Weekend Japanology』のキャスターに就任しました。
宮沢氷魚さんが事務所に履歴書を送る時、「いいんじゃない。頑張りなよ」と言ってくれたのが光岡ディオンさんだったそうです。
宮沢氷魚の実家
宮沢氷魚さんは、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンフランシスコで誕生しました。
ただ幼い頃に東京に転居しており、現在も実家は東京にあります。
詳しい場所は公開されていないためわかりませんでした。
宮沢氷魚の生い立ち
1994年4月24日に誕生した宮沢氷魚さんは、外で友達や家族と遊ぶこともあったものの、基本的には恥ずかしがり屋で人見知り、静かな感じの子供だったそうです。
小学生からは野球に没頭し、主に内野手、一時期はピッチャーもしていました。
両親が芸能人ということで幼い頃から芸能界は身近だったものの、両親は家にいないことが多かったため宮沢氷魚さんは「絶対に芸能の仕事をしたくない」と思っていました。
しかし成長していくにつれて人前に出る仕事に魅力を感じるようになり、最初は高校卒業後に芸能界入りを考えていたものの、海外に留学したいという気持ちからアメリカの大学に進学、そして大学生活を送る中で「日本で仕事がしたい」という思いが強くなり自らの意思で事務所に履歴書を送りました。
宮沢氷魚の兄弟や姉妹
宮沢氷魚さん似は、弟さんと妹さんがいます。
2歳年下の弟さんは宮沢海実(かいみ) さんと言い、アメリカで弁護士をしています。
4歳年下の妹さんは宮沢琉歌(るか)さんと言い、現在何をしているのかは公表されていません。
まとめ
お父さんがシンガーソングライター、お母さんがタレントという環境で育った宮沢氷魚さんは、両親と同じ芸能界に入りました。
家族のことは公表しているものの、それを売りにしていないのは、それぞれが自分の力で頑張りたいという思いがあるからなのだと思います。
これからも宮沢家の活躍を応援していきたいですね。
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