「GLAY」のギタリストとして長年第一線で活躍し続けているHISASHIさん。
独特のファッションや世界観でファンを魅了してきましたが、出身高校や大学、そして実家やご家族については意外と知られていないかもしれませんね。
「どんな環境で育ち、どんな学生時代を過ごしていたのか?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
また、愛車や年収といったプライベートな一面にも注目が集まっています。
この記事では、HISASHIさんの学歴や実家の場所、ご両親や兄弟の情報をはじめ、年収や愛車といった気になるトピックまで、できる限り丁寧にまとめました。
読み進めるほどにHISASHIさんの魅力がより深く感じられるはずです。
HISASHI(GLAY)の学歴
GLAYのギタリストとして知られるHISASHIさん。
個性的なビジュアルや演奏スタイルで多くのファンを魅了していますが、学生時代にはどのような環境で過ごしてきたのでしょうか。
HISASHIさんの出身小学校から高校時代のエピソード、そしてその後の進路について詳しくご紹介します。
HISASHI(GLAY)の出身小学校
HISASHIさんは、むつ市立第二田名部小学校に進学しました。
そして、4年生の時に函館市立日吉が丘小学校に転校しました。
転校直後はなかなか友人ができず、学校になじめない時期もあったそうです。
そんな中、心の支えとなっていたのが兄の存在で、一緒に遊ぶことが多かったといいます。
この経験が、のちのHISASHIさんの独特な感性や創造性につながっているのかもしれませんね。
HISASHI(GLAY)の出身中学
小学校卒業後は、函館市立北中学校に進学しました。
中学2年生のとき、通信販売で初めてエレキギターを購入。
さらに、音楽雑誌を借りて読み漁るなど、知識を深めていったそうです。
また、地元のレコード店には置いていない音源を手に入れるため、札幌に住む兄にわざわざ買いに行ってもらったというエピソードもあるとのこと(── 音楽ナタリー|GLAY特集インタビューより)。
こうした熱意が、のちのプロミュージシャンとしての土台を築いていったのでしょう。
HISASHI(GLAY)の出身高校
中学校卒業後は、北海道函館稜北高等学校に進学しました。
こちらの学校は2021年3月31日に閉校しています。
高校時代は音楽活動も本格化し、「蟻(アリ)」というパンクバンドを結成。
残念ながらこのバンドは1年ほどで解散しましたが、2年生のときに運命的な出会いが訪れます。
それが、のちにGLAYを共に結成するTAKUROさんとの出会いです。
同じ高校の同級生として意気投合し、HISASHIさんはGLAYに加入することになります。
この出会いが、のちに日本の音楽シーンに大きな影響を与えることになったのです。
HISASHI(GLAY)の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
代わりに、アルバイトをしながら音楽活動を継続していく道を選びました。
まだデビュー前の時期には、地元のライブハウスでの演奏や、自主制作での音源作りに励んでいたそうです。
このように、学歴としては大学進学の経歴はありませんが、自らの意思で音楽に人生を賭けた選択は、結果的に大成功を収めたと言えるでしょう。
若くして夢に挑戦する姿勢は、多くの人に勇気を与えてくれますね。
HISASHI(GLAY)のプロフィールや経歴
なにわ男子長尾謙杜が色鉛筆査定に初挑戦、HISASHI(GLAY)はお題「カラオケ」の俳句査定に挑む!『プレバト!!』 https://t.co/mt4ef043V8 #長尾謙杜 #HISASHI #プレバト pic.twitter.com/Oc5JBU6krR
— music.jp (@musicjp_mti) February 21, 2024
名前:HISASHI
生年月日:1972年2月2日
出身地:青森県
血液型:O型
身長:168cm
所属事務所:ポニーキャニオン (プライベートレーベルはLSG)
GLAYのギタリストとして長年愛され続けているHISASHIさん。
鋭くも繊細なギターの音色、独自の世界観、そして何より“音楽が本当に好きなんだな”と感じさせてくれる姿勢に、惹かれている方も多いのではないでしょうか。
1994年、GLAYとしてメジャーデビューを果たしたHISASHIさん。
当時はまだ、札幌から上京したばかりの若者たちが夢を抱いて活動を始めたばかりの頃でした。
それが今や、日本を代表するロックバンドとして多くの人の記憶と心に残る存在になったのですから、改めてその歩みのすごさを感じますよね。
HISASHIさんの魅力は、GLAYでの活動にとどまりません。
映画音楽の制作に携わった際には、「AUDIO 2 AUDIO」というユニット名義で参加。
バンドサウンドとは違ったアプローチで、作品の世界観を音で表現しました。
表には出ないところでも、丁寧に音楽と向き合っている姿が印象的です。
また、音楽制作のスタイルにもHISASHIさんらしさがあります。
スタジオに集まらず、音源をデータでやり取りしながら曲を完成させるという「NORWAY」のようなプロジェクトにも参加。
新しいやり方を恐れず、柔軟に取り入れていく姿勢がとても素敵ですよね。
さらに2012年には、EXILEのTAKAHIROさんやLUNA SEAの真矢さんらとともに「ACE OF SPADES」を結成。
リーダーとしてバンドを率い、力強いロックサウンドを届けました。
GLAYとはひと味違う雰囲気の中でも、しっかりとHISASHIさんの個性が光っています。
そして、少し意外かもしれませんが、HISASHIさんは執筆活動も行ってきました。
1997年には、音楽雑誌に連載していたコラムをまとめた書籍『ありがとう』を出版。
そこには、アーティストとしての表情だけでなく、一人の人間としての想いや迷い、日常の何気ない気づきが綴られていて、読むたびに胸が温かくなるような内容となっています。
一貫して感じるのは、HISASHIさんが「音楽」と「自分らしさ」に対してとても誠実であること。
派手に見える舞台の裏側で、地道に、まっすぐに音と向き合ってきたその姿勢が、たくさんの人の心を動かしてきたのだと思います。
今後も、きっと新しいことに挑戦しながら、また誰かの心に響く音楽を届けてくれるはず。
これからのHISASHIさんの歩みにも、あたたかいまなざしを向けて見守っていきたいですね。
HISASHI(GLAY)の愛車
【BS日テレ・おぎやはぎの愛車遍歴】
— MUSIC_GLAY (@MUSIC_GLAY) August 19, 2021
再びHISASHIが出演!
毎週土曜 21:00~21:54放送
・放送局:BS日テレ
・放送エピソード
8月21日(土)「その後の愛車遍歴」
8月28日(土)「乗りたい車に乗せまSHOW」
番組サイト https://t.co/elFUtSa2ss
詳細 ⇒ https://t.co/HIA0mm9R6m #GLAY #HISASHI pic.twitter.com/1cas0DwnH6
ロックスターとしての華やかなステージに立ち続けるHISASHIさんですが、私生活ではどんな車に乗っているのか気になる方も多いのではないでしょうか。
HISASHIさんは、音楽に対して強いこだわりを持つ一方で、クルマへの愛着も深いことで知られており、これまでに数々の個性的な愛車を所有してきました。
現在、HISASHIさんの愛車として知られているのは「サバンナRX-7 FC3S」です。
この車は1980年代後半から90年代にかけて人気を博した、マツダ製のスポーツカー。
ロータリーエンジン特有の加速感と軽快な走りで、今なお根強いファンを持つ名車です。
スポーツカー好きの間でも評価が高く、HISASHIさんのセンスの良さがうかがえます。
また、免許を取得して初めて乗った車は「ダイハツ・シャレード」だったとのこと。
コンパクトで実用的な車ですが、当時はそれが自分だけの空間であり、移動手段以上の特別な存在だったのかもしれませんね。
音楽活動を始めたばかりの時期だったこともあり、思い出深い一台だったのではないでしょうか。
その後は、自動車好きの間でも高い人気を誇る「ランチア・デルタHFインテグラーレ」や、ラグジュアリーとスポーツ性を兼ね備えた「フェラーリ・カリフォルニア」、さらに高級スポーツカーの代表格とも言える「ポルシェ」なども所有していたといわれています。
どの車も、ただ高価なだけではなく、デザインや走り、ストーリー性に惹かれるようなモデルばかりです。
これらの車遍歴からも感じられるのは、HISASHIさんの「好きなものを大切にする」スタンス。
どの選択にもその時々のこだわりや感性が反映されており、音楽活動と同じように「自分らしさ」を大切にしていることが伝わってきます。
特にスポーツカーやクラシックモデルへの愛着は、スピードや外見だけではなく、その車が持つ“物語”にも惹かれているように感じますね。
愛車に関する情報は、時代によって変化する可能性もありますが、これまでの車遍歴を見る限り、HISASHIさんは単なる移動手段としてではなく、カーライフそのものを楽しんでいることが伝わってきます。
車というツールを通じてライフスタイルや美学を表現する姿勢は、まさにアーティストそのもの。
クルマへのこだわりも、HISASHIさんらしい魅力のひとつです。
HISASHI(GLAY)の年収
HISASHIさんの年収は公式には明かされていません。
しかしながら、GLAYという日本を代表するビッグバンドの一員であり、個人でも多彩な活動を展開していることを考えると、その収入はかなりの水準に達している可能性が高いといえるでしょう。
GLAYは1994年のメジャーデビュー以降、シングル・アルバムともにミリオンヒットを連発し、日本の音楽シーンに大きな影響を与えてきました。
特に1990年代後半から2000年代前半にかけては、ドームツアーを成功させるなど、まさに国民的バンドとして圧倒的な人気を誇っていました。
その頃の印税やグッズ収入、ライブ収益などを考慮すれば、メンバーそれぞれが相当な収益を得ていたと考えられます。
また、GLAYは現在でも精力的に活動を続けており、新曲のリリースやライブツアー、メディア出演なども継続中です。
CDや配信の売上、グッズ販売、ファンクラブ会費、ライブでの物販収益など、音楽活動による複数の収入源が存在します。
こうした収益のうち、HISASHIさんに分配される報酬が年収の大きな柱となっているはずです。
さらに、HISASHIさんはGLAY以外にも複数のユニットやプロジェクトに参加しており、それぞれの活動からも収入を得ていると考えられます。
たとえば、音楽ユニット「AUDIO 2 AUDIO」での劇伴制作や、「ACE OF SPADES」の活動、そして執筆やコラム掲載なども行ってきました。
メディア出演や雑誌の取材対応、イベント参加なども含めれば、年間を通じて幅広い形での収入が見込まれます。
このような活動実績や収益構造から推察すると、HISASHIさんの年収は少なくとも数千万円規模、場合によっては1億円を超える年もあると考えるのが自然です。
もちろん、年によって活動量やライブツアーの規模が異なるため、一定ではないでしょうが、長年にわたって音楽シーンの第一線に立ち続けている実績を踏まえると、安定した高収入を維持している可能性は高いです。
とはいえ、HISASHIさんは決して「お金を前面に出すタイプ」ではなく、むしろ音楽や表現への情熱を中心に活動してきた印象が強い方です。
派手な生活をアピールすることもなく、あくまで“音”と向き合う姿勢を大切にしているのがファンの間でも評価されているポイントの一つではないでしょうか。
収入の面では表に出ない部分も多くありますが、HISASHIさんのように長く支持され続けるアーティストは、それだけで多くの信頼と実績を積み重ねている証。
これからも新しい挑戦を重ねながら、多方面での活躍が続いていくことでしょう。
まとめ
HISASHIさんは、青森や北海道で過ごした学生時代を経て、音楽に対する情熱を育んできました。
高校ではバンド活動に打ち込み、やがてGLAYの一員としてメジャーデビューを果たし、多くの人の心を動かす存在となりました。
愛車に見られる審美眼や、年収に表れる実績の裏には、長年にわたって音楽と真摯に向き合ってきた歩みがあります。
華やかな舞台の裏側には、揺るぎない信念と探求心が息づいているという印象を受けた方も多いのではないでしょうか。
今後もHISASHIさんがどんな表現を見せてくれるのか、とても楽しみですね。この記事を通じて少しでもHISASHIさんの魅力が伝わったなら嬉しく思います。
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