2002年に歌手デビューし数々のヒット曲で話題を集めた歌手・一青窈さんは、どんな人生を歩んできたのでしょうか。
両親はどんな人で、兄弟はいるのでしょうか。
今回は、一青窈さんの実家や家族について調べてみました。
一青窈は台湾出身!本名や国籍は?
一青窈の台湾イチ押しはマッサージ。「小籠包になった気持ちになれます」 https://t.co/rDGRsSNV8z pic.twitter.com/r5jnlhpmex
— PRESSPORTS_COM (@PressportsC) December 10, 2019
一青窈さんは、お父さんが台湾人、お母さんが日本人のハーフです。
そして台湾で生まれた一青窈さんですが、幼稚園卒園後から日本で生活するようになりました。
国籍は公表されていないものの日本での生活が長いことから、現在の国籍は日本ではないかと思われます。
一青窈さんの名前は本名で、「一青」は母親性です。
台湾では「顔窈(イエン・ヤオ)」になるそうですよ。
一青窈の実家は財閥でお金持ち?
一青窈さんのお父さんは、台湾の日本統治時代に九份での金鉱経営によって一代で財を成した顔欽賢さんの長男として誕生しました。
そのため「一青窈さんの実家はお金持ちではないか」と噂されています。
しかし顔家は日本が戦争で負け中国本土より中国国民党政権が台湾を統治するようになった際に起きた「二・二八事件」に巻き込まれ、政府により6万坪の土地を没収されてしまいました。
それ以来「政治には関与しない」を家訓として政治から距離置いて事業を縮小、ひっそりと目立たぬように徹したことから、一青窈さんのお姉さんは「五大家族のなかで顔家は最も没落した存在になっている」と話しています。
一青窈さんも台湾で生活していたことはあるものの、6歳の時にはお母さんの実家がある日本で暮らすようになり、8歳でお父さんを亡くしたことから凄く裕福な環境で暮らしていたというわけでは無いようです。
一青窈の生い立ち
1976年9月20日に誕生した一青窈さんは、活発な子で幼稚園の頃から歌を歌っていました。
そのきっかけは離れて暮らすお父さんが送ってくれた毎月ディズニーのお話レコードを聞いていたためで、小学生の頃は歌のお姉さんやアイドルなど歌で笑顔にする職業に憧れていたそうです。
また8歳でお父さんを亡くしたため小学校時代は片親であることがコンプレックスとなり、誰にも言えない気持ちを詩に書き留めていました。
中学生になるとお母さんの闘病もあり「気持ちのいい建物を建てる建築家」と夢が変わったものの、高校生の時に再び音楽の道を目指すようになり、2002年にデビューしました。
一青窈の父親
一青窈さんのお父さんは、顔恵民さんと言います。
顔恵民さんは、東京都千代田区立番町小学校、学習院中等科・高等科を経て、早稲田大学鉱山科を卒業しました。
第二次大戦後の1947年に兄弟と共に台湾に帰ったものの二・二八事件などの本省人弾圧を逃れるため、1949年に密航して日本に戻っています。
そんなお父さんは末期の肺がんで、一青窈さんが小学2年生の時に亡くなりました。
一青窈の母親
一青窈さんのお母さんは、一青かづ枝さんと言います。
お母さんは一般人で、石川県出身の方です。
一青窈さんが音楽の道を歩むきっかけになったのは、闘病していたお母さんが森公美子さんが出演しているミュージカルを観に行き音楽で元気になったことからだったそうです。
お母さんは、一青窈さんが16歳の時にがんで亡くなりました。
一青窈の兄弟や姉妹
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🎉ステージ紹介🎉
『一青妙』
台湾人の父と日本人の母を持ち、歯科医や女優、そして台湾をテーマにしたエッセイを数多くでされている作者として活躍している一青妙さん。
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一青窈さんのお姉さんは、女優で歯科医師の一青妙さんです。
一青妙さんは、映画『恋するイノセントマン』で主演を務め、『土曜ワイド劇場』や『エゴイスト 〜egoist〜』などに出演、エッセイ『私の箱子』、『ママ、ごはんまだ?』なども出版しました。
昭和大学歯学部を卒業しており、歯科医師として老人施設への訪問診療を中心とした歯科医療も行なっています。
まとめ
8歳と16歳の時に両親を亡くした一青窈さんですが、両親の存在が音楽の道を歩むきっかけとなりました。
空の上で見守ってくれている両親に届けられるよう、これからも歌い続けてほしいですね。