2023年に現役を引退した小野伸二さん。
日本サッカー界の“天才”と称されたそのキャリアは、国内外のクラブを渡り歩きながら数々の記憶に残るプレーを見せてきました。
そんな小野伸二さんが今、どんな活動をしているのか気になっている方も多いのではないでしょうか。
引退後の仕事や所属事務所のこと、さらには高校・大学といった学歴、現役時代の年俸の推移まで、知りたい情報は意外とたくさんありますよね。
この記事では、小野伸二さんのこれまでとこれからを丁寧にたどりながら、経歴や引退の理由、そして現在の活動内容についても詳しく掘り下げています。
長年にわたりサッカーファンを魅了してきたその足跡を、改めて振り返ってみませんか?z
小野伸二は引退後は何してる?
小野伸二さんは、2023年11月に惜しまれつつ現役を引退した後、2024年からは「北海道コンサドーレ札幌」のクラブ・アンバサダーに就任し、クラブの魅力を伝える活動に取り組んでいます。
アンバサダーとしては、地域イベントやPR活動、子どもたちへのサッカー教室などにも積極的に参加し、サッカー文化の普及に貢献している様子です。
また、引退後もテレビやラジオといったメディアにたびたび登場しており、バラエティ番組での穏やかな人柄やトーク力にも注目が集まっています。
一方で、小野さん自身は「引退したのにサッカー熱が再燃している」と語っており、「休みがあると走りに出かけたり、サッカーボールを蹴っていたりする」と2024年4月の『NHKニュースウォッチ9』で明かしていました。
心と体に染みついた“サッカー小僧”の感覚は、今なお衰えていないようです。
さらに、2024年には自らの経験をもとにしたトークイベントやトークショーの開催も増えており、ファンとの交流を深める機会も広がっています。
Jリーグや海外クラブでの経験を語る中で、「勝負の世界で必要なもの」や「海外での挫折と成長」など、次世代の選手や指導者にも響く内容を発信しています。
今後は、サッカー解説や指導者としての道も視野に入れているとも言われており、実際に一部メディアでは「コンサドーレの育成部門への関与」や「ライセンス取得の準備」について報じられたこともあります(※北海道新聞2024年5月記事より)。
引退後もなおフィールドの外からサッカーを支え続ける小野伸二さん。
その存在は、ファンにとっても、現役選手にとっても、かけがえのない“レジェンド”として生き続けています。
小野伸二が引退した理由
小野伸二「キャリアのピークは高校生かな」笑顔の引退 会見一問一答https://t.co/AGo7qHokln
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) December 3, 2023
――いま足にはどんな言葉をかけたいか
お疲れ様という言葉。でも、僕のサッカー人生が終わるわけではない。これからは違う形でサッカーとまた触れ合っていきたいです。 pic.twitter.com/FM7W7Dk5wD
2023年9月27日、小野伸二さんは同年シーズン限りでの現役引退を正式に発表しました。
引退の理由として挙げたのは、「足の痛みがどうしても消えなかったこと」です。
2023年初頭、小野さんは左足首の手術を受けていますが、リハビリを経てもなお慢性的な痛みが続き、思うようなプレーができない状態が続いていたといいます。
この痛みは日常生活にも影響を及ぼすほどで、ボールを蹴るたびに違和感を感じることが増えていたそうです。
北海道新聞などの報道によれば、小野さんは「プレーをしていても純粋に楽しいと感じられなくなってきた」と語っており、その感覚が自分自身の引退時期を決定づける大きな要因になったことを明かしています。
実際には、2023年3月頃の段階で既に引退を視野に入れていたとも述べており、「どんな形でもいいからピッチに立ちたい」という思いと、「本来のプレーができないままサッカーを続けることへの葛藤」のあいだで揺れ動いていた心情も率直に語られました。
特に小野さんのような高い技術を持つ選手にとって、自分の体が思い通りに動かないことは、精神的にも大きな負担になっていたことがうかがえます。
それでも、現役生活のラストステージとなった北海道コンサドーレ札幌では、限られた出場機会の中でもプロとしての姿勢を貫き、多くの若手選手に刺激を与え続けました。
最終的には「サッカーを嫌いになりたくない」という想いから、自らの意志でスパイクを脱ぐ決断を選んだ小野伸二さん。
引退は一つの区切りではありますが、その背景には、ピッチで闘い続けてきた一人のアスリートとしての誇りと覚悟が込められていました。
小野伸二の現役時代の年俸は?
1998年に浦和レッズへ加入した小野伸二さんの初年度の年俸はおよそ400万円でした。
翌1999年には活躍が評価されて1000万円に上昇、さらに2000年には3000万円へと倍増しています。
この短期間での年俸アップからも、早くから将来を嘱望された逸材だったことがうかがえます。
2001年にはオランダ・エールディヴィジの名門フェイエノールトへ移籍し、年俸は一気に1億円台へと突入。
2002年には約1億5000万円、2003年には1億8000万円へと順調に増額され、2004年から2006年にかけては推定2億円の契約でプレーしていたと報じられています。
フェイエノールト時代はUEFAカップ優勝を経験するなど、日本人選手として国際的な評価を高めた時期でもあり、年俸面でもその価値が反映されていました。
2006年に浦和レッズへ復帰した際は年俸1億円で契約し、2007年まで在籍。
以降はドイツのボーフム(2008年〜2010年)へ移籍し、年俸はおよそ8000万円と伝えられています。
帰国後の2010年からは清水エスパルスでプレーし、2011年まで年俸5000万円で契約。
その後、2012年から2014年にはオーストラリアAリーグのシドニーFCに所属し、ここでは年俸約4800万円だったとされています。
2014年以降はJリーグ・コンサドーレ札幌(当時J2)に加入し、5000万円(2014年)、4800万円(2015年)、4500万円(2016年)、4000万円(2017年)、3500万円(2018〜2019年)と、年を重ねるごとに徐々に調整が図られていきました。
それでも、当時のJ2クラブ在籍選手としては依然高額の部類に入る待遇であり、小野さんへの期待の大きさを示していたと言えるでしょう。
その後、2019年から2020年にかけてはFC琉球でプレーし、推定年俸は2000万円。
2021年には再び北海道コンサドーレ札幌へ復帰し、引退までの期間は年俸1800万円で契約していたと見られています。
なお、こうした年俸額はスポーツ紙や経済誌、クラブ関係者の発言などをもとに報じられた推定値が中心となっており、正式なクラブ発表ではないことも多いため、あくまで参考値として捉える必要があります。
それでも、20年以上にわたるプロキャリアを通じて、国内外のクラブから継続して高い評価を受けていたことは明白であり、小野さんの存在感と市場価値の高さを物語る数字となっています。
小野伸二は怪我に悩まさえていた
1999年、小野伸二さんはシドニー五輪アジア一次予選のフィリピン戦に出場した際、相手選手からの悪質なスライディングタックルを受け、左ひざ前十字靭帯を断裂するという重傷を負いました。
当時20歳という若さで将来を期待されていた中での大怪我でしたが、懸命なリハビリを経て翌年に復帰。
以降のキャリアにおいてもプレースタイルを見直しながら、自身の武器である「視野の広さ」や「ボールコントロールの技術」を生かしたプレーで順応していきました。
この怪我について小野さんは後に「世界がすべて変わった」と振り返っており、それまでとは違う感覚でピッチに立つようになったと語っています(※NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』より)。
選手生命に関わるほどのダメージを乗り越えた背景には、サッカーへの強い情熱と、自分らしいプレースタイルを失わないという覚悟があったようです。
その後の現役生活でも、小野さんは複数の怪我に悩まされ続けました。
2005年には再び膝を痛め、以降も太ももや足首の故障を繰り返しています。
晩年には2023年に左足首の手術を受けたものの、痛みが慢性化して回復に至らず、これが現役引退の大きな要因ともなりました。
本人も「サッカーが楽しくなくなってしまうのが怖かった」と語っており、怪我との向き合い方がキャリア全体に大きな影響を与えていたことが分かります。
こうした経緯をたどりながらも、小野伸二さんはJリーグ、オランダ、ドイツ、オーストラリアと多くのクラブでプレーを続け、いかなる局面でも独自のスタイルを貫きました。
度重なる故障にも屈せずトップレベルで戦い続けたその姿勢は、多くのサッカーファンや後進の選手たちにとっても大きな勇気となっています。
小野伸二の学歴
サッカー界のレジェンドとして知られる小野伸二さんは、幼少期からその才能を発揮していました。
小学校から中学校、高校に至るまで一貫して静岡県内の公立校に通いながら、数々の全国大会や国際大会に出場。
学生時代にはすでに「天才」と称されるほどの注目を集め、10代のうちに日本代表として世界の舞台を経験しています。
プロ入り後すぐにJリーグで活躍し、大学進学はせずに本格的なサッカーの道へと進んでいきました。
小野さんの学歴を振り返ると、華々しいキャリアの原点には、地元での地道な努力と早熟な才能がありました。
それぞれの学校時代にどのような経験を積んできたのかを、時系列で詳しく見ていきましょう。
小野伸二の出身小学校
小野伸二さんは、沼津市立今沢小学校出身です。
この頃からサッカーへの情熱が強く、地域の「今沢サッカースポーツ少年団」に加入して本格的にプレーを始めました。
また、12歳のときには全国の有望選手が集まるナショナルトレーニングセンターにも参加。その実力は早くから注目されていました。
1992年には、「第1回バーモントカップ全日本少年フットサル大会(現・JFA全日本U-12フットサル選手権)」に沼津FCのメンバーとして出場。
チームは準優勝を果たし、小野さん自身は優秀選手にも選ばれています。
この実績からも、小学生時代から全国レベルの選手として頭角を現していたことが分かります。
小野伸二の出身中学
小学校卒業後は、沼津市立今沢中学校に進学しました。
中学1年生だった1993年には、13歳でU-16日本代表に初選出され、すでに同世代の中でも突出した存在でした。翌
1994年にはU-16アジアユース選手権で優勝メンバーに選ばれ、1995年にはFIFA U-17世界選手権(現・U-17ワールドカップ)にも出場。
国際舞台でも経験を積みながら、将来を嘱望される選手として育っていきました。
なお、中学時代は地元でも有名な存在で、全国から注目される存在だったことから、複数の強豪校からのスカウトもあったとされています。
小野伸二の出身高校
中学校卒業後は、静岡市立清水商業高等学校(現・静岡市立清水桜が丘高等学校)に進学しました。
同校は長年にわたり全国大会の常連で、多くのプロ選手を輩出してきた伝統校です。
現在の偏差値はおよそ51とされていますが、特にサッカーの指導力の高さには定評があります。
高校3年時の1997年、小野さんは「全日本ユース選手権」で準優勝、「全国高校総体(インターハイ)」ではベスト16入りを果たし、さらには静岡県選抜として出場した「国民体育大会」で、少年男子の部において2年連続の優勝に貢献しました。
当時のプレーは「規格外」と称されるほどで、試合を観た指導者やスカウトの間でも話題になっていたといわれています。
小野伸二の出身大学
高校卒業後、小野伸二さんは大学進学の道を選ばず、1998年にJリーグ・浦和レッズへ加入。高卒ルーキーとして即戦力で起用され、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。
Jリーグでの活躍を経て、2001年にはオランダの名門フェイエノールトに移籍。
高卒プロとして早期に海外挑戦を果たしたことで、当時の日本サッカー界に大きな衝撃を与えました。
その後の活躍は多くの人が知るところであり、「高卒即プロ→海外移籍」の成功例として、後進の道標となった存在でもあります。
小野伸二のプロフィールや経歴
#コンサドーレイズム スペシャル
— HBC コンサドーレ取材班 (@hbc_CONSADOLE) December 29, 2023
ご視聴いただきありがとうございました!!
HBCスポーツYouTubeで
小野伸二さんの【インタビュー・ロングVer.】を公開!
コンサドーレや北海道への思い
ご自身のこれからについてお話いただきました⚽
▼動画はこちらから▼https://t.co/ccn0M0Zqoh#consadole pic.twitter.com/k4fbNVROjB
名前:小野伸二
生年月日:1979年9月27日
出身地:静岡県
血液型:O型
身長:175cm
高校卒業後の1998年、小野伸二さんはJリーグの浦和レッズに加入し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。
同年6月にはわずか18歳にしてフランスW杯の日本代表に選出され、史上最年少でワールドカップ本大会に出場。この快挙は大きな話題を呼び、小野さんの名が一躍全国に広まりました。
1999年には、ナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)でキャプテンを務め、日本代表を準優勝に導く原動力となりました。
個人としてもベストイレブンに選出され、世界の若手選手の中でもトップクラスの評価を得ています。
2001年にはヨーロッパ移籍を果たし、オランダの名門フェイエノールトに加入。
1年目からレギュラーとして起用され、2002年にはUEFAカップ(現・ヨーロッパリーグ)で優勝。日本人選手として欧州クラブタイトルを獲得した数少ない一人として、その名を歴史に刻みました。
精密なパスと視野の広さで「フェイエの心臓」とも称され、現地ファンやメディアから高い評価を受けました。
同じく2002年には日韓W杯で日本代表の中心選手として全4試合に出場し、母国開催の大会でベスト16進出に貢献。
2004年にはオーバーエイジ枠としてアテネ五輪にも出場し、チームの精神的支柱として若手を支える役割を果たしました。
さらに2006年ドイツW杯にも出場し、3大会連続でのワールドカップ選出となっています。
クラブキャリアにおいては、その後ドイツのボーフム、オーストラリアのシドニーFCなどでもプレー。
2010年代には再び日本へ戻り、清水エスパルスや北海道コンサドーレ札幌、FC琉球などで活躍。
浦和レッズに復帰した2006〜2007年シーズンでは、Jリーグ優勝とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝にも大きく貢献しています。
そして2023年9月、45歳で現役引退を表明。
12月3日に行われたJ1最終節・北海道コンサドーレ札幌vs浦和レッズの試合をもって、25年以上にわたる現役生活に幕を下ろしました。
プロとして一時代を築き、国内外で輝かしい実績を残した小野伸二さんは、今もなお「日本サッカー史上最高の天才」と称される存在です。
小野伸二の所属事務所
小野伸二さんが所属しているマネジメント事務所は「株式会社SARCLE(サークル)」です。S
ARCLEは、スポーツマネジメントやキャリア支援、肖像権管理、広告契約の交渉・運営などを手がける専門企業で、現役選手だけでなく、引退後のキャリア形成も視野に入れた総合的なサポートを行っていることで知られています。
所属アスリートには、元サッカー日本代表の内田篤人さん、坪井慶介さん、陸上界からは福島千里さんなど、競技を超えて多彩なトップアスリートが名を連ねています。
小野さんも引退後の活動を見据え、こうした実績ある事務所と契約することで、自身の経験や知名度を活かした活動の幅を広げているようです。
SARCLEの公式サイトでは、小野さんのプロフィールページが設けられており、これまでの経歴だけでなく、今後の講演・イベント出演・企業とのコラボレーション案件などもサポート対象として記載されています。
また、小野さん自身もトークイベントやアンバサダー活動、サッカー教室などを通じて、若い世代への指導やスポーツ振興に力を入れており、事務所の体制と連動した活動が見受けられます。
こうした背景からも、小野伸二さんの現在の活動や今後の展開を知るうえで、SARCLEの存在は非常に大きな意味を持っていると言えるでしょう。
まとめ
小野伸二さんは、現役時代に数々の輝かしい実績を残しながらも、度重なる怪我と向き合い続けたプロフェッショナルでした。
引退後は北海道コンサドーレ札幌のアンバサダーとして新たな道を歩み出し、所属事務所SARCLEのサポートのもと、サッカー普及やメディア出演など多方面で活躍されています。
現役時代の年俸推移や、清水商業高校出身という学歴面にも触れてきましたが、どの時代にも共通していたのは「サッカーを純粋に楽しむ姿勢」だったのではないでしょうか。
その姿勢が、長きにわたって多くの人の記憶に残り続ける理由のひとつかもしれません。
これからもサッカー界のレジェンドとして、次世代に希望を与える存在であり続けてほしいですね。
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