アジア選手として初めて冬季オリンピックフィギュアスケート競技で金メダルを獲得したフィギュアスケート選手・荒川静香さんは、これまでどんな人生を歩んできたのでしょうか。
どこの学校に通っていたのか、どんな家庭で育ってきたのか、気になりますね。
今回は、荒川静香さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
荒川静香の学歴
荒川静香さんが通っていた学校について調べてみました。
荒川静香の出身小学校
荒川静香さんは、利府町立しらかし台小学校出身です。
1年生の時にオレンジワン泉(現・アイスリンク仙) のスケートクラブ「泉DLLアカデミー」に入会し、本格的にフィギュアスケートを始めました。
3年生の時には5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれ、6年生で全日本ジュニア選手権に初出場しています。
1994年には初めての国際大会であるトリグラフトロフィーに出場し、優勝しました。
荒川静香の出身中学
小学校卒業後は、利府町立しらかし台中学校に進学しました。
1年生の時には2度目の全日本ジュニア選手権に出場し優勝、以降この大会で史上初の3連覇を果たしています。
また全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも3連覇を達成、2年生で出場した国際大会のネーベルホルン杯では3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させてシニアの部で優勝しました。
荒川静香の出身高校
中学校卒業後は、東北高等学校に進学しました。
偏差値は、42です。
1年生の時は第66回全日本選手権で初優勝、1998年長野オリンピックと1998年世界選手権の代表の座を勝ち取りました。
自身初のオリンピック出場となる長野五輪女子シングルでは結果が出せず総合で13位、世界選手権では総合22位に終わっています。
荒川静香の出身大学
高校卒業後は、早稲田大学に進学しました。
荒川静香さんは教育学部に在籍、偏差値は62.5〜70です。
大学時代は2002年末の第71回全日本選手権で3位、ユニバーシアード冬季競技大会、冬季アジア大会で優勝しました。
卒業論文は「スポーツとマスコミの考察」でした。
荒川静香が引退したのはいつ?理由は?
荒川静香さんは、2006年5月7日に現役を引退しました。
元々荒川静香さんは20歳の時に現役引退を考えており、プロへの転向が強い方でした。
そのため荒川静香さんの中では金メダルを獲得したトリノオリンピック終了後にプロへの転向を決断、プロとして一歩を踏み出す準備が整ったところで公表したそうです。
引退後のインタビューで「現役生活との別れに寂しさはなかったのか?」と聞かれた際には「もし寂しさがあったら引退しなかったと思います」と答えていました。
荒川静香は引退後何をしている?
生の荒川静香さんの破壊力🐈⬛🌙
— 咲嬉 📚FP1級のお勉強 ~好きを仕事に✏️ (@plievesakki) April 29, 2023
イナバウアー信じられないくらい綺麗だった… pic.twitter.com/zYh4IdYLgO
荒川静香さんは、現在プロスケーターとしてアイスショーの出演、スケート解説、オリンピックキャスター、バラエティー番組の出演など多方面で活動しています。
特にオリンピックや世界選手権などには必ずといっていいほど、荒川静香さんがキャスターとして選ばれています。
荒川静香のプロフィールや経歴
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明日開催のスケート教室ですが、欠員が出たため再度募集します!
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名前:荒川静香
生年月日:1981年12月29日
出身地:東京生まれ、宮城県育ち
血液型:O型
身長:166cm
大学卒業後の2004-2005シーズンのNHK杯で初優勝を果たした荒川静香さんは、2006年のトリノオリンピックに出場、SPでほぼノーミスの内容で3位につけ、フリーではループジャンプがダブルとなった以外は完璧の演技を披露、合計スコア191.34で総合優勝を果たしアジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダルを獲得しました。
また、五輪女子フィギュア史上最年長(24歳)の金メダル獲得という記録も更新しています。
他にもショートプログラムとフリースケーティングで合計7つあるスピンと2つあるスパイラルの全てでレベル4を獲得し、2つのステップはともに事実上最高難度であるレベル3を獲得、レベルの取りこぼしが1つもなかったのは出場選手中荒川静香さんただ1人であり、演技構成点で8点台をマークしたのも荒川静香さんただ一人でした。
この大記録は大きな話題になり、荒川静香さんは2006年度JOCオリンピック特別賞、読売新聞社「日本スポーツ賞 大賞」、バカラ「バカラ・アスリーツ・オブ・ザ・イヤー」などを受賞しました。
そして荒川静香さんが演技中に披露したイナバウアーは、2006年の「新語・流行語大賞」にも選ばれています。
現役引退後は2012年に日本スケート連盟評議員会で史上最年少の30歳で日本スケート連盟理事に選任され、プロアマ混合の国際大会「第1回メダルウィナーズ・オープン」で優勝し初代女王に輝いています。
2014年には日本スケート連盟役員改選にて史上最年少の32歳で日本スケート連盟副会長に選任され、2022年まで務めました。
荒川静香の所属事務所
荒川静香さんは、「ユニバーサルスポーツマーケティング」に所属しています。
こちらはスポーツ選手のマネジメントを行っており、髙橋大輔さん、宇野昌磨さん、庄司理紗さん、村元哉中さんらも在籍しています。
荒川静香の年収
荒川静香さんの年収は公表されていません。
プロのスケーターとして活躍していることから、年収は数千万以上になるのではないかと言われています。
荒川静香の実家
荒川静香さんは、東京都品川区にある関東逓信病院で誕生しました。
その後神奈川県鎌倉市に移り、2歳頃に宮城県仙台市に転居、1993年に宮城郡利府町に引っ越しました。
現在の実家の場所は公開されていません。
フィギュアスケート選手ということからネット上では「荒川静香さんの実家はお金持ちでは?」と噂されていますが、荒川静香さんは普通の家庭で育ちました。
水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていたことはあるものの、荒川静香さんがフィギュアスケートを始めるとお母さんがパートを掛け持ちしたり、衣装を手作りするなどしていたそうです。
また荒川静香さんが大学に進学すると一人暮らしでさらに負担が増えたため、荒川静香さんはコンビニやサンドイッチ屋さんでアルバイトをしていました。
荒川静香の生い立ち
1981年12月29日に誕生した荒川静香さんは、鎌倉に縁の深い「静御前」から名付けられました。
幼少時は好奇心が旺盛で活発だったことから多くの習い事を経験、その中でも3歳から始めた水泳では6歳までに全泳法を覚えたそうです。
5歳のとき遊びに行った勝山スケーティングクラブでスケートに興味を持ち「ちびっこスケート教室」に入会、小学1年生の時に本格的にフィギュアスケートを始めました。
荒川静香の父親
荒川静香さんのお父さんは、荒川晃市さんと言います。
お父さんはNTT東日本に勤務するサラリーマンで、幹部も務めました。
荒川静香の母親
荒川静香さんのお母さんは、荒川佐知さんと言います。
お母さんは幼稚園の先生でした。
一般人のため顔写真などは公開されていません。
荒川静香の兄弟や姉妹
荒川静香さんは、一人っ子で兄弟はいません。
そのため人との競争に興味はなかったものの、フィギュアスケート選手時代は自分に負けたくない性分で難しい技もできるまで練習していたそうですよ。
まとめ
小学生の時は「天才少女」と言われた荒川静香さんですが、トリノオリンピックで金メダルを獲得するまでの道のりは決して簡単なことばかりではありませんでした。
今でもプロとしてフィギュアスケートに関わっている荒川静香さんを、今後も応援していきたいと思います。