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島袋寛子の出身高校や大学は?若い頃や事務所・年収や自宅も調査

shimabukurohiroko_career 歌手

「SPEED」のメンバーで、ソロアーティストでもある島袋寛子さんは、小学生の時にデビューしました。

学生時代はどこの学校に通い、どんな生活を送っていたのでしょうか。

今回は、島袋寛子さんの経歴や出身学校などについて調べてみました。

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島袋寛子の学歴

島袋寛子さんが通っていた学校について調べてみました。

島袋寛子の出身小学校

島袋寛子さんは、宜野湾市立大山小学校に進学しました。

デビューの話が舞い込んだことをきっかけに東京の区立学校に転校しており、東京の学校は公表されていません。

インタビューでは、「私立ではなく区立学校が良いと言った」と明かし、芸能人がいる学校ではなく普通の学校に通っていたそうです。

6年生の時にCDデビューしましたが、事務所から「学校は毎日行くこと」と言われていたため修学旅行は欠席したものの、毎日登校していました。

また同級生らは仲良くしてくれたものの深い関係にはならず、親友は6年生に出会った子だけなんだそうです。

島袋寛子の出身中学

小学校卒業後は、品川区立日野中学校(現・品川区立日野学園中学校)に進学しました。

中学時代のエピソードはありませんが、多忙ながらも学校にはしっかり通っていたようです。

島袋寛子の出身高校

中学校卒業後は、東京都立代々木高等学校に進学しました。

こちらの学校は定時制でしたが、2004年に閉校しています。

島袋寛子の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

芸能活動に専念しています。

島袋寛子は若い頃SPPEDで社会現象に

島袋寛子さんは、1996年に「SPEED」のメンバーとしてCDデビューしました。

当時島袋寛子さんはメンバー最年少の12歳(小学6年生)で、メンバー全員が小中学生であることも話題を呼び、デビューシングル「Body & Soul」は60万枚を超えるセールスを記録しました。

さらにセカンドシングル「STEADY」は初のミリオンセラーを記録、「White Love」は184.5万枚を売り上げてグループ最大のヒットシングルとなり、『第39回日本レコード大賞』で優秀作品賞を受賞しています。

人気絶頂だった2000年3月31日にグループは解散、2001年と2003年に期間限定で再結成し、2008年には完全復活するも、2013年からはグループの活動は休止状態になっています。

島袋寛子のプロフィールや経歴

名前:島袋寛子
生年月日:1984年4月7日
出身地:沖縄県
血液型:A型
身長:163cm
所属事務所:ライジングプロダクション

「SPEED」のメンバーとしてデビューした島袋寛子さんは、グループ在籍時の1999年にシングル「AS TIME GOES BY」でソロデビュー、同楽曲が主題歌となったドラマ『天国のKiss』の第1話に特別出演し女優デビューしました。

グループ解散後もソロとして活動を続け、2004年にはジャズプロジェクト「Coco d’Or(ココドール)」を始動、2007年には『モーツァルト!』でミュージカル初出演を果たしました。

2015年には「SPEED」のメンバーだった今井絵理子さんとユニット「ERIHIRO」を結成しています。

島袋寛子の所属事務所

島袋寛子さんは、「ライジングプロダクション」に所属しています。

こちらの事務所には、荻野目洋子さんや三浦大知さん、「MAX」、「DA PUMP」らも在籍しています。

島袋寛子の年収

島袋寛子さんの年収は公表されていません。

ソロのアーティストとして現在も新曲のリリースやライブの開催、テレビ出演などを行っているので、数百万円以上になるのではないかと思われます。

島袋寛子の自宅

島袋寛子さんの自宅の場所は公開されていません。

デビュー前は実家のある沖縄と東京を行き来していましたが、仕事が多忙になるといつの間にか東京に移住していたそうで、現在も都内のどこかのようです。

まとめ

「SPEED」としてすぐにブレイクした島袋寛子さんは、解散後も活動を続けています。

今はそれぞれ違う道を歩んでいるためグループの再活動は難しいかもしれませんが、またメンバーと揃った姿も見せてほしいですね。

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