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キダ・タローの代表曲は?かつらだった?若い頃や学歴・実家はお金持ち?

kidataro_career 作曲家
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作曲家やタレントとして活動していたキダ・タローさんは、どんな人なのでしょうか。

両親や兄弟は何をしている方なのか、どこの学校に通っていたのか、気になりますね。

今回は、キダ・タローさんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。

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キダ・タローの代表曲

自身が手掛けた楽曲は「自称5000曲」というキダ・タローさんは、CM曲や企業の社歌、学校の校歌、歌謡曲などジャンルを問わず作ってきました。

その中でも代表曲と言われているのが、番組テーマソングでは「プロポーズ大作戦」、「ラブアタック!」、CMでは「出前一丁」、「かに道楽」、「小山ゆうえんち」などです。

歌謡曲としては1964年の「ふるさとのはなしをしよう」(歌唱:北原謙二さん)が挙げられます。

キダ・タローにヅラ疑惑!かつらだった?

ネット上では「キダ・タローさんはカツラだった?」という噂があります。

しかしキダ・タローさん自身はカツラをカミングアウトしたことはありませんでした。

キダ・タローさんが亡くなってしまったということもあり、真相は闇の中になりました。

キダ・タローの若い頃

キダ・タローさんの若い頃の姿はこちらです。

雰囲気は昔から変わっていませんね。

キダ・タローのプロフィールや経歴

名前:キダ・タロー
生年月日:1930年12月6日
出身地:兵庫県
血液型:B型
身長:165cm
所属事務所:オフィスとんで

大学中退後にプロピアニストに転向したキダ・タローさんは、20代の前半頃から「義則忠夫とキャスバオーケストラ」のピアニストとしてキャバレーなどで10年間活動しました。

1964年に「ふるさとのはなしをしよう」でレコードデビューを果たし、30歳頃を境に人気作曲家として話題を集めるようになりました。

探偵ナイトスクープの最高顧問だった

キダ・タローさんは、1989年から『探偵!ナイトスクープ』に出演していました。

探偵局2代目最高顧問を就任し、2000年6月9日・2022年3月4日放送分では局長代行を担当しています。

2024年4月19日放送分が最後の出演になりました。

キダ・タローの所属事務所

キダ・タローさんは、「オフィスとんで」に所属していました。

こちらは円広志さんが在籍しており、昭和プロダクションを経て2022年7月1日に移籍しました。

キダ・タローの学歴

キダ・タローさんが通っていた学校について調べてみました。

キダ・タローの出身小学校

出身小学校は公表されていません。

地元の学校に通っていたと思われます。

キダ・タローの出身中学

小学校卒業後は、関西学院中学部に進学しました。

現在の偏差値は、54~58です。

両親の希望で、家から通える範囲で一番上品な学校に進学したそうです。

キダ・タローさんが中学生のころは戦争中で、学校には配属将校による厳しい軍事訓練もあって物々しい雰囲気だったと明かしていました。

キダ・タローの出身高校

中学校卒業後は、関西学院高等部に進学しました。

現在の偏差値は、68です。

高校時代はハンドボール部を結成、さらにタンゴバンドでアコーディオンを担当していました。

キダ・タローの出身大学

高校卒業後は、関西学院大学に進学しました。

高等部からの内部進学だったものの、キダ・タローさんは高校の時に勉強が疎かになり、試験で落第したため1年浪人生活を送っていました。

そして社会学部(現在の偏差値は52.5~57.5)に在籍したものの、キダ・タローさんはバンド活動のため中退しています。

キダ・タローの実家はお金持ち?

キダ・タローさんは、兵庫県宝塚市で生まれ、西宮市で育ちました。

実家の詳しい場所は公開されていません。

中学校から私立に通っていましたが、実家はすごく裕福というわけでは無かったようで、インタビューでは「本格的なアコーディオンは買えなかった」と明かしています。

キダ・タローの生い立ち

1930年12月6日に誕生したキダ・タローさんは、「はにかみ屋で引っ込み思案で甘えたで、どうしようもない末っ子。食べ物も好き嫌いがあり、人見知りもする」という子供だったそうです。

高校時代のタンゴバンドをきっかけに音楽活動に力を入れるようになったものの、本格的なアコーディオンは高くて買えなかったため18歳の時にピアノに転向しました。

キダ・タローの父親や母親

キダ・タローさんの両親は、一般人です。

お父さんは捜査一課の刑事でした。

お母さんについては情報がなく、わかりませんでした。

キダ・タローの兄弟や姉妹

キダ・タローさんには、お兄さんが4人、お姉さんが1人います。

長男のお兄さんは不治の病といわれた結核で亡くなっておち、療養中にアコーディオンを欲しがっていたそうです。

購入したのはおもちゃのようなアコーディオンでしたが、お兄さんが亡くなった後も自宅に飾ってあったためキダ・タローさんはアコーディオンをきっかけに音楽の道に入りました。

まとめ

10代の頃に音楽活動を始めたキダ・タローさんは、亡くなるまで現役で活動していました。

今後新しい曲を聞くことは出来ませんが、キダ・タローさんが残してくれた楽曲を今後も大切にしていきたいですね。

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