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泉房穂の出身高校や大学は?経歴や政党|実家や弟の現在・生い立ちや両親についても

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元明石市市長の泉房穂さんは、どこの学校に通い、何故政治家になったのでしょうか。

実家の家族はどんな人なのでしょうか。

今回は、泉房穂さんの経歴や出身学校、実家などについて調べてみました。

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泉房穂(元明石市長)の学歴

泉房穂さんが通っていた学校について調べてみました。

泉房穂(元明石市長)の出身小学校

泉房穂さんは、明石市立二見小学校出身です。

小学生の頃は野球少年でプロ野球選手に憧れを抱いていました。

しかし運動神経があまりよくなかったため、野球を断念しています。

泉房穂(元明石市長)の出身中学

小学校卒業後は、明石市立二見中学校に進学しました。

中学時代はラグビーをやっていました。

泉房穂(元明石市長)の出身高校

中学校卒業後は、兵庫県立明石西高等学校に進学しました。

偏差値は、60です。

高校でもラグビーを続け、生徒会長もやっていたそうです。

泉房穂(元明石市長)の出身大学

高校卒業後は、現役で東京大学に進学しました。

泉房穂さんは文科二類に在籍、偏差値は75です。

大学では学生寮の委員長をしていましたが、ある時寮費の値上げや寮が廃止されるような動きがあり、授業をボイコット、その責任をとって退学届を出しました。

すると学部長が半年間退学届を受理せずに持っていたそうで、明石にこもっていた泉房穂さんに「帰ってきなさい」と連絡、泉房穂さんは戻って1年の留年を経て1987年に同大学教育学科教育哲学・教育史コースを卒業しました。

泉房穂(元明石市長)の現在の政党は?

泉房穂さんは、現在無所属です。

過去には民主党や明石市民の会に在籍していました。

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泉房穂(元明石市長)が明石市長を辞めた理由

2011年に明石市長選挙で初当選した泉房穂さんは、3期12年もの間市長を務め、「こどもを核としたまちづくり」 や「すべての人に “やさしい”まちづくり」に取り組んでいました。

2019年に、かつて行われた「パワハラ発言」の音声データが報じられたのを受けて辞職を表明しました。

ただこの時は出直し選挙で約7割の得票数で圧勝、同年春の任期満了による市長選では無投票で当選しています。

市長に復帰した泉房穂さんでしたが、2022年に市立二見小学校の創立150周年式典会場で、自身への問責決議案提出を予定する市議の飯田伸子さんに顔を近づけ「お前、賛成するなら許さんからな」と3回繰り返したとし、飯田伸子さんは精神的ショックから式典後の祝賀会を欠席してしまいました。

さらに議長の榎本和夫さんに対しても

「問責なんて出しやがって。ふざけとるんか。お前ら議員なんか(選挙で)落としたるからな」と発言、泉房穂さんは「内容、言い方とも不適切で2人にはおわびした」

https://www.yomiuri.co.jp/national/20221009-OYT1T50099/

と明かしたものの強い批判を受け、同年10月12日に政治家引退の意向を固め政界から離れました。

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泉房穂(元明石市長)のプロフィールや経歴

名前:泉房穂
生年月日:1963年8月19日
出身地:兵庫県
血液型:B型
身長:非公開

1987年にNHKに入局した泉房穂さんは、1年で退職します。

その後、テレビ朝日社員や石井紘基民主党衆議院議員の秘書などを経験し、司法試験に合格。

泉房穂さんは、神戸市や明石市で弁護士事務所を開設しました。

2003年には第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で兵庫県第2区から出馬し初当選しますが、2005年の第44回衆議院議員総選挙で落選したため、明石市内の弁護士事務所にて弁護士としての業務を再開します。

2007年に社会福祉士の資格を取得しました。

2011年4月24日執行の明石市長選挙に無所属で立候補し初当選、同年5月1日に市長に就任しました。

市長退任後には政治団体「明石市民の会」を設立、2023年4月23日執行の明石市長選挙にて後継指名を受けた元市議の丸谷聡子さんが圧勝。

さらに同日執行の市議選においても泉房穂さんが擁立した新人5人全員が当選し、選挙後に明石市民の会を解散しています。

現在はYouTubeチャンネル「いずみチャンネル【泉房穂 公式チャンネル】」の運営などを行っています。

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泉房穂(元明石市長)の所属事務所

泉房穂さんは、「ホリプロ」に所属しています。

スポーツ・文化部の所属で、2024年に所属契約を結びました。

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泉房穂(元明石市長)の年収

泉房穂さんの年収は公表されていません。

政界から離れタレント活動を始めたばかりなので、数百万円ほどではないかと思われます。

泉房穂(元明石市長)の実家や生い立ち

1963年8月19日に誕生した泉房穂さんは、兵庫県明石市二見町出身です。

実家の詳しい場所は公開されていません。

お母さんから「私らが死んだ後は、あんたが弟の面倒を最後まで見なあかんから、2人分稼げるようになってな」と幼い頃から繰り返し言われてきた泉房穂さんは、小学生の頃から市長になることを目指し勉強を頑張っていました。

家庭の事情は厳しく塾に行くような余裕がないだけではなく、参考書や問題集も必要最低限しか買えなかったものの、近くの本屋さんで参考書を立ち読みしながら、独学で大学受験をしたそうです。

この時は「日本全国の受験生全員の中で、今の自分が一番勉強しているはずだ」と胸を張れるくらい、必死だったそうですよ。

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弟は障害者で泉房穂(元明石市長)の政治家の原点

泉房穂さんには、4歳年下の弟さんがいます。

弟さんは、生まれた時に顔が真っ青、酸欠状態で息も絶え絶えという障害が残ることは明らかな状態でした。

当時日本には「優生保護法」という法律があり、これ以上障害者を増やさないことを目的に国を挙げて障害のある方に強制的に不妊手術や中絶手術を行う差別施策を推進していたため、医師は「このままにしておきましょう」と告げたものの、両親は「家に連れて帰る」と育てる決断をしました。

そして弟さんは、2歳の時に脳性小児麻痺で「一生起立不能」と診断されています。

障害を持った家族がいるということで世の中の色んな部分を見た泉房穂さんは、「何かがおかしい。何かが間違っている。きっと世の中の何かが間違っているに違いない」と感じ、「せめて平等な機会のある社会を目指そう。せめて自分だけでも、報われない努力を愛する政治家になろう」と決意したのでした。

泉房穂(元明石市長)の父親

泉房穂さんのお父さんは、一般人です。

職業は漁師で、小学校卒業と同時に漁に出ました。

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泉房穂(元明石市長)の母親

泉房穂さんのお母さんも一般人です。

お母さんは中学校卒業で、女工を経てお父さんと結婚しました。

まとめ

一般家庭で育った泉房穂さんは、弟さんの存在が政治家を目指すきっかけになりました。

政界は引退しましたが、これからも泉房穂さんの活躍を応援していきたいと思います。

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