お笑いコンビ・オードリーの若林正恭さんの実家はお金持ちだったという噂があります。
噂の真相や父親の職業についても気になりますね。
そこで今回は、若林正恭さんの実家や家族について調べていきたいと思います。
オードリー若林正恭の実家はお金持ち?貧乏?財閥系の噂?
おいっ!
— Frank.O (@Frank_Orte) August 1, 2020
若林正恭!
貧乏ゆすりすること、
死んでもやめんじゃねーぞ! pic.twitter.com/46EzVYXQIR
若林正恭さんの実家は『お金持ちで財閥系』という噂がありますが、財閥系ではなく一般家庭です。
東京都中央区明石町出身の若林正恭さんは、かなりの都会っ子でデパートのおもちゃ売り場が遊び場だったと話していました。
普通の子供たちが年に数回連れて行ってもらえるかもらえないかという場所でしょっちゅう遊んでいたのはすごいことですよね。
その後、一家は高級住宅が多く建ち並ぶ東京都杉並区久我山に引っ越ししており、現在も同じ場所に実家があります。
一見お金持ちの家庭なのかなと思いますが、若林正恭さんは『父親の仕事の状況によっておかずが変わる貧乏家庭だった』と明かしていました。
若林家が杉並区久我山に引っ越したのはバブル期だったので、土地の売却でそれなりの金銭を得ていたはず。
お金に困った時期もあったのかもしれませんが、普通に暮らせるくらいの余裕はあったとみていいでしょう。
オードリー若林正恭の生い立ち
〜若林正恭の黒ルーツ〜
— ぽむ . . . (@Oyasu_Miffy) April 5, 2017
0歳 東京都中央区にて誕生
6歳 明石小学校入学
10歳 少年野球チームに所属。極度の人見知りというわりには「プロ野球選手になって女性アナウンサーと結婚する」というイケイケな夢もみていた
11歳 実家が地上げに遭い杉並区に転居 pic.twitter.com/KD5qMzjDcW
若林正恭さんは、1978年9月20日に東京都で生まれました。
幼少期の若林正恭さんは口数が少なく、内気なタイプで自分がつまらないと思うことはやらないという頑固な面を持っていました。
意外にも運動神経が良く、若林正恭さんは剣道や野球を習っており、活発な少年に育っていきます。
野球では中央区選抜に選ばれるほどの実力を持っていました。
小学6年の時に若林家は引っ越しをしたのですが、転校はせずに電車通学をしていた若林正恭さん。
電車に乗っているサラリーマンたちのつまらなそうな顔を見て『自分は将来あんな風になりたくない』と思ったそうです。
元々お笑いが好きだったので、この頃から密かにお笑い芸人になる夢を持っていました。
中学に進むとラグビー部に入り、レギュラーメンバーとして活躍しています。
また、相方となる春日俊彰さんと出会ったのも中学で、高校も同じ学校に進学しました。
高校時代は春日俊彰さんとともにアメフト部に入り、全国大会を目指して練習に励んでいます。
若林正恭さんのイメージからすると意外に思いますが、高校時代はちょっとやんちゃなグループに属していたのだそう。
この頃から春日俊彰さんをリクルートするなど、若林正恭さんは本気でお笑い芸人を目指すために行動し始めています。
オードリー若林正恭の父親の職業は?
オードリー若林、『金スマ』で亡くなった父親について語ってしまい「親父、大丈夫かな?」と母親に訊ねたところ「天国で喜んでいるわよ」と返信があったと明かす#オードリー #若林正恭 #金スマ #annkw https://t.co/QB0gEDRAh4
— 世界は数字で出来ている (@numbers2007) May 3, 2020
若林正恭さんの父親は若林喬彦(たかひこ)さんという名前で、なんと仕事を8回もクビになったというエピソードがあります。
仕事はおもに営業職でしたが、すぐに仕事をサボってしまうのでクビになり、何度も転職を繰り返しました。
そのため、父親が昼間家にいる時はごはんのおかずが質素で昼間見かけなくなると豪華なおかずになると若林正恭さんは話していました。
『ザ・昭和の男』という雰囲気だった父親は、気合と根性が大事という教育方針を掲げ、ケンカに負けるのは許されなかったのだとか。
また、若林正恭さんは父親からお笑い芸人になることを猛反対され、芸人を続けるなら勘当すると一時的に絶縁状態になってしまいました。
しかし、2008年のM-1グランプリでオードリーは見事準優勝を果たして大ブレイク。
ブレイクしたことでお笑い芸人として認められた若林正恭さんは、父親と無事和解しています。
父親は反対しつつも若林正恭さんがお笑い芸人として成功することを祈っていたのかもしれません。
オードリー若林正恭の父親の死因
オードリー若林がラジオで「自分の父親が死んでから、インスタで空の写真をアップするお洒落カメラ女子をおちょくる、みたいな笑いがどうでも良くなった」と語っていて考えるものがあった
— Kotetsu Shoichiro (@y0kotetsu) March 30, 2018
若林正恭さんの父親は、2017年10月に肺がんで亡くなりました。
2016年から闘病生活を続け、若林正恭さんは仕事の合間を縫って毎日のようにお見舞いに駆け付けていたそうです。
亡くなる直前に何が食べたいのか父親に尋ねると『コンビニのソフトクリーム』と答え、若林正恭さんは『あまりに手軽すぎて驚いたのと世の中は身近に楽しいことがたくさんあるんだと思った』と心境を語っていました。
父親を亡くした若林正恭さんは『もう無理かも』と思うほど落ち込んでおり、『尊敬はできなかったけど好きだった』と父親への想いを明かしています。
また、若林正恭さんが結婚に前向きになったのも父親が『結婚ていいよ!』と言ったからだそうです。
本当に素敵な父子関係だなと思いました。
オードリー若林正恭の母親
どうでもいいことで
— キポキポキッポ (@wkbys19780920) March 11, 2022
節子とケンカする
若林正恭くん (43) と
そんなことを
43歳の息子に指摘して
どうすんだと突っ込みたくなる
若林節子さん (71)#オードリー #オードリー若林 #オードリー春日 #若林正恭 #春日俊彰 #若林 #春日 #若様 #若林かわいい #オドぜひ pic.twitter.com/eNu3GDBTrn
若林正恭さんの母親は、若林節子さんという名前で島根県の柿木村という自然豊かな地域の出身です。
職業は不明ですが、父親が会社をクビになってしまったこともあり、家計を支えていたのは母親だったのではないでしょうか。
若林正恭さんは中学校から私立ですし、母親が家計を上手くやりくりして学費を捻出していたはずです。
父親との仲は良く、父親が亡くなる時は『今までよく頑張ったよね』と握手をしていたというエピソードが。
何十年も連れ添っていた伴侶と最後に握手をしてお互いをたたえ合うことができるというのは、本当に素晴らしいことですし、なかなかできることではありません。
若林正恭さんの母親もとても素晴らしい方ですよね。
オードリー若林正恭の兄弟や姉妹
若林一族
— よっぺ (@lWZknqEcrA8kE3C) May 1, 2020
これが若林さんが週刊誌の記者に彼女だと間違えて撮られた女性(妹)か。#オードリー#金スマ#リトルトゥース pic.twitter.com/LuchfgQeUg
若林正恭さんには2歳年上の姉がおり、名前は一般人のため公表されていません。
職業はマッサージ師をしているそうで、若林正恭さんはマッサージの練習台になったことがあると話していました。
若林正恭さんはかなり昔、週刊誌に熱愛をスクープされたのですが、記者が彼女だと勘違いしたお相手がなんと姉だったというオチのエピソードがあります。
彼女だと勘違いされたということは、顔があまり似ていないのかもしれませんね。
まとめ
若林正恭さんの実家は東京都杉並区久我山にあり、子供の頃は貧しい時期もあったことがわかりました。
父親とのエピソードはかなり胸に響くものがあり、素敵な父子関係だなと思います。
きっと父親は天国から若林正恭さんの活躍を応援しているはずです。