「稲川素子事務所」の代表を務めていた稲川素子さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
両親や兄弟、旦那さんや娘さんはどんな人なのか、気になりますね。
今回は、稲川素子さんの出身学校や家族について調べてみました。
稲川素子の娘はピアニストの稲川佳奈子
稲川素子さんの娘さんは、ピアニストの稲川佳奈子さんです。
稲川佳奈子さんは2歳からピアノを始め、桐朋女子高等学校音楽科ピアノ専攻を経て、1981年に桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻を卒業しました。
西日本新聞社主催「西日本音楽コンクール」にて西日本新聞社賞、朝日新聞社主催「第3回新人音楽コンクール」にて第1位大賞・グランプリ受賞・文部大臣賞を受賞しています。
稲川素子の夫は稲川長康
稲川素子さんの旦那さんは、稲川長康さんと言います。
稲川長康さんは、慶應義塾大学工学部を卒業し三井鉱山に勤務していました。
二人は1956年に結婚していますが、馴れ初めなどは公表されていません。
稲川素子の学歴
稲川素子さんが通っていた学校について調べてみました。
稲川素子の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
6年生の時に終戦を迎えました。
稲川素子の出身中学
出身中学校も公表されていません。
中学時代のエピソードもありませんでした。
稲川素子の出身高校
中学校卒業後は、女子聖学院高等部に進学しました。
こちらは現在中高一貫校で、偏差値は推定48です。
高校時代はピアノを弾くのが何よりの楽しみだったそうです。
稲川素子の出身大学
高校卒業後は、慶應義塾大学に進学しました。
稲川素子さんは文学部に在籍、現在の偏差値は79です。
19歳のときに受けた盲腸の手術で麻酔注射の失敗により体の右半分が麻痺し、大学は中退しています。
しかし65歳の時に慶應義塾大学文学部の通信教育課程に再入学し、ドイツ文学を専攻しました。
72歳のときには東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム(HSP)修士課程に3度目の挑戦で合格、自らの職業を研究テーマに生かして国際社会科学を専攻しています。
博士課程ではステージ4の大腸がんと闘いながら博士論文「戦後日本の入国管理政策の変遷と課題」を書き上げ、82歳のときに博士号を取得しました。
稲川素子の実家はお金持ちだった
稲川素子さんは、福岡県柳川市出身です。
実家は1万坪の敷地の中にテニスコートが2面あるほどの大きな屋敷で、別府にあった別荘にはグランドピアノが置かれていたそうです。
稲川素子さんは何不自由ない幼少期を過ごしたものの、戦後の農地改革で不在地主として土地を没収されると家計が火の車に陥り、甚だしい食糧難と貧苦に見舞われました。
稲川素子の生い立ち
【日本タレント名鑑HISTORY】
— 日本タレント名鑑 (@VIP_Times_Sha) June 11, 2024
芸能事務所社長の稲川素子さんが
2024年5月13日に死去されました。
日本タレント名鑑には
2010年度版から掲載されていました。
ご冥福をお祈りいたします。#訃報 #稲川素子#外国人タレント事務所#日本タレント名鑑 pic.twitter.com/utp1OhKyhc
1934年1月18日に誕生した稲川素子さんは、幼少期から通信簿に「腺病質」と書かれるような虚弱体質でした。
22歳の時に旦那さんと結婚、妊娠時は子供が逆子だったため麻酔なしで帝王切開を敢行したそうです。
その後は専業主婦として生活していましたが、50歳の時に娘さんのドラマ出演の付き添いに行くと撮影現場では演技のできるフランス人を探していました。
スタッフに頼まれ、知人を紹介するつもりで依頼を受けると、紹介する予定だったフランス人はとっくに帰国していたました。
そこで稲川素子さんは「一度引き受けたことだから、断るわけにはいかない。絶対に代理の人を探そう」と必死で代理を見つけた所そのフランス人の演技の評判は思いのほか良かったため、「稲川さんに頼めば、いい外国人が紹介してもらえる」という噂が広まったそうです。
このことをきっかけに稲川素子さんは外国人タレントをマネジメントする「稲川素子事務所」を立ち上げました。
稲川素子の父親
稲川素子さんのお父さんは一般人です。
旧家出身だったお父さんは、若い頃にヨーロッパで何年も遊学できるほどの恵まれた環境で育ったそうです。
稲川素子の母親
稲川素子さんのお母さんも一般人です。
名前や顔写真などは公開されていません。
稲川素子の兄弟や姉妹
稲川素子さんの兄弟は公表されていません。
一般家庭で育ったということもあり、兄弟がいたとしても一般人なのではないかと思われます。
まとめ
一般人だった稲川素子さんは、娘さんの付き添いがきっかけで専業主婦から実外国人タレントを多く抱える事務所の社長になりました。
今後も芸能界や娘さんの活躍を、空の上から見守ってほしいと思います。