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いとうせいこうって何者?出身高校や大学・事務所や年収なども調査

いとうせいこうって何者?出身高校や大学・事務所や年収なども調査 タレント

個性豊かな人達が揃う芸能界の中でも、特に多才な人物と言われるいとうせいこうさんは、作家、詩人、作詞家、エッセイスト、ミュージシャン、編集者、俳優などマルチな分野で才能を発揮されています。

今回はそんな才能に溢れるいとうせいこうさんの経歴や学歴を調べていきましょう!

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いとうせいこうは何者なの?

ウィキペディアにもマルチな活動経歴があり、ネット上でも「いとうせいこうって本業は何?」という声も少なくありません。

それぞれの分野でどのような活動をしているのでしょうか!

いとうせいこうは若い頃芸人だった

幼いころから人を笑わせることが好きだったといういとうせいこうさんは、芸人をされていた経歴もあります。

大学在学中からピン芸人として活動をしていたようですが具体的な情報はあまり見つかりませんでしたが、ピン芸人として活動していたようです。

ピン芸人の中でも才能に溢れていると言われているバカリズムさんからいとうせいこうさんは「師匠」と慕れていて、当時TBSで『ウンナンのホントコ!』という番組でレギュラーポジションで出演していたいとうせいこうさんが前説をしていたバカリズムさんをバックアップしていたというエピソードを明かしていました。

またくりぃむしちゅーの上田晋也さんもいとうせいこうを恩人と慕っていて、2001年~2008年にかけて放送されていた深夜番組『虎の門』で2人は関わっていたようですね。

討論コーナーを仕切っていたいとうせいこうさんは、当時上田晋也さんと番組を共演していたことがきっかけで、上田さんにスポットライトが当たるようになっていったことを明かしていました。

いとうせいこうさんはギャグを披露するスタイルではなく高学歴芸人として活動されていたようです。

日本語ラップやヒップホップの先駆者

知的で落ち着いた印象があるいとうせいこうさんですが、実は日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめた人物で日本語ラップの先駆者の一人です。

現在、ロロロ(クチロロ)、レキシ、DUBFORCE、いとうせいこう is the poetで活動しており、俳優の姿だけ知っていた方などはイメージとのギャップに衝撃を受けている方もいるようでした。

ラップとの出会いは1980年代にアメリカのヒップホップグループ、シュガーヒル・ギャングを米軍放送で耳にしたことだと語っていて、日本のヒップホップ界にいとうせいこうさんが大きく関わっていることはネット上でも明らかです。

小説家としても活躍

幼いころから本が大好きだったいとうせいこうさんは、1988年に小説『ノーライフ・キング』でデビューしました。

そして1999年に『ボタニカル・ライフ』で第15回講談社エッセイ賞を受賞してあっという間に才能が開花し、その後も『想像ラジオ』で第35回野間文芸新人賞受賞をしています。

これまで『我々の恋愛』や『どんぶらこ』、『小説禁止令に賛同する』、『今夜、笑いの数を数えましょう』や『国境なき医師団になろう!』など数々の作品を執筆していますが、小説家としてだけではなく他にも同時にたくさんの仕事をこなしているのがすごいですよね。

いとうせいこうのプロフィールや経歴

生年月日:1961年3月19日
身長・体重:170cm、64kg
出身地: 東京都
星座:うお座
血液型:AB型

元参議院議員の伊藤郁男さんを父親にもついとうせいこうさんは「MARCH」と言われる難関私大を卒業しています。

お父さんの職業からも察すると、いとうせいこうさんはどちらかといえば厳格な家庭環境で育ったのかもしれませんね。

大学卒業後、講談社に入社したいとうせいこうさんは編集者を経て作家、クリエーター、作詞家、ラッパー、ベランダーなど数々の肩書きを持ちあらゆる分野で活躍することになります。

音楽活動では1986年にリリースしたアルバム「建設的」の発売30周年を記念し「いとうせいこうフェス」というイベントも開催されていました。

作家/クリエイター活動については、一時期書こうとしても嫌になる状態が続いていたことも明かしています。

その間は奥泉光さんという作家と「文芸漫談」というイベントを年3回くらいのペースで行っており作家じゃなかった期間もあったようですね。

これだけマルチに活動していることはきっと簡単なことではないかと思いますが、いとうせいこうさんは「ブレずに同じようなテンポでじーっとやっていくってことが大事。一日に2時間とか3時間必死にそれをやることを10年、20年続けていくこと。突然名人になれるわけじゃないけど、好きだからそれが苦じゃないんだよね」と明かしていました。

既に全ての夢が叶っているように見えますが、インタビューで「書いた小説が全世界で読まれてほしい」と話していていとうせいこうさんは向上心が素晴らしくこれからもどんどん夢が広がっていくのではないでしょうか。

いとうせいこうの学歴

いとうせいこうさんは大人気シリーズ映画『男はつらいよ』の主人公・寅さんの故郷としておなじみの東京都葛飾区という下町で生まれ育ちました。

人情味に溢れた町でいとうせいこうさんはどんな幼少期を送っていたのでしょうか。

学歴について調べてみました!

いとうせいこうの出身小学校

出身小学校は葛飾区立鎌倉小学校です。

幼少期はとにかく本が大好きだったいとうせいこうさんは、横断歩道の途中でも座りこむぐらい本に夢中になり両親も大変だったことを自身でも明かしていました。

また小学生の時の夢は昆虫博士で昆虫を採ってきては標本を作っていたそうで、ごく普通のかわいらしい小学校生活を送っていたようですね。

いとうせいこうの出身中学

中学受験をしたいとうせいこうさんは中高一貫制の東邦大学付属中学を卒業しています。

いとこのお兄さんが医者を目指して東邦大学付属東邦高校に通っていたことから、影響を受けて東邦大学付属中学に行くことを決めたそうですがかなりの進学校だったため、入学後すぐに勉強についていけなくなっていったことを明かしていました。

ただ中学から高校まで応援団をしていたいとうせいこうさんは当時副団長も務めていたようで、部活に励んでいたようですね。

いとうせいこうの出身高校

中高一貫制のため、高校も中学と同じく東邦大学付属の高校に通っていました。

進学校ではありながらも不良と言われる生徒も中にはいたそうで、先生と関係が良好だったいとうせいこうさんは不良と言われる生徒との間に立つことが多かったようです。

当時からの夢だった弁護士としての一面がこの頃から垣間見えてすごいですよね。

いとうせいこうの出身大学

いとうせいこうさんは一流大学である早稲田大学法学部を卒業しています。

「大学に入るまでに死ぬ気で勉強していた」ことを明かしているいとうせいこうさんは
弁護士になりたいという夢があり大学受験では早稲田大学と中央大学を2つ受けて両方受かっています。

結局、中学高校と応援団をしていたため早慶早慶戦を見たいという理由から早稲田大学を選んだようです。

入学後、学部のオリエンテーションに行くと先輩が「1年目は7時間、2年目は8時間司法試験まで毎日勉強、とにかく毎日六法全書を覚える」という話を聞き、嫌になっていきました。

死ぬ気で大学受験を頑張ったいとうせいこうさんは当時鬱病になっていたことを明かしていて、始まりはとても楽しい大学時代とは言えなかったようですが、最終的に鬱病が治っっていき楽しい大学生活を送れていたことを明かしています。

いとうせいこうの所属事務所

いとうせいこうさんは、2008年3月から株式会社キューブに所属しています。

所属している芸能人にはファーストサマーウイカさん、藤木直人さん、古田新太さんなどが所属されていました。

マネージメントだけではなく音楽、演劇、映像の企画制作を自社でマルチに行う事務所で、いとうせいこうさんももちろん所属されている方を見てもマルチに活躍されている方ばかりで納得ですよね。

いとうせいこうの年収

公表されていないため、あくまで推測にはなりますが、作家、詩人、作詞家、エッセイスト、ミュージシャン、編集者、俳優などこれだけ多方面で活躍されているためかなりの年収をもらっていることは間違いないでしょう。

ちなみに、俳優の平均年収は618万円と言われているため、これにプラスで他の活動を含めると年収1000万円は超えるのではないかと予想します!

いとうせいこうさんは、2021年にお子さんが誕生したことを報告されているためこれからも更にお仕事の幅を広げていかれることでしょう。

まとめ

今回はいとうせいこうさんのプロフィールや経歴についてご紹介しました。

現在大御所と言われる芸人からも恩人と慕われているいとうせいこうさんは、マルチな才能はもちろん素晴らしい人柄があって芸能界でも長く活躍されているのかもしれませんね。

これからもいとうせいこうさんの新たな活動に注目が集まっていくことでしょう!

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