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市川團十郎の実家や家系図がすごい!祖父や父親と母親・妹はどんな人?

ichikawadanjuro_family 歌舞伎役者

十三代目 市川團十郎さんは、代々続く歌舞伎家庭で育ちました。

祖父や父親、母親、そして妹さんはどんな人なのでしょうか。

今回は、十三代目 市川團十郎さんの家族について調べてみました。

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市川團十郎の実家や家系図がすごい!

市川團十郎さんは、歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされているという環境で生まれ育ち、歌舞伎役者になりました。

実家は東京都目黒区内にありましたが、2021年に売却され、今はコインパーキングになっています。

市川團十郎さんが住んでいた実家は祖父が建て、お父さんが引き継いでいました。

建築当初は300坪の土地に9つの部屋、さらに稽古場もある豪勢なお屋敷だったそうです。

祖父が亡くなりお父さんが19歳のときに家督を継ぎ屋敷の主となると、義父の連帯保証人だった十二代目 市川團十郎さんはバブル崩壊による義父の事業の失敗で20億円もの借金を背負うことになり、自宅の土地と建物を担保にし、借金を肩代わりしたのが長年ビジネスパートナーだった松竹でした。

完済と同時に返却する約束だったそうで、そのめどが立ったことから十三代目市川團十郎さんが実家を手放すことを決意したそうです。

市川團十郎の祖父は十一代目市川團十郎

十三代目市川團十郎さんの祖父は、十一代目市川團十郎さんです。

十一代目市川團十郎さんは、1915年の帝国劇場『山姥』の怪童丸にて6歳で松本金太郎を名乗り初舞台を踏むと、1925年には『つぼみ座』という研究劇団を旗揚げしました。

1940年5月に九代目市川海老蔵を襲名、海老蔵時代は「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こしました。

そんな十一代目市川團十郎さんは1965年11月10日に胃癌で亡くなりました。

市川團十郎の父親は十二代目市川團十郎

十三代目市川團十郎さんのさんの父親は、十二代目市川團十郎さんです。

十二代目市川團十郎さんは、1953年10月の歌舞伎座にて『大徳寺』の三法師公で初舞台を踏み、1958年5月の歌舞伎座にて『風薫鞍馬彩』の牛若丸で六代目市川新之助を襲名、1969年11月 歌舞伎座にて『助六由縁江戸桜』の助六、『勧進帳』の富樫などで十代目市川海老蔵を襲名しました。

1985年には歌舞伎座の3ヵ月に亘る襲名披露興行で『勧進帳』の弁慶、『助六』の助六ほかを勤め、十二代目市川團十郎を襲名、日本俳優協会理事、伝統歌舞伎保存会、2002年 文化審議会委員を適任しました。

2004年に白血病を発症、2005年6月に白血病が再発し、2013年2月3日に肺炎のため66歳で亡くなっています。

市川團十郎の母親は堀越希実子

十二代目市川團十郎さんのお母さんは、堀越希実子さんと言います。

堀越希実子さんは学習院大学仏文科卒業後に十二代目市川團十郎」さんと結婚、現在は着物ブランド「茶屋ごろも」、ブライダル和装ブランド「麗」のデザイン・監修を手がけ、多忙な日々を送っています。

市川團十郎の妹は四代目市川翠扇

十二代目市川團十郎さんの妹さんは、日本舞踊市川流の四代目市川翠扇さんです。

四代目市川翠扇さんは、2006年8月に日本舞踊市川流の三代目市川ぼたんを襲名、8月22日・23日に東京・三宅坂の国立劇場で行われた「市川流舞踊会」で襲名披露しました。

2008年に舞台『瞼の母』で女優デビュー、2019年8月3日には四代目市川翠扇を襲名しています。

まとめ

歌舞伎一家という環境で育った市川團十郎さんは、自身も歌舞伎役者になり、代々受け継がれてきた伝統を守っています。

今後も市川團十郎さんらしく舞台で活躍していけるよう、応援していきたいと思います。

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