スケートボード選手の吉沢恋さんの父親は介護士として働きながら娘をサポートしています。
また、吉沢恋さんの兄もスケートボードをやっているそうなのですが、どんな人なのでしょうか。
そこで今回は、吉沢恋さんの家族や実家について調べていきたいと思います。
吉沢恋の父親はどんな人?
吉沢恋さんの父親は吉沢功さんという方で、年齢は58歳だということがわかっています。
#吉沢恋 選手の金メダルについて、客席で見つめた父の功さんは「持てる力を出し切った。200点満点」とほめたたえました。
— 岩佐友 (@yu_iwa3) July 29, 2024
ちなみに飛行機が大の苦手で今回が人生初の海外。
「これから帰るのにも十何時間かかるのでストレスがある。次は自分との闘いです…」と話していました。https://t.co/30ZkwsEypc pic.twitter.com/r8je4M1zed
幼少期に子供たちがスケートボードを習い始め、当時功さんは習い事をさせている感覚でした。
功さんは若い頃サッカーをしていたのですが、チームスポーツのためどんなに努力しても結果が伴わない理不尽さを感じたことがあったそうです。
個人競技のスケートボードについて『スケボーはケガをする恐怖を感じつつも技を出すのに最大の勇気を出さなければならず、それは社会に出てもきっと役に立つ』と功さんは話していました。
また、功さんは娘のために送り迎えを率先するなど活動をサポートしています。
介護士で娘のために転職
元々、父親の功さんは保育士として働いていましたが、吉沢恋さんがスケボーで頭角を現したことで遠征が増え、付き添わなければならないことが増えていったのです。
吉沢選手、スポンサーがついてなくて海外遠征も自費ってどゆことと思ってたらこういう事情だったのか…本人の努力もだし家族のサポートよ…!凄い。
— KACO︎︎︎︎︎ (@KACO_dmno1) July 28, 2024
近所の公園で世界レベルの大技完成、五輪の決勝見て「これ私がやってるヤツ」…世界が吉沢恋を知る日 : 読売新聞オンライン https://t.co/4ssHnaB5Ur
そのため功さんは保育士から比較的勤務の融通が利く介護士への転職を決め、娘の活動を支えていくことにしました。
功さんは海外遠征の費用も負担していたそうなので金銭的にもかなり大変だったのではないでしょうか。
しかし、『ケガはして欲しくないけど楽しんでくれればそれでいい』と吉沢恋さんの活躍を心から願っていました。
2024年7月のパリ五輪でも現地で応援し、吉沢恋さんは見事金メダルに輝いたことは功さんにとって最上の喜びだったはずです。
吉沢恋の兄はどんな人?
吉沢恋さんの兄は吉沢心(しん)さんという方で、年齢は吉沢恋さんよりも4歳年上です。
学生なのか社会人なのかは情報がありませんでした。
兄の心さんの影響で吉沢恋さんはスケートボードを始めたので、兄がいなければ吉沢恋さんはパリ五輪の舞台に立つことはなかったのかもしれません。
心さんは吉沢恋さんの活躍を心から応援しているそうなので、今回の金メダルという結果は何よりも嬉しかったはずです。
吉沢恋の実家は相模原
吉沢恋さんの実家は神奈川県相模原市にありますが、詳しい場所は不明です。
【速報】
— 相模原市シティプロモーション (@Sagamihara_PR) July 28, 2024
相模原市ゆかりのアスリート吉沢恋選手がスケートボード 女子ストリート決勝で金メダル獲得。
画面の前で終始声を出しながら応援。最高に格好良かったです。本当におめでとうございます。#パリ2024 #スケボー pic.twitter.com/ua1N7tw0Jb
パリ五輪で金メダルを獲得した吉沢恋さんなので、もはや相模原市の顔となっていることは間違いありませんね。
学校の先生や友人、地元のスケートボード仲間たちは、吉沢恋さんの金メダルに大興奮だったのではないでしょうか。
吉沢恋の生い立ち
【パリ五輪】「金メダルに恋した14歳!」名実況の倉田大誠アナに絶賛の嵐https://t.co/caII8a5nMb
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 28, 2024
スケボー女子・吉沢恋の金メダルが決まると絶叫。東京五輪の「13歳、真夏の大冒険」に続く名フレーズに「倉田アナ神実況」などと絶賛する声がネット上で相次いでいる。
吉沢恋さんは、2009年9月22日に神奈川県相模原市で生まれました。
7歳の頃にスケートボードを始め、負けず嫌いな性格でもあった吉沢恋さんは、競技の魅力にハマっていきます。
中学生になるまでスマートフォンを持っていなかったという吉沢恋さんは、自分がどのレベルに達しているのか気づいておらず、小学5年生の時に開催された東京五輪で初めて知ることとなりました。
吉沢恋さんが普段練習していた『ビッグスピンボード』という大技を決めた選手が金メダルに輝いたのです。
東京五輪がきっかけとなり、吉沢恋さんは世界へ挑戦する決意を固めました。
以降は家族やスケーター仲間に支えられ、若干14歳という若さで世界の頂点に立つこととなります。
吉沢恋の母親
吉沢恋さんの母親は吉沢しのぶさんという方で、年齢は46歳ということがわかっています。
職業は保育士で長年の経験から培ったノウハウを自身の子育てにも発揮していたのではないでしょうか。
父親の功さんと協力して吉沢恋さんがスケートボードに集中できる環境を整えました。
吉沢恋さんが世界に挑戦を始めてからは、とても大変な日々だったと思いますが、娘の努力が報われたことは天にも昇るほどの嬉しさを感じたはずです。
金メダリストとはいえ、吉沢恋さんはまだ14歳ですし、これからも母親の存在は重要なのではないでしょうか。
まとめ
吉沢恋さんの父親は保育士から介護士へ転職し、母親とともに献身的に娘をサポートする素敵な方でした。
そして兄の心さんがいなければ、吉沢恋さんはスケートボードを始めていなかったかもしれません。
とても素敵な家族の支えがあり、パリ五輪金メダルを獲得したと思うと胸が熱くなりました。