テレビで「笑わない弁護士」として知られる北村晴男さん。
真顔でズバッと本質を突く姿に惹かれた方も多いのではないでしょうか。
ただ、そんな北村さんがどんな学生時代を過ごし、どのような家庭環境で育ってきたのかはあまり知られていません。
高校や大学はどこなのか、家族はどんな人たちなのか…気になるけれど、情報がまとまっていなくて調べづらいと感じた方もいるかもしれません。
この記事では、北村晴男さんの学歴や経歴はもちろん、実家や両親・兄弟についての情報も丁寧に整理しています。
知れば知るほど、彼の真っ直ぐな信念や価値観の源が見えてくるかもしれません。
北村晴男の年収がすごい!
北村晴男さんの年収は正式に公表されていませんが、その活躍ぶりから「かなり稼いでいる」と推測する人が多いようです。
弁護士の年収は個人差が大きく、独立開業している弁護士の平均年収は1000万円前後といわれています。
しかし、北村晴男さんの場合はそれをはるかに上回ると考えられます。
テレビ番組『行列のできる法律相談所』への出演が知名度向上のきっかけとなり、現在では”タレント弁護士”としての地位を確立しています。
テレビ、ラジオ出演に加え、講演会、執筆活動、YouTubeなど多方面で活躍し、その活動範囲は非常に広いです。
特に講演会は1回あたり数十万円から100万円以上の報酬があるとされ、年間でみると相当な収入になると推測されます。
また、東京都新宿区の「北村晴男法律事務所」代表として、法律相談や企業案件も手がけています。
弁護士としての本業も継続しているため、そこからの収入も当然見込まれます。
ネット上では「テレビ出演も多いので年収1億円は超えているだろう」という意見がある一方、「最近はメディア露出が減ったのでは」という冷静な見方もあります。
正確な金額は不明ですが、これらの多岐にわたる活動を考慮すると、年収が数千万円から1億円近くに達していても不思議ではないでしょう。
北村晴男の学歴
北村晴男さんが通っていた学校について調べてみました。
北村晴男の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
地元の小学校に通っていたと思われます。
北村晴男の出身中学
出身中学校も公表されていません。
1年生の時に野球部に所属していたものの、2年生の時に野球部が廃部になりました。
その理由は「野球は体育の教科にない。それに野球はバットを振り回してけがの恐れがある」というもので、納得がいかなかった北村晴男さんは卒業まで毎日先生に抗議したものの野球部復活とはなりませんでした。
北村晴男の出身高校
中学校卒業後は、長野県長野高等学校に進学しました。
偏差値は、69です。
高校時代は野球部に3年間所属していました。
野球漬けの日々でしたが、チームの力不足から甲子園の夢は叶えられませんでした。
北村晴男の出身大学
高校卒業後は、一浪し早稲田大学に進学しました。
北村晴男さんは法学部に在籍、偏差値は67.5です。
2年生の時、当時住んでいた自宅アパートの近くに部屋を借りて小さな学習塾を開きました。
卒業後も塾経営で生計を立てていましたが、弁護士になる前に閉めています。
北村晴男のプロフィールや経歴
中二病速報 : 「行列」北村晴男弁護士が分析 高畑裕太 不起訴の背景と弁護人コメントを探る https://t.co/WG2gJ70sWE pic.twitter.com/gIeOAV37qa
— ミカにゃん (@0930mika) September 22, 2016
名前:北村晴男
生年月日:1956年3月10日
出身地:長野県
血液型:AB型
身長:非公開
北村晴男さんは大学卒業後も司法試験に挑戦し続け、1986年に8回目の挑戦でようやく合格を果たしました。
1989年に司法修習(41期)を修了し、東京弁護士会に登録。
その後、1992年には自身の「北村法律事務所」を設立しています。
2000年代に入ると加藤信之さんや佐野周造さんが加わり、事務所名も「北村・加藤・佐野法律事務所」へと変更されました。
もともと”現場の弁護士”として活動していた北村晴男さんがテレビに出演し始めたのは1995年のこと。
『ウンナンの桜吹雪は知っている』(フジテレビ)への出演をきっかけに、徐々にお茶の間でも認知されるようになりました。
2000年からは『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)のレギュラーとして「笑わない弁護士」という独特のキャラクターで話題を集め、一躍ブレイクします。
厳格な表情とは対照的に、実直で誠実な語り口に多くの視聴者が引き込まれていきました。
また、北村さんはSNSやインターネットを活用した情報発信にも積極的です。
2021年5月にはYouTubeチャンネル『北村晴男ちゃんねる』を開設。
「若い世代にもっと社会や歴史について考えてほしい」という思いから、時事問題や法律トピックをわかりやすく解説する場として活用しています。
2023年10月には日本保守党の法律顧問に就任したことを発表し、政界との関わりを持ちながらも、引き続き社会に向けて自らの考えを発信し続けています。
弁護士としての地道な活動だけでなく、テレビやYouTube、政治的な活動まで幅広く展開する北村晴男さん。
その行動力と芯の強さに、多くの人が惹かれているのではないでしょうか。
北村晴男の実家
北村晴男さんは長野県更埴市(現在の千曲市)で生まれ育ちました。
実家の詳しい住所は公表されていませんが、地元では昔からの顔なじみとして知られていたようです。
特に北村さんの父親は町の鉄工所を経営し、地元でよく知られる存在でした。
この職人肌の家庭環境が、北村さんの誠実さや曲がったことを嫌う性格に影響を与えたのかもしれません。
北村さん自身もインタビューで「父はとても厳しい人だった」と語り、幼少期から家業の鉄工所の仕事を間近で見て育ったといいます。
この環境で自然と職人の世界ならではの責任感や礼儀を学んだのでしょう。
長野市と上田市の中間に位置する自然豊かな更埴(千曲)地域の、のびのびとした土地柄も、北村さんの芯のある性格を育んだ重要な要素といえるでしょう。
現在の北村さんの発信や行動からは、地方出身ならではの実直さと、自分の信念をはっきり言葉にする力が際立っています。
これはまさに「生まれ育った環境」に深く根ざしているのではないでしょうか。
北村晴男の生い立ち
北村晴男さんは1956年3月10日、長野県更埴市(現在の千曲市)に生まれ、自然豊かな環境でのびのびと育ちました。
外遊びを好み、特に野球に夢中になった彼は、小学生時代からボールを追いかけ、中学では迷わず野球部に入部するほどの熱中ぶりでした。
しかし、そんな大好きな野球部が突然廃部になります。
校長先生や教師から十分な説明がなかったことに、北村さんは強い疑問と悔しさを抱きました。
納得できない状況に抗議の声を上げたものの、学校側に真剣に取り合ってもらえず、思春期の彼には深い無力感と怒りが残りました。
この体験が「理不尽な力には屈しない」という北村さんの信念の原点になったと、本人も振り返っています。
後年、テレビやインタビューで北村さんは「このときの悔しさが、正義を貫きたいという気持ちにつながった」と語っています。
弁護士という職業を選ぶ土台がこの時期に育まれたことがうかがえます。
自分の意見をはっきり伝え、道理に合わないことには屈しない姿勢は、少年時代の原体験に深く根ざしているのです。
このエピソードは、テレビで見る華やかな姿からは想像しにくいかもしれませんが、誠実さと強い正義感を大切にする北村晴男さんらしい生い立ちと言えるでしょう。
北村晴男の父親
北村晴男さんのお父さんは、北村晴利さんと言います。
お父さんは北海道・阿寒郡鶴居村出身で、東京での工場勤務を経て長野に移り住み、その後自宅の敷地内で鉄工所を営んでいました。
土日も休まず、朝から晩まで働いていた姿に北村晴男さんは「どうしてあんなに働けるんだろう」「父ちゃんは遊びたくないのかな」と思っていたそうです。
仕事熱心なお父さんは子育てにも手を抜かず、頑固で厳しいながらも子供たちに自分の苦労話を聞かせるなど愛情をもって接していました。
70歳を過ぎたころに鉄工所の仕事をリタイアすると、「俺は発明で一旗揚げるんだ」と発酵食品や太陽光を使った炊飯器などいろいろなものを作りコンクールにも応募していました。
そんなお父さんは、2017年に95歳で亡くなっています。
北村晴男の母親
北村晴男さんのお母さんは、北村はな子さんと言います。
幼い頃の北村晴男さんは、自分でも思うくらいお母さんにそっくりなんだそうです。
赤ちゃんの頃に心臓が弱かった北村晴男さんを心配し溺愛していたお母さんは、北村晴男さんが野球をやるのもあまりいい思いはしておらず、学校に電話をして北村晴男さんを早めに帰宅させたこともありました。
そんなお母さんはとにかく社交的で、いろいろな集まりに顔を出しては皆さんとおしゃべりをするのが好きな人だったそうです。
お父さんが亡くなった2年後、お母さんは末期の膵臓がんで入院し92歳で亡くなりました。
北村晴男の兄弟や姉妹
北村晴男さんには7歳年上のお兄さんがいます。
お兄さんは一般の方であるため、名前や顔写真などの詳細は公表されていません。
北村さんの家庭では、鉄工所を営んでいたお父さんが息子2人に「いずれはどちらかが跡を継いでほしい」と話していたそうです。
そのため、現在はお兄さんが家業を引き継いでいる可能性もあると考えられます。
兄弟関係については具体的なエピソードが多く語られていませんが、北村さん自身の発言や雰囲気から、厳格なお父さんに育てられた共通体験を通じて深い絆で結ばれていたと推測できます。
北村さんは若い頃から「理不尽なことが嫌いだった」と語っており、この価値観の形成には家庭環境や兄弟関係も影響しているでしょう。
また、姉妹がいるという情報は確認されておらず、北村さん自身も言及していないことから、兄と北村さんの二人兄弟と見られています。
限られた情報の中でも、地元・長野で家族と過ごした時間が、現在の誠実で一本筋の通った人物像を形作ったことは想像に難くありません。
まとめ
高校時代までは野球に打ち込んでいた北村晴男さんですが、中学生のときに体験した理不尽な出来事をきっかけに、「筋の通らないことには屈しない」という信念を持つようになりました。
その思いを胸に司法試験に挑み続け、8回目の受験で合格をつかみ取ったというエピソードには、胸を打たれた方も多いのではないでしょうか。
弁護士としての実績はもちろん、テレビやYouTube、政治活動など幅広い分野で活躍を続ける北村晴男さん。
その背景には、家族との絆や地元・長野での生い立ちといった、揺るがぬルーツがあることが伝わってきました。
今後の活動にもますます注目が集まりそうです。
