「笑わない弁護士」として注目を集めた弁護士・北村晴男さんは、どこの高校や大学出身の方なのでしょうか。
お父さんやお母さんも弁護士関係の方なのでしょうか。
今回は、北村晴男さんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。
北村晴男の年収がすごい!
北村晴男さんの年収は公表されていません。
弁護士の年収はそれぞれ異なり、平均は1000万円ほどといわれています。
北村晴男さんの場合は独立して事務所を持っていること、テレビやYouTubeなどに出演し知名度が高いこともあり億越えではないかと噂されています。
北村晴男の学歴
北村晴男さんが通っていた学校について調べてみました。
北村晴男の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
地元の小学校に通っていたと思われます。
北村晴男の出身中学
出身中学校も公表されていません。
1年生の時に野球部に所属していたものの、2年生の時に野球部が廃部になりました。
その理由は「野球は体育の教科にない。それに野球はバットを振り回してけがの恐れがある」というもので、納得がいかなかった北村晴男さんは卒業まで毎日先生に抗議したものの野球部復活とはなりませんでした。
北村晴男の出身高校
中学校卒業後は、長野県長野高等学校に進学しました。
偏差値は、69です。
高校時代は野球部に3年間所属していました。
野球漬けの日々でしたが、チームの力不足から甲子園の夢は叶えられませんでした。
北村晴男の出身大学
高校卒業後は、一浪し早稲田大学に進学しました。
北村晴男さんは法学部に在籍、偏差値は67.5です。
2年生の時、当時住んでいた自宅アパートの近くに部屋を借りて小さな学習塾を開きました。
卒業後も塾経営で生計を立てていましたが、弁護士になる前に閉めています。
北村晴男のプロフィールや経歴
中二病速報 : 「行列」北村晴男弁護士が分析 高畑裕太 不起訴の背景と弁護人コメントを探る https://t.co/WG2gJ70sWE pic.twitter.com/gIeOAV37qa
— ミカにゃん (@0930mika) September 22, 2016
名前:北村晴男
生年月日:1956年3月10日
出身地:長野県
血液型:AB型
身長:非公開
大学卒業後も司法試験に挑戦していた北村晴男さんは、1986年に8回目の挑戦で見事合格しました。
1989年には司法修習41期を修了し東京弁護士会に弁護士として登録され、1992年に北村法律事務所を開設、2003年には加藤信之さん、2004年4月には佐野周造さんがそれぞれ経営に参画し、北村・加藤・佐野法律事務所に名称を変更しています。
1995年10月~1996年7月に『ウンナンの桜吹雪は知っている』に出演したことをきっかけにテレビでも活躍するようになり、2000年からは『行列のできる法律相談所(現・行列のできる相談所)』に出演、「笑わない弁護士」としてブレイクしました。
2021年5月からは「将来を担う若者たちに日本の歴史や様々な社会問題について自分の頭で考えてほしい」という思いで自身のYouTubeチャンネル『北村晴男ちゃんねる』をスタート、2023年10月に日本保守党の法律顧問に就任したことを公表しました。
北村晴男の実家
北村晴男さんは、長野県更埴市(現・千曲市)出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
実家ではお父さんが鉄工所を営んでいました。
北村晴男の生い立ち
1956年3月10日に誕生した北村晴男さんは、外で遊ぶことが大好きな子供でした。
幼い頃から野球が大好きで、中学では野球部に入部し毎日を楽しく過ごしていました。
しかし野球部が廃部になり、校長先生や教師たちから納得のいく説明がなく抗議しても相手にしてもらえなかったことからやり場のない怒りを抱え、「理不尽な力には屈しない」という信念が芽生えたことが弁護士の原点だったそうです。
北村晴男の父親
北村晴男さんのお父さんは、北村晴利さんと言います。
お父さんは北海道・阿寒郡鶴居村出身で、東京での工場勤務を経て長野に移り住み、その後自宅の敷地内で鉄工所を営んでいました。
土日も休まず、朝から晩まで働いていた姿に北村晴男さんは「どうしてあんなに働けるんだろう」「父ちゃんは遊びたくないのかな」と思っていたそうです。
仕事熱心なお父さんは子育てにも手を抜かず、頑固で厳しいながらも子供たちに自分の苦労話を聞かせるなど愛情をもって接していました。
70歳を過ぎたころに鉄工所の仕事をリタイアすると、「俺は発明で一旗揚げるんだ」と発酵食品や太陽光を使った炊飯器などいろいろなものを作りコンクールにも応募していました。
そんなお父さんは、2017年に95歳で亡くなっています。
北村晴男の母親
北村晴男さんのお母さんは、北村はな子さんと言います。
幼い頃の北村晴男さんは、自分でも思うくらいお母さんにそっくりなんだそうです。
赤ちゃんの頃に心臓が弱かった北村晴男さんを心配し溺愛していたお母さんは、北村晴男さんが野球をやるのもあまりいい思いはしておらず、学校に電話をして北村晴男さんを早めに帰宅させたこともありました。
そんなお母さんはとにかく社交的で、いろいろな集まりに顔を出しては皆さんとおしゃべりをするのが好きな人だったそうです。
お父さんが亡くなった2年後、お母さんは末期の膵臓がんで入院し92歳で亡くなりました。
北村晴男の兄弟や姉妹
北村晴男さんには、お兄さんがいます。
7歳年上のお兄さんは一般人で、名前や顔写真は公開されていません。
お父さんは息子2人に跡継ぎになるよう言っていたそうなので、お兄さんが実家を継いだのかもしれません。
まとめ
高校生までは野球少年だった北村晴男さんは、中学の時に芽生えた「理不尽な力には屈しない」という思いから弁護士になりました。
何度試験に落ちても諦めなかった北村晴男さんの活躍を今後も応援していきたいと思います。