歌手、女優、タレントとマルチに活動している仁支川峰子さんは、どんな人なのでしょうか。
これまでに経験したという事故や病気は何だったのでしょうか。
今回は、仁支川峰子さんの経歴や経験した事故・病気などについて調べてみました。
仁支川峰子の若い頃
仁支川峰子さんの若い頃の姿はこちらです。
#似てると言われた芸能人
— けけちゃま (@fumickey555) April 13, 2024
若かりし頃の西川峰子さん
飲み屋の仕事してたとき、お客さんのおじさんたちによく言われた😂 pic.twitter.com/XyhixaGMOw
脏手指の客入れSEで聞き覚えがある昭和歌謡曲がかかっててこれ誰だっけ〜って思ったら西川峰子の「あなたにあげる」だった。小林旭もかかってた。
— MOTZ (@sss_motz) April 13, 2024
そういうバンドです。 pic.twitter.com/OQvgs7j8XK
とても可愛らしいですね。
仁支川峰子は過去に大事故に遭っていた
仁支川峰子さんは、32歳の時にマネージャーが運転する車が3回転半する大事故を起こし、怪我をしました。
当時仁支川峰子さんは車内で仮眠をしていたそうで、医師には「数か月入院しなきゃダメ」と言われていたものの出演舞台のために4~5日で退院、コルセットを首に巻きながら舞台に立っていたと明かしています。
安静にしていた時間が短いため今でも寒い時期には首のあたりに痛みが出るものの、大きな後遺症はないそうです。
仁支川峰子は過去にがんを克服・他に病気は?
仁支川峰子さんは、21歳の時に卵巣のう腫を患い、さらに水ぼうそうも発症しました。
水ぼうそうは喉にまで移り、それが肺にもいったら終わりといわれていたそうです。
そして51歳の時には甲状腺がんが発覚し、手術を行いました。
しかし医療ミスで1日に2回手術することになってしまい、仁支川峰子さんは「全身麻酔を1日2回、大量入れられて死にかけた」、「3日間で10回死にかけた」と明かしています。
甲状腺がんの治療以降は公表されている病気はなく、今は健康に問題はないようです。
仁支川峰子が改名した理由や本名
仁支川峰子さんの本名は、「福田 峰子 (ふくだ みねこ)」さんと言います。
「西川峰子」名義でデビューし活動していましたが、2009年の『くちこみっ!大捜索2!!本当に凄い(秘)占い師テレビ解禁スペシャル!!』番組内において「西川」から「仁支川」に改名しました。
改名の理由は、以前から「西川峰子」の文字の印象がカクカクしていて好きではないと感じていたからだそうです。
仁支川峰子のプロフィールや経歴
住宅被害経験者は語る 仁支川峰子、『奈落のマイホーム』特別インタビューに登場(クランクイン!) https://t.co/g5kuz1zGyl pic.twitter.com/eY4VFZk2DT
— おのでら (@onoderaaichi) November 9, 2022
名前:仁支川峰子
生年月日:1958年5月23日
出身地:福岡県
血液型:A型
身長:163cm
所属事務所:スタッフ・アップ
1973年に『第3回全日本歌謡コンテスト』で優勝したのをきっかけに芸能界入りを果たした仁支川峰子さんは、1974年に“やまびこ演歌”のキャッチフレーズで「あなたにあげる」で歌手デビューしました。
この楽曲はチャート1位になるなど大ヒット、第2回FNS歌謡祭最優秀新人賞、第5回日本歌謡大賞放送音楽新人賞、第16回日本レコード大賞新人賞などを受賞しています。
NHKの『NHK紅白歌合戦』には、初出場の1975年(第26回)から1978年(第29回)まで4年連続で4回出場しました。
その後、喉が潰れて声が思うように出なくなったことから演歌歌手から女優に転向、1977年の映画『人間の証明』で女優デビューしました。
さらに1982年10月6日から1983年3月30日まで『森田一義アワー 笑っていいとも!』の水曜レギュラーとして出演するなどタレント活動も開始、1993年にはヘアヌード写真集を出版しました。
仁支川峰子の所属事務所
仁支川峰子さんは、「スタッフ・アップ」に所属しています。
こちらの事務所には、筧利夫さん、三船美佳さん、秋本奈緒美さんらも在籍しています。
仁支川峰子の年収
仁支川峰子さんの年収は公表されていません。
芸歴が長く、現在もテレビで活動していることから数千万円以上になるのではないかと思われます。
まとめ
「火事以外のことが経験してきた」という仁支川峰子さんは、「嫌なことが起こっても、笑っていればいいこともある」と話していました。
これからも仁支川峰子さんが笑顔で活動し続けていけるよう、応援していきたいと思います。