音楽家として「アリス」のドラムを担当し、実業家としての顔も持つ矢沢透さんは、どんな人なのでしょうか。
出身学校はどこで、いつから音楽活動を始めたのでしょうか。
今回は、矢沢透さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
矢沢透の学歴
矢沢透さんが通っていた学校について調べてみました。
矢沢透の出身小学校
矢沢透さんは、横浜市立間門小学校に入学しました。
その後、清水市立岡小学校(現・静岡市立清水岡小学校)に転校しています。
小学生時代に初恋を経験したそうです。
矢沢透の出身中学
小学校卒業後は、清水市立第二中学校(現・静岡市立清水第二中学校)に進学しました。
中学時代にドラムと出会い、「プロのドラマーになる」と決めていました。
矢沢透の出身高校
中学校卒業後は、高校に進学しています。
学校名は公表されていません。
ドラムを叩きたいという理由から学校を休むようになり、1年生の2学期は全部遅刻したそうです。
そしてプロへの道が決まったことから中退しています。
矢沢透の出身大学
高校中退後は、音楽活動に専念しています。
そのため大学にも進学していません。
矢沢透のあだ名はなぜキンちゃん?
『金語樓独演会 話の広場 柳家金語楼』(2LP) NL2311 テイチク #落語 pic.twitter.com/OPl5EZLAjD
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矢沢透さんのあだ名は、「キンちゃん」です。
その理由は落語家の柳家金語楼さんに似ているからでした。
矢沢透のプロフィールや経歴
あのインタビュー記事読んだら、アリスがとてもとても愛おしくなった😭💖悲しい気持ちもたくさんあるけど、なるべくだったら、前向きにいきたい🥲❣️だから、今はアリスを聞いている🥹 #アリス #谷村新司 さん #堀内孝雄 さん #矢沢透 さん #大好き !!😭💖 pic.twitter.com/JYCth9YSeM
— セナ@ただ今絶賛山内惠介さんポスト多めです🤦♀️💦 (@senalifekei_k3) November 1, 2023
名前:矢沢透
生年月日:1949年2月6日
出身地:神奈川県
血液型:非公開
身長:176cm
所属事務所:カロスエンターテイメント
17歳の時にジャズドラマーとしてデビューした矢沢透さんは、多数のアーティストのバックバンドを経て、1972年に「アリス」に加入しCDデビューしました。
「アリス」活動中の1978年には、全曲オリジナルのソロアルバム『バラエティ・ツアー』をリリースしています。
1981年の「アリス」活動休止後は音楽ユニット「BLEND」として活動、2011年にはグループ「HUKUROH」を結成しました。
矢沢透の所属事務所
矢沢透さんは、「カロスエンターテイメント」に所属しています。
こちらの事務所には、早瀬久美さん、氏神一番さん、川原ひろしさんらも在籍しています。
矢沢透はギターショップを経営してる
矢沢透さんは、実業家としての顔も持っています。
ギターショップ「リムショット」は、1984年にオープンしました。
店名:リムショット
住所:東京都千代田区神田神保町1-32 ひさやビル1F
電話番号:03-3518-2528
営業時間:11:00~20:00 日曜祝日 11:00~18:00
定休日:水曜日
また同時期に居酒屋もオープンしています。
先日、ラジオ日本での収録の後、串焼き専門店の「AGATHA(阿雅左)」に初めて行きました。
— 長 麻未/JN6GII (@asami_cho_511) November 13, 2023
どの串焼きも美味しかった。写真の串焼きは、ここならではのメニュー「マープル」。
アリスの矢沢透さんのお店だと聞き、お高いのかなと思ったら…安心しました。メニューに書かれたメッセージが優しい🥰 pic.twitter.com/E97RMyy9Ly
店名:阿雅左(AGATHA)
住所:東京都港区六本木4-12-7 RBビル6F
電話番号:03-3470-2234
営業時間:18:00~0:00
定休日:日曜日
「僕が知っている昔のミュージシャンは収入が不安定。音楽がだめになっても生きていけるものがないとまずいんじゃないかな」という思いがあり、音楽以外の活動もするようになったと話していました。
ギターショップも居酒屋もとても繁盛しているそうです。
矢沢透の年収
矢沢透さんの年収は公表されていません。
音楽だけではなく実業家としても成功しているため、数千万円以上になるのではないかと思われます。
矢沢透の実家
矢沢透さんは、神奈川県横須賀市で誕生しました。
その後静岡県清水市に引っ越していますが、詳しい場所は公開されていません。
矢沢透の生い立ち
1949年2月6日に誕生した矢沢透さんは、12~13歳の頃にお兄さんが高校のブラスバンド部で小太鼓をやっていたことからお兄さんに無理矢理教えられたことがきっかけでドラムを始めました。
当時は野球がやりたかった矢沢透さんでしたが、次第にドラムにハマっていったそうです。
その頃はクラシックや行進曲の指揮者に憧れを抱いていたものの、お兄さんがジャズのレコードを買ってくるようになってからドラマーを目指すようになりました。
1965年にジャズトランペット奏者・中野彰さんのバンドボーイに友人と応募して採用されたことをきっかけにデビュー、東京を拠点に活動するプロのソウルバンド「ブラウン・ライス」のゲストドラマーだった頃に谷村新司さんと出会い、その後「アリス」が結成されました。
矢沢透の父親と母親
矢沢透さんの両親は一般人です。
名前や顔写真、職業、エピソードなどは公開されていません。
矢沢透の兄弟や姉妹
矢沢透さんには、お兄さんがいます。
4歳年上のお兄さんは高校でブラスバンド部に入るなど音楽に興味があったものの、プロの道には進んでいないようで名前や顔写真などは公開されていません。
まとめ
お兄さんの影響でドラムと出会い音楽の道に進むことになった矢沢透さんは、「アリス」としてだけではなくソロとしても活動し、実業家としても順調です。
これからも健康を第一に、活躍し続けてほしいですね。