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石黒賢の父親は元プロテニス選手!実家はお金持ち?母親や兄弟についても調査

ishiguroken_family 俳優
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1983年にデビューした俳優・石黒賢さんのお父さんは、日本プロテニス界のパイオニアとして活躍した名選手だといわれています。

お母さんや兄弟はどんな人で、実家はどこにあるのでしょうか。

今回は、石黒賢さんの家族や実家について調べてみました。

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石黒賢の父親は戦後初のプロテニスプレイヤー

石黒賢さんのお父さんは、元テニス選手の石黒修さんです。

石黒修さんは、日本プロテニス界のパイオニアとして活躍した名選手と言われ、全日本選手権はシングルス3度(1961年・1964年・1965年)、ダブルス3度(1962年・1964年・1965年)制し、混合ダブルスでは3連覇(1963年・1964年・1965年)を達成しました。

1965年にデビスカップ日本代表監督に就任、1971年に戦後初の日本人プロ選手になると、1972年には日本プロテニス協会を創設し初代理事長に就任しました。

第一線から退いた後も日本テニス協会の評議委員、日本プロテニス協会の副会長を務める傍らでベテランの部に参戦し生涯現役を貫いて、2016年11月9日に80歳で亡くなっています。

石黒賢さんはお父さんが自身の生まれ年に引退したことから試合は映像でしか見たことがなかったものの、お父さんの遺品整理をしている時に対戦相手の特徴などを分析した手帳を見つけました。

そして「うちにいる時の感じとかを見ても、テニスの試合とかを見ても父は野性的な勘で、ひらめきでプレーをする人のようなイメージを勝手に私は抱いていた」と語り、石黒賢さんのお母さんやお兄さんもお父さんの意外な一面に驚いたそうです。

石黒賢の実家はお金持ち?

石黒賢さんは、東京都世田谷区出身です。

実家の詳しい場所は公開されていないためわかりませんでした。

石黒賢さん自身はお金持ちアピールをしていませんが、お父さんがテニス界で活躍していたこと、石黒賢さん自身も中学から私立学校(成城学園)に通っていたことから幼い頃から裕福な家庭だったのだと思われます。

石黒賢の生い立ち

1966年1月31日に誕生した石黒賢さんは、子供の頃多摩川で釣りをしたり、河川敷で野球をするのが日常だったそうです。

お父さんの影響からテニスをやっており、大会にも出場していました。

ある時「テニスの出来る男の子を捜している」と知人から聞きつけたお父さんの「じゃあうちの子を」との推薦により、高校3年時に『青が散る』に主演してデビューしました。

デビュー前の幼少期にもNHK放送されていた『お笑いオンステージ』内の人気コーナー「減点パパ」にお父さんの息子として出演したことがあるそうです。

石黒賢の母親

石黒賢さんのお母さんは一般人です。

名前や顔写真などは公開されていません。

お母さんは躾に厳しかったそうで、石黒賢さんは「日常生活のあり方や礼儀などは、母からの教えが大きいと思う」と話していました。

石黒賢の兄弟や姉妹

石黒賢さんには、お兄さんがいます。

お兄さんはお父さんに誘われてもテニスはしなかったそうです。

一般人のためお母さんと同じく名前や顔写真、職業は公開されていません。

まとめ

幼少期からテニスをやっていた石黒賢さんですが、お父さんと同じ選手になることはありませんでした。

それでもお父さんの背中を見て仕事の姿勢や取り組み方の影響を受けていると話していました。

これからも石黒賢さんらしく芸能界で輝き続けてほしいですね。

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