日本の皇族家系に誕生した彬子女王ですが、両親や兄弟はどんな方なのでしょうか。
お母さまとの不仲、確執の噂は事実なのでしょうか。
今回は、彬子女王の家族について調べてみました。
彬子女王の母親は寛仁親王妃信子
お帰りなさいませ。
— 月島 (@CleverBlocker11) August 8, 2023
寛仁親王妃信子さまは8日、訪問先のハンガリーから民間機で羽田空港に帰国されました。 pic.twitter.com/6LibcWrksJ
彬子さまのお母さまは、寬仁親王妃信子さまです。
寬仁親王妃信子さまは、伯爵・牧野伸顕さんの曾孫で第45・48 ・49・50・51代内閣総理大臣・吉田茂さんの孫として誕生、第92代内閣総理大臣の麻生太郎さんはお兄さまにあたります。
日本赤十字社名誉副総裁のほか、社団法人東京慈恵会総裁、一般社団法人日本童謡学会名誉総裁、財団法人日本ばら会名誉総裁などに就任しました。
彬子女王と母親・寛仁親王妃信子の確執がやばい?
皇尊(すめらみこと)弥栄(いやさか)!
— 九段下しんのすけ (@kudansita2000) May 15, 2021
春の園遊会に臨まれる寛仁親王妃信子さま、三笠宮家の彬子さま、三笠宮家の瑶子さま、高円宮妃久子さま、高円宮家の承子さま、高円宮家の絢子さま=東京都港区の赤坂御苑で2018年4月25日#皇室を守ろう pic.twitter.com/MUlVKpL6iA
彬子女王殿下と寬仁親王妃信子さまの間には、確執があると言われています。
彬子女王さま自身も「私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も『話し合いを』と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけだった」と明かしていました。
現在は別々の住まいで暮らし、連絡を取ることもないようです。
なぜ三笠宮彬子女王と信子妃親子は不仲?
彬子女王殿下と寬仁親王妃信子さまは、彬子さまの誕生から折り合いが合わなかったというわけではありません。
彬子さまが何故お母さまと連絡を取らないまでになってしまったのか、調べてみました。
彬子女王と信子妃が不仲な理由①不信感を抱いているから
寬仁親王妃信子さまは、とても躾に厳しい方でした。
「暴力は伴わないものの、娘達を立たせたまま数時間も説教したりするなど、母親としての躾・教育を逸脱した精神的虐待を日常的に繰り返していた」と言われており、周囲も心配するほどだったそうです。
さらに、お父様の三笠宮寛仁親王親王殿下がアルコール依存症だと世間に打ち明ける数年前に、寬仁親王妃信子さまが病気療養を理由に別居、しかし別居の本当の理由は三笠宮崇仁親王殿下からの暴力から逃れるためだったという説もあります。
彬子さまは後に「私が見ていた限り、父が母に対して手を上げたことは一度もありませんでした」と暴力は否定しているものの、病気で大変な父親を置いて出て行った母親を許せなかったことで、関係に亀裂が入ってしまったといわれています。
三笠宮崇仁親王殿下の葬儀に寬仁親王妃信子殿下が参列されなかったこと、また寬仁親王妃信子さまが当主を継がれることに彬子女王が反対なさったことが公になり、夫婦の軋轢が母娘の断絶へと転じてしまったとのことでした。
彬子女王の父親は寛仁親王
先日6月6日は寛仁親王殿下が薨去されて12年の御命日。
— nabehiro (@nabehirodesu) June 8, 2024
殿下は生前女系天皇に反対し、旧宮家の皇籍復帰を求めていました。
1日も早く旧宮家の皇籍復帰を実現し、女系天皇の議論に終止符を打ちましょう!#旧宮家の皇籍復帰#皇室に敬意を pic.twitter.com/7acpraIYSH
彬子女王のお父様は、寛仁親王殿下です。
三笠宮寛仁親王殿下は、三笠宮崇仁親王と百合子妃の長男として誕生、髭をたくわえた容貌から、「ヒゲの殿下」の愛称で知られていました。
2012年6月6日15時35分、多臓器不全のため66歳で亡くなりました。
彬子女王の妹は瑶子女王
7月21日~22日開催のスーパーフォーミュラ第4戦富士は「第1回瑶子女王杯」に https://t.co/YxYVyvc4DO #sformula #スーパーフォーミュラ #富士スピードウェイ pic.twitter.com/4bwncP1JZB
— Car Watch (@car_watch) June 26, 2024
彬子女王の妹は、瑶子女王です。
瑶子さまは2003年に成年を迎え、皇族身位令により第125代天皇明仁から勲二等宝冠章(のちの宝冠牡丹章に相当)を受けました。
2006年12月から2012年11月まで日本赤十字社(事業局組織推進部青少年・ボランティア課を経て血液事業本部販売管理課)で嘱託ながら常勤で勤務していました。
現在、存命中かつ皇籍離脱していない皇族15名のうちのひとり、天皇の血を直系で受け継ぐ男系皇族(親王・内親王・王・女王)8名のうちのひとりです。
彬子女王の実家は赤坂の宮廷
彬子女王殿下の実家は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にありました。
寛仁親王殿下が亡くなった後の2013年7月31日より、旧寬仁親王邸は「三笠宮東邸」と称されています。
彬子女王の生い立ち
1981年12月20日に誕生した彬子女王は、1947年10月に11宮家が皇籍離脱して以来、かつ現皇室典範における初の女王誕生となりました。
2001年には成年に達したことにより、勲二等宝冠章(現:宝冠牡丹章に相当)を受章しています。
大学時代はイギリスのオックスフォード大学マートン・カレッジに留学し日本美術史を専攻、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行っていました。
2010年1月にオックスフォード大学大学院博士課程を修了して博士号(D.Phil.)を取得、博士号取得は秋篠宮文仁親王に続き皇族として2人目、女性皇族として史上初、海外の大学からの課程博士号取得は皇族として史上初になりました。
まとめ
お母さまとの関係は今も変わりはないようですが、彬子さまは三笠宮家を守るために活動を行っています。
彬子さまらしく笑顔で幸せな日々を過ごしていけるよう、今後も見守っていきたいと思います。