元日本テレビのアナウンサーで現在はフリーの上重聡アナは、元甲子園球児でした。
プロの道もあったという上重聡アナはドラフトにも参加していたのでしょうか。
今回は、上重聡アナの生い立ち、出身学校や家族などについて調べてみました。
上重聡アナは元甲子園球児だった
PLのエースだった上重と横浜のエースだった松坂#gojimu pic.twitter.com/jX6ZV22LS5
— mo10fu3@白熊 (@mo10fu_3) April 5, 2024
上重聡アナは、1998年の第80回全国高等学校野球選手権大会に出場していました。
準々決勝では横浜高校と対戦、7回から登板した上重聡アナは延長17回の末に負けています。
当時横浜高校には元プロ野球選手の松坂大輔さんがおり、この試合は今や「伝説」ともいわれています。
上重聡アナはドラフトで選ばれた?
上重聡アナは、プロ野球選手を目指していました。
プロ球団のスカウトからも「このまま成長したら楽しみだ」と声をかけられていたそうです。
しかし高校卒業後は大学進学を決め、大学時代に肘の故障がきっかけで「親友の松坂大輔のような活躍はできない」と感じ引退を決めました。
そのため上重聡アナはドラフトに参加したことはありません。
上重聡アナの学歴
上重聡アナが通っていた学校について調べてみました。
上重聡アナの出身小学校
上重聡アナは、八尾市立永畑小学校出身です。
2年生の時に野球を始め、大阪の強豪チーム・八尾フレンドに所属していました。
キャプテンを務めていたこともあったそうです。
野球以外ではお母さんの教育方針から1年生から英会話、3年生からは塾に通っていました。
上重聡アナの出身中学
小学校卒業後は、八尾市立龍華中学校に進学しました。
中学でも野球を続け、全国大会優勝を経験しています。
上重聡アナの出身高校
中学校卒業後は、PL学園高等学校に進学しました。
偏差値は、43です。
高校でも野球部に所属しエースとして活躍しました。
上重聡アナの出身大学
高校卒業後は、立教大学に進学しました。
上重聡アナはコミュニティ福祉学部に在籍、偏差値は57です。
大学でも野球部に所属し、2000年10月の東京大学戦では東京六大学野球史上2人目となる完全試合を達成しています。
上重聡アナの実家
上重聡アナは、大阪府八尾市出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
ネット上で噂されている「実家はお金持ち説」についても証拠がなかったため、わかりませんでした。
上重聡アナの生い立ち
上重アナ高校球児時代😁 pic.twitter.com/W1WRpC8NLq
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1980年5月2日に誕生した上重聡アナは、人前で話すことが苦手ですぐに顔が赤くなりモジモジしてしまうタイプだったそうです。
小学生からは野球一色でプロも目指していたものの、故障をきっかけにアナウンサーを目指すようになりました。
アナウンサーへのきっかけは、甲子園に出場しいろいろな取材を受ける中で自分の気持ちを言葉で伝えることの難しさと面白さ、それに対する反響を感じていくうちに「聞く側も楽しそうだな」と思ったからでした。
上重聡アナの父親
上重聡アナのお父さんは、上重和夫さんと言います。
一般人で年齢や職業は公表されていません。
上重聡アナの母親
上重聡アナのお母さんは、上重孝子さんと言います。
お父さんと同じく一般人のため名前以外の情報はありませんでした。
上重聡アナの兄弟や姉妹
上重聡アナには、お姉さんがいます。
お姉さんも一般人で、メディアに出たことはありません。
まとめ
プロ球団からも注目されていた上重聡アナは選手という道ではなくアナウンサーの道に進みましたが、現在も野球に関わる仕事をすることが出来ています。
形は思ったものとは違えど、これからも上重聡アナらしく頑張ってほしいですね。