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間寛平の年収や愛車がすごい!ギャグや若い頃・本名や性格も調査

hazamakanpei_career お笑い芸人
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お笑いタレントでマラソンランナーでもある間寛平さんは、どんな人なのでしょうか。

若い頃はどんな姿だったのか、現在の年収はどのくらいあるのか、気になりますね。

今回は、間寛平さんの経歴や年収、事務所、若い頃の姿などについて調べてみました。

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間寛平の年収がすごい!

間寛平さんの年収は公表されていません。

ネット上では「6400万円」という具体的な数字が浮上していますが、間寛平さん自身や会社が公表したわけではありません。

芸歴の長さや今も活躍し続けていることから「億越えではないか」ともいわれています。

間寛平の収入源は?

間寛平さんの現在の収入減は、吉本新喜劇の出演とテレビ出演です。

特に新喜劇ではゼネラルマネージャーを務めているため、収入の割合が一番多いのではないかと思われます。

間寛平の愛車がすごい!

車好きな間寛平さんの現在の愛車は、「ホンダNA1型NSX」と「日産BNR34型のGT‐R」です。

NSXは30年ほど前に購入したそうで、2024年8月には「36000キロしか走ってないので絶好調」と明かしていました。

GT‐Rの方は、アースマラソン完走のご褒美としてチューニングしたそうです。

「かいーの」や「アヘアヘ」など間寛平のギャグ一覧

間寛平さんは、これまでに多くのギャグを生み出しました。

現在持っているギャグはこちらです。

「ア〜〜〜メマ!!」
「頑張っとるか〜?」
「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」
「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」
「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」
「パパパパッ、パ〜ンプキ〜ン」
「かい〜の」
「アヘアヘアヘアヘ…」「アヘアヘウヒハアヘウヒハ…」
「なめなめくじくじなめくじくじ」→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」
「血ぃ吸うたろか!」
「止まると死ぬんじゃ」
「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」
「お礼のプ〜」(「俺のプ〜」のバージョンあり)
「いくつになっても、甘えん坊〜」
「脳みそパ〜ン!」(アメリカでは「ブレインパ〜ン!」として使用)
「な、な、なんと~」
「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」
「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」
「かかかか堪忍な〜」
「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」
「しっかりできたらぼさっとするかいな!」
「まいど〜!」(鼻声)
「フェー」(鼻声)
「ふひは!」(鼻声)
「ちょっとしたミスさ」
「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」
「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」
「うんばらばー」
「イカルスピークサンシン」

今後もどんな新ギャグが誕生するのか、楽しみですね。

間寛平の若い頃

間寛平さんの若い頃の姿はこちらです。

とても可愛らしいですね。

年齢を重ねた間寛平さんも、雰囲気は変わっていないと思います。

間寛平の本名

間寛平さんの本名は、「間 重美(はざま しげみ)」さんと言います。

下の名前が芸名で、学生の頃に同級生が教科書に勝手に「貫平」と書いたことが由来になっています。

当初は「貫平」でしたが、尊敬する喜劇役者・藤山寛美さんにあやかって字を変更したそうですよ。

間寛平の性格

間寛平さん、とても優しく穏やか、損得で人を選ばない人です。

甘え上手でありながら甘えられることも多く、断れない性格が故に過去には沢山の苦労をしてきました。

そんな間寛平さんですが、若い頃はやんちゃで気が短くてすぐに腹を立てていたそうです。

マラソンを始めたことによって性格が変わったと話していました。

間寛平のプロフィールや経歴

名前:間寛平
生年月日:1949年7月20日 
出身地:高知県
血液型:AB型
身長:164cm
所属事務所:吉本興業

1969年にお笑いトリオ「すっとんトリオ」に弟子入りした間寛平さんは、新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場(ストリップ劇場)」に入り、幕間コントに”はざま貫平”の芸名で出演して修行を積んでいました。

その後喫茶店でアルバイトをしていた際に店主の紹介により吉本興業に移籍、吉本新喜劇の研究生になり、花紀京さんの付き人からスタート、1974年には24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格しています。

1975年に『ひらけ!チューリップ』で歌手デビューすると100万枚のセールスを記録、1976年には同じタイトルの日活ロマンポルノに主演しました。

1989年には吉本新喜劇を退団して東京進出、ビートたけしさんを頼りたけし軍団加入を希望したものの大阪時代の活躍を知るビートたけしさんの運転手から諭され入団を断念、そして萩本欽一さんに師事し、島田洋七さんと漫才コンビを結成したもののコンビは後に解散しています。

2008年に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦、このことをきっかけにレギュラー番組をすべて降板し芸能活動を休止、2011年に4万1000kmにも及ぶ長い旅を終え、大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインしました。

2021年には『キングオブコント』に村上ショージさんと結成したコンビ「ヤギとひつじ」で出場、準決勝まで勝ち進むも、ネタ見せのタイムオーバーで失格となり敗退しています。

2022年、吉本新喜劇のゼネラルマネージャーに就任しました。

間寛平の所属事務所

間寛平さんは、「吉本興業」に所属しています。

同期には月亭八方さん、桂きん枝さん、桂文珍さんらがいます。

まとめ

24歳で吉本新喜劇の座長になり、現在はゼネラルマネージャーという立場にいる間寛平さんは、若手育成を目的とした「劇団間座」も立ち上げています。

これからもお笑いの世界を盛り上げていけるよう、間寛平さんの活躍を応援していきたいですね。

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