元グラビアアイドルで女優の酒井若菜さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。
家族はどんな人で、兄弟はいるのでしょうか。
今回は、酒井若菜さんの経歴や出身学校、家族、病気について調べてみました。
酒井若菜の学歴
酒井若菜さんが通っていた学校について調べてみました。
酒井若菜の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
地元の学校に通っていたのではないかと思われます。
酒井若菜の出身中学
小学校卒業後は、野木町立野木第二中学校に進学しました。
中学時代はテニス部に所属していました。
酒井若菜の出身高校
中学校卒業後は、栃木県立小山南高等学校に進学しました。
偏差値は、42です。
高校時代はダンス経験者ということから先生にスカウトされ、創作ダンス部に所属していました。
半ば強制的に入部させられたものの、酒井若菜さんは3年間センターだったそうです。
酒井若菜の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
芸能活動に専念しています。
酒井若菜は膠原病などの病気は治った?
酒井若菜さんは、19歳の時に膠原病を患いました。
膠原病は全身の血管や皮膚、筋肉、関節などに炎症が見られる病気の総称で、原因不明の発熱や湿疹、関節の痛みなどの症状があります。
2015年に再発したそうで、痛みについて「指の骨の中にドリルを入れてモーターで回っている感じ」と明かしていました。
台本に書かれた通りに演じることが困難になった上に日常生活にも支障をきたすようになり、引退も考えていた酒井若菜さんでしたが、医学の進歩により痛みなく過ごせるようになりました。
さらに32歳の時にはリウマチを発症、曾祖父が同じ病気になったことがあるため遺伝の可能性もあるそうです。
こちらについては多くを語っていませんが、今は健康に問題はないようです。
酒井若菜のプロフィールや経歴
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— 酒井若菜 (@_sakai99) April 3, 2024
名前:酒井若菜
生年月日:1980年9月9日
出身地:栃木県
血液型:A型
身長:158cm
所属事務所:アービング
1997年に『サイコメトラーEIJI』で女優デビューした酒井若菜さんは、同年年に「第8回ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション」準グランプリ、1999年に「日テレジェニック’99」に選ばれ、グラビアアイドルとして活動していた時期もありました。
事務所に入ったばかりの頃はオーディションを受けても女優としての仕事が来ず、そんな時にやってきたのがグラビアだったそうです。
2002年頃から女優業をメインに活動、ドラマ『幕末グルメ ブシメシ!』、『絶メシロード』、映画『シャイロックの子供たち』などに出演しました。
また2008年6月20日に小説『こぼれる』を発売し作家としてデビューしてからは、2012年5月にエッセイ『心がおぼつかない夜に』、2016年2月には芸能界で親交のある男性8人との対談をまとめたエッセイ集『酒井若菜と8人の男たち』を発売しました。
酒井若菜の所属事務所
酒井若菜さんは、「アービング」に所属しています。
酒井若菜さんは2024年に長年所属していた芸能事務所「A-Team」が芸能業務を休止したことを受け、同事務所を退所しました。
その後、同年7月1日に「アービング」へ移籍しました。
この新しい事務所には、橋本マナミさんなども所属しており、酒井若菜さんにとっては念願の事務所となったようです。
移籍後も精力的に活動を続けており、新たな環境でのさらなる活躍が期待されています。
こちらの事務所には、橋本マナミさん、奈緒さん、箭内夢菜さんらも在籍しています。
酒井若菜の年収
酒井若菜さんの年収は公表されていません。
グラビアアイドルから女優、作家へと活動の幅を広げ、現在も女優業を続けるだけでなく、エッセイや小説の執筆も行っています。
また、40代に入り、仕事を選びながら活動するスタンスを取るようになり、ドラマや映画への出演も続けています。
酒井若菜さんの収入源は、テレビドラマや映画、舞台への出演料、さらに書籍の出版やエッセイの執筆活動など多岐にわたるため、女優としての収入だけではなく、作家としての活動からも収益を得ていると考えられます。
また、これらに加えて副業やイベント出演なども行っているため、年収は安定していると予想されます。
彼女は特に、役作りに情熱を注ぎ、困難な役柄にも果敢に挑戦する姿勢を評価されていることから、業界内でも高い評価を受け続けている女優の一人です。
酒井若菜の実家
酒井若菜さんは、栃木県下都賀郡野木町出身です。
実家の詳しい場所は公開されていません。
芸能界で活動する際に実家から東京に通っていた時期があり、始発の電車で2時間かけて移動していたそうです。
野木町は栃木県の小さな町で、彼女はその地元で育ちながら女優やグラビアアイドルとしてのキャリアを築き始めました。
酒井若菜の生い立ち
ちいこいときから同じ顔。ここ最近は同じ髪型。フロッペという名のぬいぐるみは、このあと眉毛や髪の毛を私に描かれることになりますが、ボロボロになってもずっと一緒でした。私といえばフロッペ、というくらい、幼き日の私のたった1つの宝物であり、親友でした。まだ実家にいます。 pic.twitter.com/evShxRykEk
— 酒井若菜 (@_sakai99) September 26, 2019
1980年9月9日に誕生した酒井若菜さんは、笑わず喋らずな子供だったそうです。
幼い頃から芸能界に憧れており、当時人気だった「Wink」や工藤静香さんの姿を見てアイドルに憧れていました。
歌やダンスに挑戦した時期もあったものの自分に才能がないことを感じ、10代半ばから女優を目指し事務所のオーディションを受けるようになりました。
酒井若菜の父親
父と母がなぜか写真に入ってきた
— 酒井若菜 (@_sakai99) January 4, 2019
父「3人で写真って縁起悪いんでねぇの」
私「なんで?」
父「俺真ん中だしよ」
私「…まさか」
父「俺、魂抜かれる…」
30年ぶりくらいに聞いた迷信
私にとってはノスタルジーも、父にとってはそうじゃなかった
本気な父に、何も言えぬ娘 pic.twitter.com/b8tJ84l368
酒井若菜さんのお父さんは一般人です。
名前や職業は公開されていません。
顔写真も公開はされていませんが、過去にSNSで両親との影の写真を投稿していました。
地元の家族との絆を大切にしていることがわかっています。
お父さんについての具体的な言及は少ないものの、幼少期から芸能界を目指す際に家族からの応援があったそうです。
酒井若菜の母親
酒井若菜さんのお母さんも一般人です。
お父さんと同じく情報はありませんでした。
酒井若菜さんのお母さんに関するエピソードは、酒井若菜さん自身が語ったことからいくつかの重要な出来事が明らかになっています。
酒井若菜さんが膠原病を患っていた時に、病気のことを長らく家族に隠していました。
そのことを聞いた板尾創路さんから「連絡することも親孝行だよ」と助言を受け、お母さんに電話をかけました。
その際、言葉を交わす前から涙が溢れ、お母さんもすぐに状況を察し、泣きながら「いつでも帰ってきなさい」と優しく励ましてくれたそうです。
この出来事は、酒井若菜さんにとって母親の愛情の深さを改めて実感する瞬間だったと語られており、家族との強い絆が彼女の支えとなっていることが伺えます。
また、酒井さんのお母さんは「貯金があるから、いつでも頼っていい」とまで言ってくれて、酒井さんに大きな安心感を与えてくれたようです。
酒井若菜さんは、自身の闘病やキャリアにおいて、家族、とりわけ母親からの支援が大きな力になっていたと明かしています。
酒井若菜の兄弟や姉妹
酒井若菜さんには、お姉さんがいます。
3歳年上のお姉さんも一般人で、2010年のブログには「名古屋在住」と紹介していました。
エッセイや小説での活動において、お姉さんが酒井若菜さんの作品に深く関わっており、小説『こぼれる』の装画も姉が手掛けたそうです。
酒井若菜さんとお姉さんはアートや創作活動を通じて協力しており、非常に親しい関係であることが伺えます。
家族の詳しい情報などはあまり出てきませんが、この姉妹の絆が酒井若菜さんの芸術的な側面を支えているのは間違いありません。
まとめ
幼い頃から芸能界に憧れていた酒井若菜さんは、オーディションを経て夢を叶えました。
これからも健康第一で、酒井若菜さんのペースで女優・作家業を続けていってほしいですね。