GLAYといえば、90年代から今なお第一線で活躍を続ける伝説的ロックバンド。
その中心に立つボーカリスト・TERUさんの存在感は、時代を超えて多くのファンを魅了し続けていますよね。
そんなTERUさんが、どんな家庭に生まれ育ち、どのような学生時代を過ごしてきたのか気になる方も多いのではないでしょうか。
本記事では、TERUさんの出身高校や大学といった学歴をはじめ、本名や年収に関する情報、さらには実家の様子やご両親・兄弟などの家族構成についても幅広くご紹介します。
知れば知るほど惹かれるTERUさんの素顔に、じっくり迫っていきますので、ぜひ最後までお楽しみください。
TERU(GLAY)の学歴
日本を代表するボーカリストとしても活躍するGLAYのTERUさんは、どんな学生生活を送ってきたのでしょうか?
TERUさんが通った学校などについて調べてみました。
TERUの出身小学校
TERUは、北海道函館市で育ち、函館市立桔梗小学校を卒業しています。
TERUさんは小学生の時、家族や友人から「てっこ」と呼ばれていたことが知られています。
小学生時代のTERUさんは、ゲームが大好きで、当時人気だった「MSX」というゲーム機に夢中になっていました。
プログラミングにも興味を持ち、MSXマガジンに載っていたコードを自分で打ち込んだりするなど、好奇心旺盛な子供だったそうです。
野球好きや礼儀正しい性格は、小学校の頃から野球も始めていてこの時期に形成され、後にGLAYでの活躍やリーダーシップに大きな影響を与えたと考えられます。
函館市立桔梗小学校は彼にとって、音楽やスポーツ、仲間との絆を深めた大切な場所だったと言えるでしょう
TERUの出身中学
小学校卒業後、TERUは地元の函館市立桔梗中学校に進学。
小学校からの同級生であるTAKUROさんと再び同じクラスになり、友情を深めていきます。中学時代も野球部に所属し、スポーツに打ち込んでいました。また、音楽への興味も芽生え始め、TAKUROさんと一緒にビートルズを聴くなどして、音楽の世界に惹かれていったようです。
TERUの出身高校
TERUの高校は、地元函館市にある函館商業高等学校です。
この学校は、1886年に開校した伝統校で、部活動が盛んなことで知られています。
高校ではサッカー部に所属し、スポーツに励んでいました。中学時代までは野球に熱中していましたが、高校ではサッカーに転向したとのことです。
高校時代には、同じサッカー部の先輩から「ドラムをやってみないか?」と誘われ、聖飢魔IIのコピーバンドに加入しました。
当初はドラムセットを持っていなかったため、親戚のスナックの椅子などを使って練習していたそうです。
その後、ドラムを購入し、本格的にバンド活動に熱中していきました。
また、高校時代には学内のミスターコンテストで2位になるなど、女子からの人気も高かったようです。
この頃、TAKUROさんから誘われてGLAYを結成し、音楽活動を本格化させていきました。
当初はドラマーとして参加していましたが、TAKUROさんが置き忘れたデモテープに仮で歌を入れたところ、その歌声に感動したTAKUROさんの勧めでボーカルに転向しました。
TERUの出身大学
高校卒業後、TERUさんは大学には進学せず、音楽の道を選びました。
GLAYの活動に専念するため、上京し、音楽活動を本格化させていきます。
その後の活躍は、皆さんもご存知の通り、日本を代表するロックバンドとしての地位を確立しました。
TERU(GLAY)のプロフィールや経歴
生年月日 1971年6月8日
年齢 53歳(2025年4月現在)
出身地 北海道函館市
血液型 O型
身長 約169cm
家族構成 妻(PUFFY 大貫亜美さん)、子ども3人
所属バンド GLAY(ボーカル)
担当 ボーカル、作詞・作曲、一部楽器演奏も
活動開始 1988年(GLAY結成)、1994年メジャーデビュー
趣味 料理、アート制作、ゲーム
北海道函館市出身のTERUさんは、ロックバンドGLAYのボーカリストとして知られています。
本名は小橋照彦(こばし てるひこ)さんで、1971年6月8日生まれです。
愛称は「テッコ」。
高校時代にTAKUROさんとともにGLAYを結成し、当初はドラムを担当していましたが、後にボーカルに転向しました。
1994年にメジャーデビューを果たし、以降、日本の音楽シーンを代表する存在として活躍を続けています。
GLAYの楽曲では、作詞・作曲も手がけており、「Shuumatsu no Baby Talk」「Little Lovebirds」「BLAST」など、TERUさんが中心となって制作した作品も多く存在します。
また、他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースも行っており、その活動は多岐にわたります。
音楽活動以外にも、TERUさんは社会貢献活動に積極的に取り組んでいます。
エイズ予防キャンペーン「RED RIBBON LIVE」への出演や、ホワイトバンドプロジェクトへの参加、東日本大震災・熊本地震の復興支援活動など、社会的な課題にも関心を持ち、行動を起こしています。
また、TERUさんはアートにも関心を持ち、近年では現代アート作家としても活動しています。
2024年11月には、アーティストブック『TERU/GLAY』を発売し、幼少期から現在までを振り返ったロングインタビューや、プライベートスタジオのレポート、アート作品の掲載など、多角的な内容が収録されています。
プライベートでは、2002年にPUFFYの大貫亜美さんと結婚し、3人の子どもがいます。趣味は料理やゲームで、特に料理の腕前はメンバーからも高く評価されています。
TERUさんの多彩な才能と情熱は、音楽だけでなく、社会貢献やアートなど、さまざまな分野で発揮されています。
これからも、その活動から目が離せません。
TERU(GLAY)の本名
TERUさんの本名は「小橋 照彦(こばし てるひこ)」です。北海道函館市出身で、1971年6月8日生まれ。
GLAYのボーカリストとして知られるTERUさんは、1994年にメジャーデビューを果たし、以降、日本の音楽シーンを代表する存在として活躍を続けています。
本名の「照彦」という名前は、彼の温かみのある人柄や、ステージ上でのエネルギッシュなパフォーマンスといったイメージと重なり、ファンの間でも親しまれています。
また、TERUさんは音楽活動以外にも、社会貢献活動やアート制作など、多方面で才能を発揮しており、その多彩な活動は本名の「照彦」と同様に、彼の魅力の一部となっています。
なお、TERUさんは自身のInstagramアカウント(@glay__teru)でも「小橋 照彦」として活動しており、ファンとの交流を大切にしています。
このように、芸名と本名の両方を使い分けながら、音楽活動やその他の分野で活躍を続けているTERUさんの今後の動向にも注目が集まっています。
TERU(GLAY)の所属事務所
TERUさんが所属するGLAYは、2005年にメンバー主体で個人事務所を設立し、2010年6月に自社レーベル『loversoul music & associates』を立ち上げました。
このレーベルは2016年に『LSG』と改名され、現在も活動の拠点となっています。
『LSG』は、GLAYの音楽活動をより自由に、そして真摯に行うために設立されたレーベルであり、メンバー自身が運営に関与しています。
また、公式オンラインストア『G-DIRECT』や公式アプリ『GLAY app』など、ファンとの直接的なつながりを重視したプラットフォームも展開しています。
このように、TERUさんはGLAYのメンバーとして、自らの音楽活動を自社レーベルを通じて行っており、ファンとの距離を大切にしながら、独自のスタンスで音楽と向き合っています。
TERU(GLAY)の年収
TERUさんの年収は、公表されていないため正確な数字は不明ですが、音楽活動やその他の収入源を考慮すると、相当な額であると推測されます。
主な収入源
- 音楽活動: GLAYのボーカルとしての活動に加え、作詞・作曲も手がけており、印税収入が見込まれます。
- ライブ活動: GLAYは大規模なライブを多数開催しており、チケット販売や関連グッズの売上が収入源となっています。
- サブスクリプション収入: 近年、音楽のストリーミング配信が主流となり、サブスクリプションサービスからの収入も増加しています。GLAYのメンバーであるHISASHIさんは、サブスク収入が想像以上であると語っています。
- アート活動: TERUさんはアーティストとしても活動しており、作品の販売や展示会などからの収入も考えられます。
- その他の活動: 書籍の出版やメディア出演など、多方面での活動が収入に寄与しています。
これらの収入源を総合すると、TERUさんの年収は数千万円から数億円の範囲であると推測されます。
ただし、具体的な数字は公開されておらず、あくまで推測の域を出ません。
TERU(GLAY)の実家
TERUさんの実家は、北海道函館市にあります。
函館市は、北海道南部に位置する港町で、美しい夜景や歴史的な建造物が多く、観光地としても知られています。
TERUさんは、この地で生まれ育ち、地元の小中学校に通っていました。
実家の詳細な場所や家族構成については、公表されていないため正確な情報は不明ですが、TERUさんが函館市立桔梗小学校および桔梗中学校に通っていたことから、実家は桔梗地区にあると推測されます。
この地域は、自然豊かで落ち着いた雰囲気があり、子育てにも適した環境です。
また、TERUさんは函館への愛着が強く、地元のイベントやチャリティ活動にも積極的に参加しています。
GLAYとしても、函館でのライブを開催するなど、地元とのつながりを大切にしている様子が伺えます。
このように、TERUさんの実家は函館市にあり、彼の音楽活動や人柄に大きな影響を与えていると考えられます。
地元への愛情が、彼の活動の原動力の一つとなっているのでしょう。
TERU(GLAY)の生い立ち
TERUさん(本名:小橋照彦)は、1971年6月8日に北海道函館市で生まれました。
地元の函館市立桔梗小学校、桔梗中学校を経て、北海道函館商業高等学校を卒業しています。
幼少期からスポーツに親しみ、小学校時代は野球に熱中し、キャプテンを務めるほどの実力を持っていました。
中学時代も野球部に所属し、部活動に励んでいたそうです。
高校ではサッカー部に所属し、スポーツに打ち込む一方で、音楽への興味も芽生え始めました。
サッカー部の先輩に誘われて、聖飢魔IIのコピーバンドにドラムとして参加したことが、音楽活動のきっかけとなりました。
当時はドラムセットを持っていなかったため、親戚のスナックの椅子を使って練習していたというエピソードもあります。
高校2年生の時、小・中学校の同級生であるTAKUROさんに誘われてGLAYを結成。
当初はドラムを担当していましたが、TAKUROさんが置き忘れたデモテープに仮で歌を入れたところ、その歌声に感動したTAKUROさんの勧めでボーカルに転向しました。
その後、GLAYは1994年にメジャーデビューを果たし、日本を代表するロックバンドとして活躍を続けています。
TERUさんの生い立ちは、スポーツと音楽に情熱を注いだ青春時代が、現在の多彩な才能と情熱の源となっていることを物語っています。
地元・函館への愛着も強く、地元でのライブやイベントへの参加を通じて、地域とのつながりを大切にしています。
これからも、その活動から目が離せません。
TERU(GLAY)の父親
TERUさんのお父さんについては、職業などの詳細は公表されていませんが、家族とのあたたかいエピソードから、仲の良い家庭で育ったことがうかがえます。
たとえば、TERUさんは2017年、お父さんの古希をお祝いした際の様子を自身のSNSで紹介しています。
その投稿では
「楽しむ感覚が同じな家族で良かった(笑)」とユーモラスに綴っており、家族全体での仲の良さがにじみ出ていました。
出典:X(旧Twitter)@TE_RUR_ET(2017年9月)
また、2025年4月に出演した『徹子の部屋』では、両親との時間を改めて大切にしていると語り、「お父さんやお母さんの存在が今の自分を支えている」と感謝の気持ちを話す場面もありました。
さらに、GLAYの楽曲「COLORS」は、お父さんとの親子関係をテーマにTERUさん自身が書き下ろした一曲とされており、そこにもお父さんへの深い愛情が表現されています。
このように、TERUさんはお父さんとの関係を非常に大切にしており、人生のさまざまな場面でその影響を受けてきたことが伝わってきます。
表にはあまり出てこないものの、その存在はTERUさんにとって大きな支えであり、音楽活動や生き方にも影響を与えていることは間違いありません。
TERU(GLAY)の母親
TERUさんのお母さんについては、名前や職業などの具体的な情報は公表されていません。
しかし、過去のインタビューやSNS投稿からは、TERUさんが家族、とくにお母さんに対して深い感謝の気持ちを抱いていることがうかがえます。
たとえば、母の日になるとSNSに感謝のメッセージを投稿したり、手料理の思い出を語ったりと、普段からお母さんの存在を大切にしている様子が伝わってきます。
家庭的な一面が垣間見える投稿の中には、TERUさんが幼少期から料理に興味を持ち始めたきっかけとして、お母さんの存在を挙げることもあります。
また、GLAYとしての活動が多忙を極めていた時期でも、ふとした瞬間にお母さんからの手紙や差し入れが支えになっていたという話もあり、親子の絆の深さが感じられるエピソードです。
2025年現在においても、お母さんは函館に在住しているとされており、TERUさんが地元でライブを行う際には観客席に姿を見せることもあるそうです。
そうした場面では、スタッフや関係者の間でも「とても気さくで優しい方」という印象が広まっているとのこと。
さらに、TERUさんが社会貢献活動やチャリティに熱心な理由の一つとして、「家族から受け継いだ価値観」があると語ったこともあります。
見返りを求めず誰かのために動く姿勢は、お母さんの教えが根っこにあるのかもしれません。
表舞台に出ることは少ないながらも、TERUさんの活動や人柄の背景には、しっかりとした家庭の土台と、お母さんの愛情深い支えがあることが伝わってきます。
きっと今も、陰ながら息子の活躍を見守り続けているのでしょう。
TERU(GLAY)の兄弟や姉妹
TERUさんには、実のお姉さんが1人います。姉弟の関係についてはあまりメディアで語られることはありませんが、地元・函館で育った家族の中で、温かい家庭環境のもと共に過ごしてきたことが伝わっています。
過去のインタビューやSNSなどでも、お姉さんに関する直接的な言及は多くないものの、GLAYの活動を通して「家族ぐるみで支え合ってきた」という空気感はたびたび感じられます。
とくに、1990年代後半のGLAYが急激に人気を集めていた時期には、家族の支えが精神的な柱となっていたという話も残されています。
また、ファンの間では「TERUさんのお姉さんはかなり美人らしい」「家族の中でもしっかり者」といった噂も一部で広まっていますが、これは函館という地域のコミュニティ内で、GLAYの存在が身近にあったことから派生したエピソードとも言えるでしょう。
実際のところ、お姉さんご本人は芸能界とは関係がなく、あくまで一般の方として生活されているようです。
また、GLAYメンバーであるHISASHIさんとの関係について、「TERUさんのお姉さんがHISASHIさんの元恋人だった」という噂がかつて流れたこともあります。
しかし、これは事実確認のないネット上の憶測にすぎず、信ぴょう性はほとんどありません。
本人たちから公に語られたこともなく、あくまで都市伝説的な位置づけとなっています。
とはいえ、こうした家族や兄弟にまつわる話題が多くのファンに親しまれているのは、TERUさん自身が日頃から「人とのつながり」や「身近な存在への感謝」を大切にしているからこそかもしれません。
兄弟姉妹という最も身近な人間関係の中にも、その原点があるのではないでしょうか。
家族について多くを語らない一方で、その存在を内に秘め、誠実に人生を歩み続けるTERUさん。
そうした姿勢こそが、多くのファンから長年支持されている理由のひとつと言えそうです。
まとめ
この記事では、GLAYのボーカリストとして長年第一線を走り続けるTERUさんについて、学歴や本名、所属事務所、そして年収や家族構成といったプライベートな一面まで幅広くご紹介してきました。
北海道・函館で生まれ育ち、地元の仲間たちと共にバンドを結成し、やがて全国区のアーティストへと成長していったTERUさん。
その背景には、スポーツや音楽に夢中になった学生時代、家族の温かな支え、そして地元への深い愛情がありました。
年収や所属事務所など音楽ビジネス面での成功だけでなく、SNSやライブで見せる気さくな人柄や、社会貢献への積極的な姿勢もTERUさんの魅力のひとつです。
そして、家族とのつながりを大切にしながらも多くを語らない控えめな姿勢に、多くのファンが共感し続けています。
これからもTERUさんがどんな表現を届けてくれるのか、ますます目が離せません。
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