慶応大学在学中に日本初の24時間365日無料チャット相談を立ち上げた大空幸星さんは、小学5年生の時に両親が離婚しそこから壮絶な日々を歩んできました。
大空幸星さんの両親はどんな人で、兄弟はいるのでしょうか。
今回は、大空幸星さんの家族や生い立ちなどについて調べてみました。
大空幸星の兄弟や姉妹
本日は大勢の方にお集まり頂き、私の決意をお伝えしました。孤独・孤立対策などを共に取り組んできた加藤勝信財務大臣からは身に余る激励の言葉をいただきました。学生時代から住む江東区ですが、まだまだ知らないことが沢山あります。地域の皆さまが大切に紡いできた歴史と伝統を次世代へと継承する一… pic.twitter.com/6DLl9m69mP
— 大空こうき / 自民党 衆議院東京15区(江東区)支部長 (@ozorakoki) October 11, 2024
大空幸星さんの兄弟は公表されていません。
インタビューなどでも兄弟がいるという発言はなかったため、一人っ子ではないかと言われています。
大空幸星の父親はDVだった
大空幸星さんのお父さんの名前や顔写真は公開されていません。
仕事は音楽関係だったそうですが、メディアに出ることがないため一般職ではないかと思われます。
大空幸星さんは元々お父さんと衝突することが多く、小学5年生の時に両親が離婚しお父さんに引き取られたときもお父さんから暴力を受けていました。
6年生になるころには心身のバランスを崩して学校に行けなくなり入院、「もう父とは暮らせない」と中学入学を機にお父さんの元を離れました。
その後も連絡は取れる状態ではあったものの、大空幸星さんの中でお父さんを頼るということはできませんでした。
大空幸星の母親は蒸発?
大空幸星さんのお母さんも名前や顔写真が公開されておらず、一般人のようです。
お母さんは大空幸星さんが小学5年生の時に蒸発してしまいました。
大空幸星さん曰く自身の物心がついた頃から両親の仲が悪かったそうなので、お母さんは我慢の限界を超えてしまったのかもしれません。
中学入学と同時にお父さんの元から離れた大空幸星さんは、お母さんと暮らすようになりました。
お母さんは再婚していたため、義父と三人暮らしだったそうです。
しかし大空幸星さんが高校生の時に2度目の離婚、お母さんには持病があり精神的にも不安定なところがあったため大空幸星さんに刃物を向けて「お前を刺して私も死ぬ」と言われたこともあったことを明かしています。
大空幸星の実家
#けんざき美彦 区議、#金子ひさし 区議、#井川りょうたろう 区議、#川北直人 区議と一緒に区内各地域を走り回り、地域の皆さまにご挨拶に伺いました。大勢の方から「自民党を立て直してくれ」とあたたかくも厳しいお声をいただいています。どんな小さな事でも、ぜひお聴かせください。#東京15区 pic.twitter.com/zU1oXQCozV
— 大空こうき / 自民党 衆議院東京15区(江東区)支部長 (@ozorakoki) October 8, 2024
大空幸星さんは、愛媛県松山市出身です。
両親が離婚した後お父さんと暮らしていたのも愛媛県内でした。
お母さんは東京に行ったため、大空幸星さんは中学から東京で生活しています。
現在お父さんとお母さんの自宅がどこにあるのかは分かりませんでした。
大空幸星の生い立ち
25歳になりました。四半世紀生きた記念に長年の友人達がサプライズでスタジオを借りてくれて撮影。沢山のメッセージもありがとうございます。25歳は一つの節目。これからも現場での相談支援をはじめとする仕事に全力を注ぎますが、あまり気負いすぎることなく、自分の人生も大切にしたいと思います。 pic.twitter.com/jmiAd7q2nD
— 大空こうき / 自民党 衆議院東京15区(江東区)支部長 (@ozorakoki) November 26, 2023
1998年11月26日に誕生した大空幸星さんは、幼い頃から不仲の両親を見て育ち、小学生の頃に家族はバラバラになりました。
中学に入ってお母さんと義父と暮らすも、二人は多忙だったため家にはほとんど帰って来ず、大空幸星さんはテーブルに置かれたお金を持って定食屋でご飯を食べるという生活を送っていたそうです。
中学卒業後は、自分の意思で1年間の留学プログラムのある高校に進学、父方の祖母が僕にお金を遺してくれていたため進学は問題ありませんでした。
しかし高校2年時の留学先を決める大切な面談にお母さんが現れず大騒ぎになると、学校側が「どうやらこの家はおかしいぞ」と気づき、「お前は家庭の温かさを知ったほうがいい」と、ニュージーランドの小さな村の家庭にホームステイを勧めました。
大空幸星さんはこの1年の留学で温かい家庭を知り、幸せな時間を過ごせたそうです。
高校3年生の時、生活のためにバイトを掛け持ち、高校にほとんど行くことが出来ず、家に帰れば荒れているお母さんを見ることとなり、大空幸星さんの気持ちはどん底でした。
ある時担任の先生に「しんどい。もう学校をやめたい」とメールを送ってそのまま寝てしまったところ、その先生が大空幸星さんの自宅に来てくれました。
大空幸星さんはこの時初めて「この人なら頼れるかもしれない」と安心感を持ち、大人を頼ることが出来たそうです。
そして高校卒業後に大学に進学し、「信頼できる人に確実にアクセスできる社会の実現」と「望まない孤独の根絶」を目指しNPO法人「あなたのいばしょ」を設立しました。
まとめ
慶応大学卒業、NPO法人「あなたのいばしょ」の設立者と肩書だけを見ると順調な日々を送ってきたイメージになりますが、大空幸星さんの人生は決して幸せで順調なものではありませんでした。
つらい気持ちを長く味わってきた人だからこそわかること、発信できることをこれからも忘れずに、今後も大空幸星さんらしく頑張ってほしいと思います。