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和田秀樹(精神科医)の年収がすごい!代表作や学歴・父親と母親兄弟について

wadahideki_career 医師

和田秀樹さんは、精神科医、評論家、作家、映画監督など様々なジャンルで活動し、経営者でもあります。

そんな和田秀樹さんはどこの学校出身で、どれだけ稼いでいるのでしょうか。

今回は、和田秀樹さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。

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和田秀樹(精神科医)の年収がすごい!

和田秀樹さんの年収は公表されていません。

そのため正確な額は不明ですが、医師として、作家として、評論家として、どの場面でも活躍し、老若男女問わず注目を集めています。

メディア出演やYouTubeの運営などもあり、すべて合わせると数千万以上になるのではないかと思われます。

和田秀樹(精神科医)の代表作

和田秀樹さんは、1987年に出版した『受験は要領 たとえば、数学は解かずに解答を暗記せよ』がベストセラーになり話題を集めました。

その後も作家として『70歳が老化の分かれ道』、『60歳からはやりたい放題』などを執筆し、『80歳の壁』は2022年年間ベストセラー総合第1位に輝いています。

和田秀樹(精神科医)のプロフィールや経歴

名前:和田秀樹
生年月日:1960年6月7日
出身地:大阪府
血液型:非公開
身長:166cm

1985年に東京大学医学部医学科を卒業した和田秀樹さんは、卒業後の2年間の研修期間のうち東大附属病院の第二内科に研修医として半年間勤務しました。

アルツハイマー病患者の肺炎に関する研究論文「Risk factors of aspiration pneumonia in Alzheimer’s disease patients(軽症及び中等症アルツハイマー病患者における嚥下性肺炎のリスクについて)」では東北大学より博士(医学)の学位を取得しています。

中央大学大学院文学研究科、東北大学医学部、一橋大学経済学部、上智大学文学部で非常勤講師を経て、2004年から国際医療福祉大学教授、2006年から国際医療福祉大学大学院教授、2007年から2009年3月まで一橋大学大学院特任教授を務めました。

2000年12月にヒデキ・ワダ・インスティテュートを設立し、2010年4月に和田秀樹こころと体のクリニックを開設しています。

他にも1986年に自らの受験体験と家庭教師などの経験を生かし、『試験に強い子がひきつる本 偏差値40でも東大に入れる驚異の和田式受験法88』を著して受験評論家になりました。

和田秀樹は映画監督しても活躍している

和田秀樹さんは、2007年に『受験のシンデレラ』で映画監督デビューをしました。

元々映画監督を目指していたということもあり、その後も『銀座並木通り クラブアンダルシア』、『私は絶対許さない』、『東京ワイン会ピープル』などで監督を務めています。

和田秀樹は塾も経営している

和田秀樹さんは「緑鐵受験指導ゼミナール」という塾も立ち上げています。

こちらは現役東大生による完全個別指導の通信教育で、中高一貫コース、高校生・受験生コース、医学部特別コースから選べます。

和田秀樹(精神科医)の学歴

和田秀樹さんが通っていた学校について調べてみました。

和田秀樹(精神科医)の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

公立学校に入学した和田秀樹さんは、1年生で越境入学、2年生でお父さんの転勤で東京都練馬区に転居、さらにその後千葉県津田沼の社宅へ転居して地元の小学校へ転校しています。

4年生の時にはまたも転勤で兵庫県へ転居と、いくつもの学校に在籍していました。

和田秀樹(精神科医)の出身中学

小学校卒業後は、灘中学校に進学しました。

偏差値は、74~79です。

同級生には弁護士の伊藤芳朗さん、政治家の飯泉嘉門さん、ジャーナリストの勝谷誠彦さん、実業家の中田考さんらがいました。

和田秀樹(精神科医)の出身高校

中学校卒業後は、灘高等学校に進学しました。

偏差値は、79です。

和田秀樹(精神科医)の出身大学

高校卒業後は、東京大学に進学しました。

和田秀樹さんは理科三類に合格、偏差値は77です。

1983年に創設した東京大学受験指導専門塾鉄緑会の創設メンバーで、在学中は医学部医学科に進み、家庭教師、アイドルプロデュース研究会、ライター業、学習塾経営などに励んでいました。

医師国家試験の半年程前までほとんど大学での勉強はしなかったそうですが、無事に卒業しています。

和田秀樹(精神科医)の生い立ち

1960年6月7日に誕生した和田秀樹さんは、好奇心旺盛で活発な子供でした。

幼稚園も小学校の入学前から文字や数字を教えてくれるところで、小さい頃は自信に満ち溢れていたそうです。

しかし小学生になると幼稚園で既に習ったことを勉強するのが面白くなかったようで、授業中に立ち歩きをしてしまうようになり、そのことを心配した両親が少し授業のレベルが高い学校に越境入学させてくれました。

小学生の頃は色んな学校を渡った和田秀樹さんは元々勉強が出来たということもあり中学受験では5番の成績で入学、しかし中学1年生の頃には成績が170番中120番にまで落ちてしまいました。

成績が上がった同級生は親が東大卒、京都大学卒、そして医学部卒の人たちで、逆に成績が落ちたのは親が高学歴でなかったり、商店主の子供だったそうです。

子供ながらに「中学受験は遺伝ではないが、大学受験はやはり遺伝なのだ」と思った和田秀樹さんは勉強へのやる気をなくし、成績は低迷を続けていました。

しかし高校2年生の時に映画『赤い鳥逃げた?』を観て衝撃を受けたことから熱狂的な映画ファンとなり、それまでなりたい職業がなかった和田秀樹さんは「映画監督」という夢を持つようになりました。

ただその年に最後まで助監督試験を続けていた日活が辞めてしまったため、東大の文学部から映画監督という道が断たれてしまい、当時自主映画のブームから自分でお金を作って映画を作るという道があることを知り、そのお金が作れそうな医学部受験を目指すことにしたのだそうです。

和田秀樹(精神科医)の実家

和田秀樹さんは、大阪府出身です。

小学生の頃はお父さんの転勤で関東に住んでいたこともありました。

ただお父さんが大阪の病院で最期を過ごしたため、実家は現在大阪にあるのだと思われます。

和田秀樹(精神科医)の父親

和田秀樹さんのお父さんは一般人です。

お父さんの学歴は関西の中堅私大の夜間部卒で、会社員でした。

令和初期には86歳で肺気腫の病気で亡くなっています。

和田秀樹(精神科医)の母親

和田秀樹さんのお母さんも一般人です。

お母さんは高校卒業が最終学歴で、両親の兄弟にも国立大学卒はいません。

お母さんは子供たちに強い自信をもって接していたそうで、和田秀樹さんは「結果的に僕たち兄弟は東大に入学することができましたが、やっぱりそれは母が持っていた強い自信のおかげだったと思う」と話していました。

和田秀樹(精神科医)の兄弟や姉妹

和田秀樹さんには、弟さんがいます。

弟さんは和田雅樹さんと言い、検察官です。

法務省入国管理局長、最高検公判部長、公安調査庁長官などを経て、2023年1月より広島高等検察庁検事長に就任しました。

まとめ

両親は高学歴では無かったという和田秀樹さんですが、幼い頃からの環境、そして和田秀樹さんの持って生まれた才能がこれまでの活躍に繋がっていったのだと思います。

今後も和田秀樹さんの活動を応援していきたいですね。

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