柔道家の谷亮子さんは、選手時代にオリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得するなど結果を残し、注目を集めてきました。
しかしネット上では「谷亮子さんの家族がヤバい」と言われていました。
そこで今回は、谷亮子さんの両親や兄弟について紹介します。
谷亮子の父親がやばかった?
谷亮子さんのお父さんは、田村勝美さんと言います。
一般の方で、整体師という情報がありました。
顔写真は公開されていません。
お父さんについては、ネット上で様々な噂が流れています。
谷亮子の父親に逮捕歴
谷亮子さんのお父さんには、2度の逮捕歴があると言われています。
若い頃から職を転々としていたお父さんは、谷亮子さんが生まれてからタクシー運転手をしていた時期もあったものの、主に交通事故に介入して高額な報酬を要求する示談屋で生計を立てていました。
兄弟から「亮子のためにまともな道を歩け」と論され仕事を一緒に始めても長続きせず、結局示談屋に戻ってしまったのだそうです。
そのうち保険金詐欺に手を染めて逮捕され、保釈中に暴力団賭博に関わり再逮捕、そして先の保険金詐欺で実刑判決を受けました。
父親は工藤会の幹部だった?
ネット上では、谷亮子さんのお父さんは『暴力団「工藤会」の構成員』という噂があります。
谷亮子さんの地元では有名な話で、近所からは「あの一家とかかわりたくない」という声も挙がっているそうです。
ただはっきりした証拠はなく、どこまでが本当の話なのかはわかりません。
父親が原因で国民栄誉賞をもらえない?
谷亮子さんは、柔道の輝かしい成績から2000年に福岡県では初となる県民栄誉賞を受賞、その後も内閣総理大臣顕彰、2002年度JOCスポーツ賞特別貢献賞などを受賞しています。
しかし国民栄誉賞だけは選ばれていません。
国民栄誉賞は、これまでに王貞治さん、長谷川町子さん、高橋尚子さん、羽生結弦さん、「なでしこジャパン」ら多くの方(団体)が受賞してきました。
谷亮子さんの活躍も受賞されてもおかしくはないくらいでしたが、受賞出来なかったのはお父さんの黒い噂があるからではないかと言われています。
賞は1977年8月に定められた国民栄誉賞表彰規程に基づいて授与されているそうで、具体的なことは公表されていません。
谷亮子さんが受賞出来なかったのも、お父さんが原因というのではなく規定に該当しなかったからという可能性もあると思います。
谷亮子の兄もヤバかった?
谷亮子さんには、6歳年上のお兄さんがいます。
お兄さんの名前は「徹さん」と言い、一般人のため顔写真や職業はわかりませんでした。
徹さんについても様々な噂があり、谷亮子さんの結婚披露宴にも欠席していることから「絶縁状態」と言われています。
谷亮子と兄は母親が違う
谷亮子さんとお兄さんは、異母兄弟です。
二人のお父さんには離婚歴があり、お兄さんはお父さんと前妻の間に誕生しました。
お父さんは谷亮子さんのお母さんと出会った時にお兄さんの存在を隠しており、お兄さんは幼い頃から前妻や祖母の所にたらい回しにされていたそうです。
その後谷亮子さんが誕生してからも兄妹仲はあまり良くなく、お兄さんは小学2年生くらいから家出を繰り返し、何度も警察のご厄介になっていたと言われています。
兄には逮捕歴があった
谷亮子さんのお兄さんは、2005年に覚せい剤で逮捕されたことがあります。
その後については情報がなかったため、逮捕歴が1度なのか複数回なのかはわかりません。
谷亮子の旧姓
今夜7時放送「プロ野球選手の妻たち」!
— プロ野球選手の妻たち(TBSテレビ) (@tbs_purotuma) June 20, 2018
※地域によっては放送日時が異なります。
ラストは、誰もが知ってる谷佳知さん・谷亮子さん夫妻。
プロ野球選手の妻として、柔道・金メダリストとして、そして国会議員として、三足の草鞋をはいた妻と結婚した夫は幸せだったのか?#プロ妻tbs pic.twitter.com/IUjv7zRKYq
谷亮子さんの旧姓は「田村」です。
2003年に元プロ野球選手で東芝社会人野球部エグゼクティブアドバイザーの谷佳知さんと結婚し、「谷」姓になりました。
結婚会見時は現役の柔道選手だったため、「田村で金、谷でも金」と発言し話題を集めました。
谷亮子の実家
谷亮子さんは、福岡県福岡市出身です。
詳しい場所は公開されていませんが、高校までは福岡県内の学校に通っていたことから、現在も県内のどこかに実家があるのかもしれません。
谷亮子の生い立ち
【今日は何の日?】(シゴビーs p)
— Hickey🇯🇵【藤原朝臣菊池三河守秀之】 (@HickeyBlog) December 9, 2023
平成2年(1990)12月9日
福岡国際女子柔道に
最年少の15歳で出場した
ヤワラちゃんこと
田村(現姓・谷)亮子が
初優勝を果たした㊗️
15歳で⁉️😳#スポーツって素晴らしい@t23y17y84chako pic.twitter.com/PF98TPdlrF
1975年9月6日に誕生した谷亮子さんは、お兄さんの影響で小学2年生の時に福岡市にある東福岡柔道教室に入門、柔道を始めました。
この道場は谷亮子さん以外にも中村兼三さんや日下部基栄さんなど多くのメダリストを輩出した名門道場で、谷亮子さんは幼い頃から最高の環境が整っていたようです。
入門直後からメキメキと才能を現すと数か月後には男の子を豪快に投げ飛ばすほどに成長、4年生の時には九州少年柔道大会の団体戦で、6年生の時には全日本少年少女武道錬成大会の団体戦で優勝を果たしました。
高校以降の国内大会においては、2001年に全日本選抜柔道体重別選手権大会で敗退するまで12年間無敗、121連勝を記録しています。
谷亮子の母親
谷亮子さんのお母さんは、田村和代さんと言います。
お母さんも一般人ですが、1994年に『亮子、起きんしゃい』という子育て本を出版しました。
お母さんは、谷亮子さんの柔道人生を支え続けた影の立役者として知られています。
谷亮子さんが幼少期から柔道を始めた際も、ご両親は積極的に協力し、谷亮子さんがその後トップアスリートとして活躍するまで支えてこられました。
日常的なケアはもちろん、精神面での支えもされて試合や練習の際にも一貫して、谷亮子さんをサポートしていました。
「家族の応援があるから頑張れる」と語るほど柔道という過酷な競技において、家庭の存在は大きかったと言われています。
また、谷亮子さんの柔道への熱意や強い意志は、お母さんのしっかりとした支えがあってこそだったと、多くのインタビューで明かされています。
谷亮子さんが競技だけでなく子育てや政治の場でも活躍できるのは、お母さんの教育や愛情が根底にあるのかもしれません。
まとめ
お父さんやお兄さんについて黒い噂が流れているということもあり、谷亮子さんは自身の家族について多くを語っていません。
一般人のため現在の状況も不明な部分は多いですが、お父さんやお兄さん、お母さん、そして谷亮子さんがそれぞれの道で幸せに過ごしていけるよう願っています。