中学卒業後にプロレスの世界に入り現在も現役で活動しているアジャコングさんは、結婚しているのでしょうか。
どんな家庭で育ち、両親は何をしている方なのでしょうか。
今回は、アジャコングさんの実家や家族、結婚について調べてみました。
アジャコングは結婚してる?子供は?
アジャコングさんは、現在独身です。
これまでに結婚していたことはありません。
未婚で出産した経験もないため、子供もいません。
アジャコングさんは、プロレスラーとしてのキャリアを優先してきたためか、これまで熱愛報道や交際の噂はほとんどありませんでした。
全日本女子プロレス時代には「お酒・タバコ・男性とのお付き合い」が禁止されており、恋愛よりもプロレスに専念していたのです。
また、アジャコングさんは「一人の時間と場所が必要で、誰かが同じ部屋にいるだけで落ち着けない」と語っており、結婚よりも自身の生活スタイルを大切にされているようです。
アジャコングはハーフ!国籍は?
ZERO1名古屋大会無事終了。
— あじゃ (@ajakonguraken) July 24, 2020
テンション爆上げしすぎて、頭突きしたら額割れて久々流血したよ笑笑
でも全くノーダメージ👌
若干、額がブッチャー化しつつある((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル#pwzero1 #ozアカデミー#超花火 pic.twitter.com/ERP0D6UPgB
アジャコングさんは、お父さんがアメリカ人、お母さんが日本人のハーフです。
ただ両親は事実婚で入籍はしていません。
そしてアジャコングさん自身は日本で生まれ育ったことから、国籍は日本です。
アジャコングの本名は宍戸江利花
アジャコングさんの本名は、「宍戸江利花 (ししど えりか)」さんと言います。
お父さんが好きな花の「エリカ」が由来で、漢字はお父さんが不慣れな日本語の辞書を引きながら当ててくれたのだそうです。
アジャコングの名前の由来
本日新Tシャツ👕
— あじゃ (@ajakonguraken) June 4, 2022
販売はイギリスのスープレックスさんまでお問い合わせ下さいませ😊
ワタクシの売店等では取り扱っておりません😅 pic.twitter.com/TzH1NGUHWQ
アジャコングさんの活動名は「アジア」と「キングコング」が由来になっています。
名付けたのは全日本女子プロレスに所属した時の先輩・北斗晶さんで、「お前の顔って『アジャ』って感じだよな、今日からお前のあだ名は『アジャ』な」と言われたことがきっかけでした。
さらに名前についてアジャコングさんは「アジャ・コングではなく、アジャコングです。アジャとコングは分かれません。アジャとコングは一体です」と説明しています。
アジャコングの生い立ち
1970年9月25日に誕生したアジャコングさんは、中学生の頃からプロレスが好きで、当時はテレビのゴールデンタイムで放送されていたことからテレビにかぶりつきながら見ていたそうです。
高校の進路に悩んでいると、昔から体が大きかったこともあり近所の人から「プロレスラーになってお母さんを楽にしてあげなよ」と言われ、当時は「観るのはいいけど、痛いからヤだ!」と断っていました。
ただ「大好きなクラッシュギャルズを毎日タダで観るにはどうしたらいいのだろう」という考えから年に1回ある全日本女子プロレスのオーディションを受け、見事合格しプロレスラーになりました。
小学生の頃から空手、中学からバレーボールと普段から運動していたためオーディション合格に向けてのトレーニングは近所の公園を走ったり筋トレをする程度でしたが、一発で合格しています。
「クラッシュギャルズ」を目指していたアジャコングさんでしたが、デビュー後に「おまえ、今日から極悪な!」と会社から言われ、16歳でNOとは言えなかったアジャコングさんは極悪の道を進むことになりました。
アジャコングの実家
アジャコングさんは、東京都立川市で誕生しました。
お養蚕がアメリカの米兵だったことから立川基地の中に住んでたそうです。
小学5年生の時に昭島市に引っ越し、お母さんと二人暮らしでした。
アジャコングの父親
アジャコングさんのお父さんは一般人です。
アメリカ人のお父さんは米軍立川基地に勤務していました。
とても優しかったお父さんはアジャコングさんが5歳の時に母国に帰国、それ以降は会っていないそうです。
アジャコングの母親
アジャコングさんのお母さんも一般人です。
日本人のお母さんは小料理店を営んでいました。
しかしアジャコングさんがプロレスラーとしてデビューした後の1990年に肝臓がんで亡くなっています。
アジャコングさんは当日試合があったため、お母さんを看取ることは出来ませんでした。
アジャコングの兄弟や姉妹
アジャコングさんは、一人っ子です。
お父さんがいなくなってからはお母さんと二人で生活していました。
まとめ
幼い頃から母子家庭で育ったアジャコングさんは、ハーフということからいじめを受けていたこともあったそうです。
プロレスラーになってからも自分が望んでいた道とは違う方向になってしまいましたが、これからも空の上で見守ってくれているお母さんに安心してもらえるよう、仕事もプライベートも素敵な日々を過ごしてほしいと思います。