プロレスラーの長与千種さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
お父さんやお母さんはどんな人で、兄弟はいるのでしょうか。
今回は、長与千種さんの実家や家族、出身学校について調べてみました。
長与千種の実家は長崎県の漁師だった
長与千種さんは、長崎県大村市出身です。
長崎・大村市は漁が盛んな町で、長与家は祖父の代から漁業を営んでいました。
長与千種さんのお父さんやお母さんは幼少の頃から船で海に出てはお手伝いをしていたそうです。
長与千種の生い立ちが壮絶
2024年11月11日㈪
— ミルクココア🤟た組⭐️🎸 (@keisuke226) November 11, 2024
プロレスリング・ノアさん
新宿大会
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長与千種さん
歓声が凄かった〜!#長与千種#マーベラスプロレス pic.twitter.com/x3JQUiuVtT
1964年12月8日に誕生した長与千種さんは、幼い頃から明るく裕福な環境で育ちました。
お父さんがボートレーサーで稼ぎ、昭和30年代には飲み屋さんや喫茶店など7軒の飲食店を経営するようになり、自宅は4階建てで、お父さんのお店で働く方などが常に人が出入りしているにぎやかな家でした。
長与千種さんは毎日喧嘩ばかりするやんちゃな子でしたが、お父さんからは「負けて家に帰ってくるな。学校には道具を持っていかないでいい」、「勉強するより友達をつくれ」と言われていたそうです。
父親が1億円の借金を背負った
長与千種さんの生活環境が大きく変わったのは、長与千種さんが10歳の時でした。
きっかけは友人の借金の保証人になっていたお父さんが「保証倒れ」で、億単位の借金を背負ったからです。
大きな家から小さな賃貸の家に引っ越しても状況は変わりませんでした。
借金が原因で一家離散、親戚の家で育った
長与千種さんの両親は借金返済のため出稼ぎに行き、一家は離散しました。
長与千種さんは4年間で親戚の家を5軒、たらい回しにされたそうです。
しかしどの家の家庭にも馴染むことが出来ず、悲しい扱いをされたこともありました。
中学2年生の時には引きこもりのような生活になり、長与千種さんは一時お父さんと一緒に住むようになりましたが、「自分も頑張らなきゃ」という思いが芽生えたことでお父さんの妹夫婦の家に住むことになりました。
ここでようやく長与千種さんは「家族の一員」として、優しい扱いを受けることが出来たそうです。
長与千種の父親
長与千種さんのお父さんは、長與繁さんと言います。
小学2年生までしか学校に行けなかったお父さんは船に乗りながら独学で勉強して、若い頃は遠洋漁業にも出ていました。
そして船仲間と一緒に「腕を試してみるか」というノリで、日本初のボートレーサーの一人になったそうです。
そんなお父さんは、2012年7月にすい臓がん亡くなりました。
長与千種の母親
長与千種さんのお母さんは、長與スエ子さんと言います。
お母さんはお父さんの経営していたお店を仕切っていたそうで、「ママ」と呼ばれていました。
晩年は認知症を発症、2023年9月に82歳で亡くなりました。
長与千種の兄弟や姉妹
長与千種さんには、お姉さんと弟さんがいます。
お姉さんは7歳年上、弟さんは7歳年下で一般人です。
名前や経歴、職業などは公表されていません。
長与千種の学歴
長与千種さんが通っていた学校について調べてみました。
長与千種の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
4年生の時から空手を習っていました。
長与千種の出身中学
小学校卒業後は、大村市立玖島中学校に進学しました。
中学では長与千種さんのことを全否定する数学の先生がおり、この先生の存在が原因で長与千種さんは学校が嫌いになり引きこもりのような生活を送るようになりました。
しかし2年生の時にソフトボール部が創設されたことで状況が変わり始め、女性の担任の先生の存在もあり休まずに学校に行けるようになったそうです。
長与千種の出身高校
中学校卒業後は、進学していません。
空手で推薦の話もあった長与千種さんですが、「これ以上父母にお金の面倒はかけられない」と思っていた時に月刊『平凡』で「女子プロレスラー募集。月収10万円」という広告を見て、長与千種さんはプロレスラーになることを決めました。
小学生の時にプロレスを鑑賞し憧れていたこともあり、「華やかな世界にいてお金が稼げるのならば、プロレスラーになるしかない」と思ったのだそうです。
まとめ
裕福な環境から一気にどん底な生活を味わうことになった長与千種さんですが、それがきっかけでプロレスラーの道を選びました。
空の上で見守ってくれている両親に安心してもらえるよう、これからも長与千種さんの決めた道をまっすぐに歩んでほしいと思います。