子役から活動していた火野正平さんは、どこの高校に通っていたのでしょうか。
両親はどんな人で、若い頃はどんな姿だったのでしょうか。
今回は、火野正平さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
火野正平の学歴
火野正平さんが通っていた学校について調べてみました。
火野正平の出身小学校
火野正平さんは、世田谷区立中丸小学校に入学しました。
4年生の時に目黒区立中根小学校に転校しています。
小学生の頃は近所に秘密基地を作って遊んでいたそうです。
火野正平の出身中学
小学校卒業後は、目黒区立第十一中学校に進学しました。
中学でも豊中市立第二中学校に転校しています。
火野正平さんは、豊中サイクリングクラブに入っていました。
火野正平の出身高校
中学校卒業後は、大阪府立桜塚高等学校に進学しました。
偏差値は、59です。
高校は中退しているため、卒業はしていません。
火野正平の出身大学
高校中退後、火野正平さんは芸能活動に専念しています。
そのため大学進学もしていません。
火野正平の実家
火野正平さんは、東京都目黒区で誕生しました。
その後住まいを変え、中学の時には家族で大阪に転居しています。
当時の詳しい場所は公開されていません。
火野正平の生い立ち
1949年5月30日に誕生した火野正平さんは、12歳の時に劇団こまどりに入団しました。
すぐにドラマ『少年探偵団』のレギュラーが決まり、お小遣いの金額の高さに「これはやめられまへんな」と思っったそうです。
ただ台詞が増えだすと先輩からテレビ局の裏に呼び出され、「生意気だ」と言われたこともありました。
ドラマ『わんぱく砦』に出演した時はすごい人気で家の周りには女の子がウロウロしたり、ファンレターも段ボール一杯になるという時代がありました。
ところが番組が終わると半年でピタッとなくなり、火野正平さんは「この世界はそういうもんなんだ」と身についたそうです。
火野正平の実の父親は3歳の時に死別
火野正平さんのお父さんは、火野正平さんが3歳の時に亡くなりました。
佐賀県出身ということ以外は情報がなく、名前や顔写真などは公開されていません。
継父とは確執があった
3歳で実父を亡くした火野正平さんには、継父がいました。
お母さんの再婚相手で、工場に技術を教える仕事をしていたそうです。
火野正平さんは継父と折り合いが悪く、しょっちゅう喧嘩していました。
火野正平さんが子役を始めたのも、継父の休みの日に火野正平さんとの時間をなるべく減らせるようにというお母さんの思いからだったそうです。
火野正平の母親
火野正平さんのお母さんは一般人です。
お母さんは、自宅で駄菓子屋をやっていました。
中学生の時に火野正平さんが継父に反撃した際、お母さんは継父を庇いました。
このことから火野正平さんは「自分の居場所はない」と感じたそうです。
火野正平の兄弟や姉妹
火野正平さんの兄弟は公表されていません。
一人っ子だったようです。
火野正平の若い頃
火野正平さんの若い頃の姿はこちらです。
火野正平さんお亡くなりになられました
— 昭和ガボテン島 (@mbcfKI0lCtJq0g2) November 20, 2024
必殺シリーズや最近の自転車の旅、好きでした🚲
75歳まだまだ若いです…残念🥲 pic.twitter.com/sxlbGvZvRT
火野正平までもが死んじゃうなんて。
— ともこさとう (@mxsp_hpwt) November 20, 2024
うちのダンナ、若い頃から似てる似てると言われ続けてて、結婚式でワタシの叔父叔母たちも口を揃えて似てる似てると言っていた。
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/6yOzA56PDi
若い頃の火野正平を見てると、濱田岳も妙齢になったら今の火野正平みたいになるのかもしれないと思えてくる。 #サワコの朝 pic.twitter.com/1IiaHfZD1D
— さむ (@sum_taka84) February 26, 2016
とてもカッコイイですね。
ネット上では俳優の濱田岳さんにそっくりだと話題になっていました。
火野正平の代表作
火野正平さん。やっぱり初期必殺シリーズのイメージだなぁ。『新・必殺仕置人』第40話「愛情無用」でも観るかな。残念。 pic.twitter.com/CrVJrJFeXc
— チョキレンジャーの墓標。 (@chokiranger) November 20, 2024
火野正平さんの代表作は、『必殺シリーズ』です。
1977年に『新・必殺仕置人』、1978年に『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』、『翔べ! 必殺うらごろし』、1985年に『必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜』が放送されました。
2009年にも『必殺仕事人2009』の第22話「最後の大仕事!!」で、拷問人・巳ノ助役を演じています。
火野正平のプロフィールや経歴
5/30 火野正平さん、誕生日おめでとうございます。 pic.twitter.com/Vgcz0egIjo
— 里芋🌟ナイアガラの月 (@satoimo23) May 29, 2017
名前:火野正平
生年月日:1949年5月30日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:168cm
所属事務所:シーズ・マネージメント
1962年にドラマ『少年探偵団』でデビューした火野正平さんは、映画『俺の血は他人の血』や『新・必殺仕置人』、『服部半蔵・影の軍団』、『長七郎江戸日記』など、多くの時代劇や映画、2時間ドラマに出演しました。
2012年にはハリウッド映画『終戦のエンペラー』、2018年には日中合作映画『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』と海外作品にも出演しました。
2021年、映画『罪の声』で第30回日本映画批評家大賞授賞式でゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞)を受賞しています。
1977年には歌手としてもデビュー、2023年には約14年ぶりとなる新曲『あかんたれ』をリリースし、ライブツアー「火野正平ライブツアー2023」を開催しました。
火野正平の所属事務所
火野正平さんは、「シーズ・マネージメント」に所属しています。
こちらの事務所には、近藤正臣さん、三村晃弘さんらも在籍しています。
火野さんは、長年にわたりこの事務所で活動を続け、多くの作品に出演されました。
火野正平の自宅
火野正平さんの自宅の場所は公開されていません。
ネット上では「東京都大田区の住宅街にある白い二世帯住宅」と噂されています。
この自宅は、一般的な大きさの戸建て住宅で、豪邸と呼ぶには少し疑問が残るとの声もあります。
また、2011年2月13日放送の「誰だって波瀾爆笑」では、自宅の一部が公開されました。
火野さんは、2024年11月14日に自宅で家族に見守られながら穏やかに最期を迎えられました。
まとめ
2024年11月14日、火野正平さんは75年の生涯に幕を下ろしました。
火野正平さんが出演した作品を、これからも大切にしていきたいですね。