「ザ・ドリフターズ」のメンバーの1人としてブレイクした高木ブーさんは、どんな人なのでしょうか。
何故「高木ブー」という芸名になったのでしょうか。
今回は、高木ブーさんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
高木ブーの年収がすごい!
高木ブーさんの年収は公表されていません。
「ザ・ドリフターズ」として老若男女問わず長きに渡り支持されていること、現在も活動を続けていることなどから数千万円以上になるのではないかと思われます。
高木ブーはウクレレで第一人者
日本最大のアロハフェス「ALOHA TOKYO」が明日31日から6月2日まで恵比寿ガーデンプレイスで開催。
— 恵比寿新聞 (@ebisushinbun) May 30, 2024
明日注目のステージは16:30から高木ブー大先輩のウクレレライブですよ!御年91歳のレジェンド「高木ブー」のライブは必見。
明日から恵比寿はハワイ一色🌴https://t.co/Y5Hnovmsk2 pic.twitter.com/MmqVhfxkNC
高木ブーさんは、ウクレレ奏者です。
お兄さんが15歳の誕生日にプレゼントしてくれたことがきっかけで、高木ブーさんはウクレレを始めました。
それまでウクレレが身近にあったわけでも、ウクレレに特別な思いを抱いていたこともなく、お兄さん自身も何故ウクレレをプレゼントしたのかはわからなかったそうです。
そのため初めの頃はウクレレの弾き方が分からなかった高木ブーさんでしたが、なりゆきで地元の夏祭りで演奏することになり、面白さに目覚めました。
現在は50本くらいのウクレレを所有、仕事では5~6本を使用しているそうです。
高木ブーはクレー射撃でもすごい
高木ブーさんは、クレー射撃もやっていました。
きっかけは「ザ・ドリフターズ」のメンバーだったいかりや長介さんに誘われたことで、メンバー全員が始めたものの、最後まで続けていたのは高木ブーさんだけだったそうです。
そんな高木ブーさんは「芸能文化人ガンクラブ」の会長もやっていました。
高木ブーの学歴
高木ブーさんが通っていた学校について調べてみました。
高木ブーの出身小学校
高木ブーさんは、巣鴨町立仰高尋常小学校(現・豊島区立駒込小学校)出身です。
自宅には当時まだ珍しかった蓄音機とジャズのレコードがあったため、小学生の頃から音楽をよく聞いていました。
高木ブーの出身中学
小学校卒業後は、京実中学校(現・東洋大学京北中学校)に進学しました。
現在の偏差値は、58〜65です。
高木ブーの出身高校
中学校卒業後は、京北高等学校(現・東洋大学京北高等学校)に進学しました。
現在の偏差値は、57です。
高校時代は「強くなりたい」とボクシングジムに通い、試合にも出ていました。
しかし「もし指をケガしたらウクレレを弾けなくなる」と思い、すぐに引退したそうです。
高木ブーの出身大学
高校卒業後は、中央大学に進学しました。
高木ブーさんは経済学部に在籍、偏差値は55~60です。
大学時代は授業でフェンシングをやっていました。
高木ブーの本名や芸名の由来
高木ブーさんの本名は「高木友之助 (たかぎ とものすけ)」さんと言います。
プロのミュージシャンになった時に「高木智之」という芸名を付けた高木ブーさんは、周囲から「ブータン」と呼ばれていました。
そして「ザ・ドリフターズ」に入った後に事務所の先輩である「クレージーキャッツ」のリーダー・ハナ肇さんから「お前は『ブータン』って呼ばれてるのか。じゃあ、それでいいや」と言われ『高木ブー』になったそうです。
高木ブーさんは「いくら太っているからって『ブー』はあんまりじゃないか」と思ったものの、活動を続けていく中で「この名前も良いのではないか」と考えが変わりました。
インタビューでは「初対面の人とかよく知らない人だと、遠慮してるのか『高木さん』って言う人も多いんだけど、ぜひ『ブーさん』って呼んでください」と明かしています。
高木ブーのプロフィールや経歴
【お大事に】91歳・高木ブー、アキレス腱断裂「左足にバーンと弾けるような違和感」 https://t.co/sBdnxttMgq
— ライブドアニュース (@livedoornews) September 21, 2024
「ライブのリハーサルに行く途中、家の前で左足にバーンと弾けるような違和感を感じました」と説明。ライブの出演はキャンセルになった。ライブでは孫とセッションする予定だったという。 pic.twitter.com/pk3SrHniw1
名前:高木ブー
生年月日:1933年3月8日
出身地:東京都生まれ、千葉県育ち
血液型:B型
出身地:160cm
大学卒業後に東京ガスの採用を蹴ってプロのミュージシャンになった高木ブーさんは、学生時代からハワイアンバンドとしてバイトしており、すでに当時の大卒の初任給より多いギャラをもらう月もあったことから「まぁ、なんとかなるだろう」と楽観的に音楽の道に進むことを決めたそうです。
いかりや長介さんからのすっかうとを受け『ザ・ドリフターズ』に加入、1985年には『ドリフ大爆笑』の「長介・工事・ブー おなじみ雷様」コントがシリーズ化、高木ブーさんの「雷様」は当たり役となりました。
高木ブーの所属事務所
高木ブーさんは、「イザワオフィス」に所属しています。
こちらの事務所には、加藤茶さん、いしだあゆみさん、小泉孝太郎さんらも在籍しています。
高木ブーの実家
高木ブーさんは、東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)で誕生しました。
第二次世界大戦末期の1945年に戦災で焼け出され、12歳の時に母方の郷里を頼って千葉県東葛飾郡柏町篠籠田(現:千葉県柏市明原2丁目)に一家で移ったそうです。
高木ブーの生い立ち
ドリフターズ初期メンバー
— 竹本裕樹 (@okayama1230) November 11, 2023
いかりや長介、仲本工事、加藤茶、荒井注、高木ブー pic.twitter.com/HcDMiv1Sp4
1933年3月8日に誕生した高木ブーさんは、6人兄弟の末っ子として誕生しました。
兄弟とは年が離れていたこともあり、両親からはとても可愛がられていたそうです。
男の子と駆け回って遊ぶより女の子とおままごとをする方が好きだった高木ブーさんは、陸軍に入って飛行機乗りになることが夢でしたが、空襲で家が焼けてからは抜け殻のようになってしまいました。
15歳の時にウクレレと出会い大学を出てすぐプロのミュージシャンになり、いくつかのバンドを結成したり移籍したりした後に「ザ・ドリフターズ」のメンバーになりました。
高木ブーの父親
高木ブーさんのお父さんは一般人です。
金門商会(現・アズビル金門)で勤務していました。
高木ブーさん曰く、お父さんは「偉い立場」にいたそうです。
高木ブーの母親
高木ブーさんのお母さんも一般人です。
名前や顔写真などは公開されていません。
高木ブーの兄弟や姉妹
高木ブーさんには、3人のお兄さんと2人のお姉さんがいます。
高木ブーさんは生まれた時、一番上のお兄さんは19歳、一番上のお姉さんは18歳ですでにお嫁に行っていました。
まとめ
戦争で家を失くした経験を持つ高木ブーさんは、ウクレレとの出会いで音楽の道に進み、「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして昭和の時代を盛り上げました。
これからも健康第一に、高木ブーさんのペースで活動を続けていってほしいですね。