旧ジャニーズ事務所に所属しながらも、アイドルとしてではなく俳優として確かな存在感を放ってきた風間俊介さん。
デビュー以来、数多くのドラマや映画に出演し、丁寧な演技と穏やかな語り口で幅広い層に支持されてきました。
そんな彼がどんな学生時代を過ごし、どのような家庭で育ったのか気になる方も多いのではないでしょうか。
今回は、風間俊介さんのこれまでの経歴を振り返りつつ、出身校や実家、家族構成などプライベートな側面にも迫ります。
風間俊介の学歴
風間俊介さんが通っていた学校について調べてみました。
風間俊介の出身小学校
風間俊介さんの出身小学校は、東京都江東区にある区立水神小学校です。
地元では落ち着いた住宅街に位置する公立小学校として知られ、風間さんもこの地域で幼少期を過ごしました。
印象的なのは、彼が小学校6年生のときに「将来はディズニーランドで働きたい」と公言していたこと。
11歳のときに初めて訪れた東京ディズニーランドに強い感動を受けたことがきっかけで、夢を持つようになったそうです。
実際にその夢は、のちの「ディズニー通」「ディズニー番組のナビゲーター」などとして形を変えて実現していくのですが、幼少期からエンターテインメントに惹かれていたことがうかがえます。
小学校時代のこうした経験が、後の俳優人生やタレントとしての感性にも少なからず影響を与えているようです。
風間俊介の出身中学
風間俊介さんは、小学校卒業後に東京都墨田区にある公立の両国中学校へ進学しています。
この中学校は、地元では進学意識の高い学校として知られ、勉学と部活動の両立に力を入れている校風が特徴です。
そんななか、風間さんは中学2年生のとき、友人の紹介をきっかけに旧ジャニーズ事務所へ入所。
以降はジャニーズJr.としてのレッスンやテレビ出演をこなしながら、学業にも手を抜かず、両立する日々を送っていました。
当時は芸能活動を理由に転校するジュニアも少なくないなか、風間さんは地元の中学校に通い続けたことで、学校の友人との関係も大切にしていたことがうかがえます。
芸能活動の初期段階でありながらも、規則正しい生活と周囲との調和を重視していた姿勢は、現在の落ち着いた人柄にもつながっているようです。
風間俊介の出身高校
風間俊介さんは、中学卒業後に東京都立小岩高等学校へ進学しています。
こちらの高校は地元の公立校で、当時の偏差値はおよそ50。
特別進学コースがあるわけではないものの、部活動や行事にも力を入れており、生徒の自主性が尊重される環境でした。
高校受験のため、一時的にジャニーズJr.としての活動を休止していた風間さんですが、復帰後は以前とは立場が変わっていたといいます。
休止前は生田斗真さんとともにセンターポジションを務めることもありましたが、活動再開後はその背後で踊ることが多くなったとのこと。
それでも風間さんは腐らずに地道にレッスンを重ね、事務所に残り続けました。
学業との両立を選び、表舞台に出るチャンスが減っても着実に努力を続けていた姿勢には、周囲からも一目置かれていたようです。
一方で、忙しい毎日が続いたことから授業中に居眠りすることも多かったそうで、本人も後年のインタビューで「寝てばかりいた高校時代」と苦笑交じりに語っています。
こうした下積み時代の粘り強さが、後の俳優業やナレーションの分野での信頼につながっていくことになります。
風間俊介の出身大学
高校卒業後、風間俊介さんは東京都武蔵野市にある私立の亜細亜大学へ進学しました。
学部は経済学部で、当時の偏差値はおおよそ45。
実学重視の教育方針で知られる大学ですが、芸能活動との両立は決して容易ではありませんでした。
風間さんは在学中からテレビドラマや舞台に次々と出演し、俳優としてのキャリアを本格的に築き始めていた時期。
実際、大学には約8年間在籍していましたが、芸能活動が多忙を極めたことで必要な単位を取り切れず、最終的には卒業ではなく除籍という形になっています。
この経緯について、本人もインタビューなどで正直に語っており、「卒業はできなかったけど、通っていたことに後悔はない」と述べています。
学生生活と芸能活動の両立は困難を極めたものの、若いうちから社会で活躍するという別の意味での“実学”を体得していたとも言えそうです。
大学で得た学びや人との出会いが、後のキャリアにも少なからず影響していると考えられます。
風間俊介がジャニーズを退所した理由
風間俊介さんは、2023年12月16日に公式サイトを通じて「2023年12月31日をもって、株式会社SMILE‑UP.(旧ジャニーズ事務所)を退所する」と発表しました。
当時、自身の心と深く向き合い、「この度の問題で多くのことを考え、自分の中に、新たな場所に身を置き挑戦してみたいという想いがあることに気が付き決断しました」と述べ、創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題を背景に、自らの進むべき方向や表現のあり方を見つめ直す契機になったことを示唆しています。
さらに、翌日には「今、新たな一歩を踏み出そうと思います。全ての方に胸を張れる歩みをしていこうと思っています」という意思も表明し、長年支えてくれた関係者やファンに対して感謝の気持ちを改めて伝えました。
12月31日には、会員制の有料サイトで最後のメッセージを発信。
これまで出会ったすべての人への感謝をつづりつつ、「2024年からは1人で歩んでいきます。でも1人だけど、1人ではない。新たな道を地味でも、一歩一歩、ゆっくりでも、一歩一歩、進んでいこうと思います」と決意を語りました 。
こうした発表からは、風間さん自身が「今までの歩みに誇りを持ちながら、一度自身の立ち位置や価値観を見直し、新たな挑戦へ踏み出す」強い意志がうかがえます。
風間俊介のジャニーズ同期
風間俊介さんが旧ジャニーズ事務所に入所したのは1997年5月18日で、中学2年生の時のことでした。
当時は同日入所の同期はいませんが、その数ヶ月後に安田章大さん、大倉忠義さん、錦戸亮さんが、同年中にはほぼ“同期”とも言える関係として丸山隆平さんらが入所しています 。
さらに、風間さん自身も公式番組で「完全な同期と呼べる人はいなくなってしまった」と語っており、オーディション時には10人ほどの同期がいたものの、現在は全員が退所していると明かしています。
また、嵐のメンバーである二宮和也さんや相葉雅紀さんらは正式には1996年入所の先輩にあたるため同期ではありませんが、「ほぼ同期」として親しい関係だと語られることもあります。
特に二宮さんとは誕生日も同じという縁深さもあり、仲がよいことで知られています。
風間俊介のプロフィールや経歴
#ドラマ40までに
— 風間 俊介 (@Kazama_0617_) August 22, 2025
8話どうだった?
俺みたいな
上司ほしい人いますか?笑
かっこいいでしょ
来週もみてね。 pic.twitter.com/KGH7HbLqiM
名前:風間俊介
生年月日:1983年6月17日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:164cm
風間俊介さんは、幼少期からテレビドラマが大好きで、「自分もテレビに出てみたい」という純粋な憧れから旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に自ら履歴書を送り、1997年に入所しました。
中学生ながらオーディションを経てジャニーズJr.としてのレッスンをスタートし、舞台やバラエティ番組などで経験を積んでいきます。
俳優としての転機となったのが、1999年に放送されたTBS系ドラマ『3年B組金八先生 第5シリーズ』。
問題児・兼末健次郎役を演じ、その繊細かつ迫力ある演技が大きな反響を呼びました。
この作品をきっかけに、日刊スポーツドラマ・グランプリの新人賞を受賞するなど、若手俳優として注目を集めるようになります。
一方で、ジャニーズJr.内ではユニット活動にも参加し、ダンスや歌のパフォーマンスもこなしていましたが、CDデビューには至らず。
いわゆる“デビュー組”ではないものの、演技力と誠実な人柄で評価を高めていきました。
2011年にはドラマ『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系)での印象的な演技により、日本放送映画芸術大賞助演男優賞などを受賞。
以降、俳優としての活動が本格化していきます。
2012年にはNHK連続テレビ小説『純と愛』にメインキャストとして出演し、全国的な知名度をさらに拡大。
さらに2018年からは日本テレビ系の朝の情報番組『ZIP!』で月曜メインパーソナリティーを務め、落ち着いた語り口と的確なコメント力で幅広い層からの支持を集めています。
また、2000年から放送されたアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』では、主人公・武藤遊戯の声を担当し声優デビューを果たしました。
アニメファンの間でも知られる存在となり、のちにスタジオジブリ作品『コクリコ坂から』でも声優として出演。
俳優、タレント、声優と、ジャンルを問わず柔軟に表現力を発揮してきた点も、風間俊介さんの大きな魅力の一つです。
風間俊介の所属事務所
風間俊介さんは2023年12月31日をもって、長年所属していたSMILE‑UP.(旧ジャニーズ事務所)を退所し、現在は事務所に所属せず、フリーランスの俳優・タレントとして活動を続けています。
同時に、今のところ他の芸能事務所に移籍したり、新たな所属先を検討しているという情報はなく、自分自身で仕事を選び、マイペースに表現の場を広げている姿が印象的です。
ファンにとっては、所属にとらわれない自由な活動スタイルもまた、風間さんの魅力の一つといえるかもしれません。
風間俊介の年収
実際の年収は未公開ですが、「5,000万円前後」もしくは「3,000万〜5,000万円以上」との見立てが多く見られます。
フリーになってギャラ取り分が増えた点は収入アップに寄与していることは確かです。
風間俊介の実家
風間俊介さんは東京都墨田区の出身で、現在も“下町育ち”のイメージが強く根付いています。
具体的な実家の住所は公表されていませんが、最寄り駅はJR総武線の「両国駅」周辺とされており、この地域で幼少期を過ごしたようです。
墨田区の中でも下町情緒が残るエリアにあたり、風間さんの飾らない雰囲気や穏やかな人柄にもその影響が感じられます。
また、バラエティ番組などで語った内容によると、隣接する江戸川区平井も生活圏内だったようで、「平井駅は“ど地元”です」と明言。「
仕事の時は平井駅に自転車を停めて、そこから電車に乗って通っていた」とのエピソードも披露しています。
こうした地元エピソードはファンからも親しみを持たれ、風間さん自身が東京下町出身であることを自然体で語る姿勢も好感を集めている理由の一つです。
風間俊介の生い立ち
ジュニア名鑑1997 風間俊介 pic.twitter.com/qnKVECxzcU
— ぐでおか (@yrmiyum826) November 26, 2014
1983年6月17日、東京都墨田区に生まれた風間俊介さんは、幼少期からテレビドラマに強い関心を持ち、「テレビに出たい」という気持ちを胸に中学2年生で旧ジャニーズ事務所に履歴書を送ります。
1997年の入所後は「少年隊」の舞台でデビューを果たし、その後も「TOKIO」や「V6」のコンサートでバックダンサーを務めながら実績を積み重ねていきました。
ジュニア時代には、ジャニーズJr.内ユニット「B.I.G.」や「Four Tops」のメンバーとしても活動。
「Four Tops」には生田斗真さん、長谷川純さん、山下智久さんとともに参加しており、当時から人気を集めていたものの、後にジャニー喜多川氏から「このメンバーでのCDデビューはない」と告げられたといいます。
この出来事は風間さんの進路を大きく左右する転機となりました。
その後は舞台やドラマでの演技力が高く評価され、次第に俳優業が活動の中心に。
アイドルとしてCDデビューすることはなくなり、ダンスや歌のパフォーマンスからは距離を置くようになります。
とはいえ、ジャニーズの枠を超えた独自のポジションを築き、実力派俳優としてキャリアを重ねていった姿勢は、現在の高い評価にもつながっています。
風間俊介の父親
風間俊介さんのご家族については詳細な情報が限られるものの、報じられている範囲で整理すると、お父さまは墨田区周辺で運送業を営んでいる経営者ではないかという推測があり、地元密着型の実業家として家庭を支えてきた可能性があります。
具体的な名前や職業の詳細は公表されておらず、憶測の域を超えませんが、風間さんの落ち着いた人柄や誠実さには、家庭の支えが大きく影響しているとも想像されます。
風間俊介の母親
風間俊介さんのお母さんも一般の方で、芸能活動などは行っていません。
そのため詳細なプロフィールは公開されていませんが、ネット上では「ご主人の運送業を手伝っている」との説と、「専業主婦で家庭を支えていた」との両方の説があり、どちらが事実かははっきりとはわかっていません。
ただ共通して語られているのは、風間さんと両親との関係が非常に良好であるという点です。
本人のインタビューによると、思春期にも大きな反抗期はなかったそうで、家族との会話も自然に交わしていたとのこと。
芸能界という不安定な世界で着実にキャリアを築いてこれた背景には、家庭での安定した関係性と、温かく見守る母親の存在があったことは間違いなさそうです。
仕事や人生の節目でも、親との距離が近く信頼関係があることが、風間さんの人柄や判断の落ち着きにもつながっているように感じられます。
風間俊介の兄弟や姉妹
風間俊介さんには、3歳年上のお姉さんが1人います。
お姉さんも一般の方で、職業や名前などの詳細は公開されていませんが、すでに結婚されており、子どももいるとのことです。
風間さんはインタビューなどで「姉の子どもが可愛くて仕方ない」と語っており、叔父として強い愛情を注いでいる様子がうかがえます。
幼少期から姉弟仲はとても良好で、学生時代には一緒に出掛けることも多く、時には恋愛相談をするような間柄だったそうです。
家庭内でも自然な距離感と信頼感が築かれていたことが伝わってきます。
芸能界という忙しくも浮き沈みのある世界で長く活躍し続ける風間さんですが、身近にいるお姉さんの存在や姪っ子とのつながりが、私生活での癒しや心の支えになっているのかもしれません。
まとめ
風間俊介さんは、ジャニーズJr.として活動しながらもCDデビューは果たしませんでしたが、俳優・声優・ナビゲーターと多彩な分野でキャリアを築き、「テレビに出たい」という少年時代の夢をしっかりと現実に変えてきました。
華やかな道ではなくとも、着実に歩みを重ね、作品ごとに評価を高めてきたその姿勢には多くの人が共感を寄せています。
事務所を離れた今もなお、風間俊介さんらしい誠実なスタンスで活躍の幅を広げており、今後も彼の丁寧な表現力と人柄が光る場面がさらに増えていくことでしょう。


