竹中直人さんは、個性派俳優として長年第一線で活躍してきた存在です。
独特の表情や身のこなしで強烈な印象を残す一方で、若い頃には「芸人だったの?」と話題になるほどコミカルな一面も持ち合わせていました。
実際に芸人活動をしていた時期があったのか、その真相を知りたいと思う方も多いでしょう。
さらに学生時代のエピソードや、どんな中学・高校で青春を過ごしたのかといった背景も気になるところです。
実は、竹中さんの家庭や自宅に関する情報まで調べられていて、公私ともにユニークな人生を歩んできたことがわかります。
シリアスからコミカルまで自在に演じ分ける原点をたどれば、竹中直人さんの奥深い魅力が一層際立って感じられるはずです。
竹中直人は若い頃芸人だった?
竹中直人さんは大学卒業後の1980年に劇団青年座へ入団し、俳優として舞台経験を積み始めました。
ただ、当時は「俳優だけで一生食べていくのは難しい」と感じ、別の道を模索するようになります。
そんな中で挑戦したのが、1983年にテレビ朝日で放送されていた『ザ・テレビ演芸』のオーディション企画「飛び出せ!笑いのニュースター」でした。
見事グランドチャンピオンを獲得し、一躍注目を浴びたのです。
この受賞をきっかけにバラエティ番組への出演も増え、1985年にはシティーボーイズやいとうせいこうさんらとともに「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」という演劇とコントを融合させたユニットを結成。
俳優としての活動と並行して、芸人さながらのコメディアンとしての一面も広く知られるようになりました。
こうした流れから「竹中直人さんは芸人だったの?」という声が出るようになったのです。
笑いながら怒る人で注目に!
竹中直人さんを語るうえで欠かせないのが、代表的な持ちネタ「笑いながら怒る人」です。
その起源は多摩美術大学在学中にさかのぼります。
竹中さんは1976年に同大学美術学部デザイン科へ入学し、在学中は「映像演出研究会」に所属。
自主映画を制作しながら表現の幅を広げていました。
あるとき、自主制作映画『首振り地蔵の怪』を上映した際、周囲に作品をからかわれた竹中さんが、思わず笑いながら「ふざけんじゃねぇ、コノヤロー」と返したところ、大爆笑が起きました。
この偶然から生まれたスタイルが、のちに竹中さんの代名詞となったのです。
この「笑いながら怒る人」は1980年代のバラエティ番組で広く知られるようになり、今でも舞台やトーク番組などで披露されることがあります。
NHKのインタビューでも竹中さんは「大学時代に思いついた笑い方が今でも続いている」と語っており、本人にとっても原点であり財産となっていることが伝わります。
シリアスな役柄とコミカルな芸風を自在に行き来できるのは、若い頃からのこうした経験があったからこそだと考えられます。
竹中直人のプロフィールや経歴
竹中直人さんは、コメディアンとして注目を集める一方で俳優としても才能を発揮し、1984年には映画『痴漢電車・下着検札』で銀幕デビューを果たしました。
当初は奇抜な役柄や独特のキャラクターが多かったものの、徐々にシリアスな役どころや悪役まで幅を広げ、主演から名脇役まで数え切れないほどの作品に出演してきました。
強烈な存在感と柔軟な演技力を兼ね備えている点が、多くの監督や共演者から支持され続けている理由といえるでしょう。
生年月日:1956年3月20日
出身地:神奈川県横浜市
血液型:A型
身長:168cm
趣味:マンガ、映画鑑賞、絵画、写真
特技:美術、歌
所属事務所:レディバード
1991年には映画『無能の人』で主演と監督を兼任し、本格的に監督デビュー。
漫画家・つげ義春さんの原作を映像化したこの作品は、竹中さんの独自の解釈が高く評価され、第44回ブルーリボン賞で新人監督賞を受賞するなど、俳優だけにとどまらない活動の幅を示しました。
その後も監督業を継続し、2021年には山田孝之さん、齊藤工さんと共同で映画『ゾッキ』を監督。
地域と連携したユニークな制作スタイルも話題になりました(参考:映画『ゾッキ』公式サイト)。
さらに竹中さんは、声優やナレーションなどでも活躍し、スタジオジブリ作品『耳をすませば』では重要キャラクターの声を担当。
映像の世界だけでなくアニメーションの分野にも足跡を残しています。
俳優・監督・声優と多岐にわたるキャリアは、芸能界の中でも非常に稀有な存在であり、長年にわたり第一線を走り続ける竹中直人さんの実力を裏付けています。
このように竹中直人さんの経歴は、コメディの才能を原点としつつ、俳優としての表現力、さらに監督としての創造性まで兼ね備えた多彩な歩みで形づくられています。
竹中直人の学歴
コメディアンかつ俳優としてデビューした竹中直人さんですが、そこに至るまでにどのような学歴を経てきたのでしょうか。
竹中直人さんの出身中学や高校について見ていきたいと思います。
竹中直人の出身中学
竹中直人さんの出身中学は私立の中高一貫校である関東学院六浦中学校です。
同校出身の有名人には、小泉純一郎元首相の息子である小泉孝太郎、進次郎の兄弟などがいます。
元々内気な性格だったという竹中さんですが、母親の勧めもあり、内気な性格を克服するために先生のモノマネを練習し、だんだんと同級生の人気者になっていったそうです。
竹中直人の出身高校
竹中さんは中学卒業後、そのまま関東学院六浦高等学校に内部進学します。
中学、高校ともに美術部に所属していましたが、高校入学後は幼い頃から両親に連れられてよく観に行っていたという映画にものめり込み、高校の頃から自主映画の制作を始めていたといいます。
映画業界を本格的に目指すようになったのは高校の頃のこうした経験が元になっているようです。
竹中直人の自宅
竹中さんの自宅は旗の台周辺にあるようです。
旗の台には東急大井町線と池上線が乗り入れていて、周辺は閑静な住宅街です。
池上線沿線には芸能人も多く住んでいるようで、歌手の井上陽水さんや俳優の渡哲也さんも暮らしていたエリアだったようです。
自宅の前には愛車のメルセデスベンツが停まっているようで、竹中さんが免許取得をしたのが47歳と意外にも遅い年齢だったようですが、仕事終わりやドライブで車に乗る姿も多く目撃されています。
まとめ
竹中直人さんは、若い頃に培ったコメディアンとしての感性を土台にしながら、俳優としても独自の地位を築いてきました。
奇抜な役柄からシリアスな演技、さらには映画監督や声優まで幅広く挑戦してきた歩みは、まさに唯一無二のキャリアといえます。
作品ごとに必ず印象を残す存在感は、長い年月を経ても変わらず、多くの人の記憶に刻まれているはずです。
これからもスクリーンやテレビで、竹中さんならではの個性と表現力に触れられる機会が楽しみですね。
興味を持った方は、過去の代表作や最新の出演情報もあわせてチェックしてみてください。
