2年連続で理想の上司に選ばれたこともある女優『篠原涼子』さん。
年齢を重ねても可愛さと明るい笑顔が素敵な女優さんですが、実は生い立ちが複雑だと言われてます。
そこで気になる実家や家族、篠原涼子さんの出身高校・身長までまとめて調査してみました。
篠原涼子のプロフィールや経歴
名前:篠原 涼子(しのはら りょうこ)
本名:市村 涼子(いちむら りょうこ)
生年月日:1973年8月13日(2020年現在47歳)
出身地:群馬県桐生市
身長:162㎝
血液型:B型
所属事務所: ジャパン・ミュージックエンターテインメント
代表作:『愛を乞う人』『アンフェア』『ハケンの品格』他多数
今では大女優となった篠原さんは、1989年に現在所属する事務所のオーディションに合格。
小学生の頃から憧れてた歌手が『中森明菜』さんで、オーディション時には『スローモーション』歌ってたそうです。
合格した翌年の1990年から『東京パフォーマンスドール』というアイドルグループで活動してました。
その翌年には、今でも語り継がれる名番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のレギュラーとしてコントに挑戦!
現役アイドルが体当たりでコントする姿に、知名度と人気が上がりました。
そして1994年には『小室哲哉』さんプロデュースの『愛しさと せつなさと 心強さと』が大ヒットしWミリオンを獲得。
同年に東京パフォーマンスドールを卒業後、女優業へシフトチェンジし今の地位を確立しました。
そんな篠原さんですが、子供の頃はあまり恵まれた環境ではなかったようです。
まずは学生時代から見ていきたいと思います。
篠原涼子の学歴
地元の群馬県にある『桐生市立広沢小学校』へ通っていた篠原さん。
幼少期は活発な女の子だったようで、男の子を手下にするほどだったとか。
そんな篠原さんは、中学時代も少しヤンチャな一面があったようです。
篠原涼子の出身中学
篠原さんは『桐生市立広沢中学校』に進学後、ダンス部に入っていたそうです。
しかし地元の不良達とコンビニ前で、たむろすることもあったとか…。
実は篠原さんが小学校6年の時に、父親が再婚したことが理由にあったようです。
きっと寂しい思いからヤンチャになったんでしょうね。
篠原涼子の出身高校
群馬県にある『私立桐生第一高等学校』へ進学しましたが、高校1年の時に中退してます。
進学して直ぐにオーディションに受かり、子供の頃から憧れていた歌手になるため決断をされました。
この頃から意志の強い女性だったんですね。
そんな思い切った決断ができる女性に育ったのは、複雑な家庭環境があったようです。
篠原涼子は複雑な生い立ちだった?
今では家庭を持ち順風満帆な篠原さんですが、幼少期の家庭環境は大変だったようです。
どんな役もこなせる演技力は、そんな子供の時の経験が活かされてるのかもしれません。
それでは、どんな家族関係なのか見ていきたいと思います。
篠原涼子の実家や家族
2人の息子を育てる母として、たくましい女性の印象が強い篠原さん。
すでに両親共に他界しており、帰れる実家があるかはわかりません。
子供の時は祖母の元へ預けられることも多く、幼い頃から料理の手伝いもされてたそうです。
では、篠原さんのご両親はどんな方なのでしょう?
篠原涼子の父親
実は父子家庭で育ち、篠原さんは大変父親を尊敬されていました。
男手一つで子供達を育てた父親は、篠原さんが挙式した3日後に亡くなってます。
とても愛情深く子供達を育て、篠原さんがオーディションへ送る履歴書の作成も手伝ってくれたそうです。
そんな父親の影響は大きかったでしょうね。
篠原涼子の母親
では母親はというと、悲しいことに篠原さんが2歳の時に交通事故で亡くなっています。
父子家庭に育ったのは、早くに母親が亡くなってしまったからなんです。
2歳だと母親の記憶は、ほとんどないかもしれませんね。
篠原涼子の兄弟
篠原さんは3兄弟の末っ子で、6歳上の兄と3歳上の姉がいてます。
姉の方が美人という噂もあるようです。
母親を早くに亡くし、兄弟で支え合ってきたんでしょうね。
まとめ
以上、篠原涼子さんの出身高校や複雑な生い立ちについて調査してきました。
早くに母親を亡くし辛い子供時代を、父親が一生懸命に愛情を注いで育ててくれたんですね。
きっと寂しい思いをした経験が、女優として演技に反映されてると思います。
これからも素晴らしい演技で、私達を感動させて頂きたいですね。
篠原涼子さんの活躍を、今後も応援していきたいと思います。