「あの人どこかで見たことある!」そんな印象を残す名バイプレイヤー・近藤芳正さん。
いつの間にか物語の世界に引き込まれる演技で、多くの作品に欠かせない存在ですよね。
でも、近藤芳正さんってどんな学生時代を過ごしてきたのか、ご実家やご家族はどんな方なのか…意外と知られていないかもしれません。
この記事では、俳優を目指したきっかけや代表作、出身高校や大学、そしてお父さんやお母さんとの関係など、近藤芳正さんの素顔に迫っていきます。
気になる情報をまるごとチェックしてみてください。
近藤芳正の若い頃はどんな感じだった?
#NHK #中学生日記 出てた頃の写真に 出逢った!
— 近藤芳正 (@goensai) January 5, 2017
40年以上前 pic.twitter.com/kkA6DdwZkV
近藤芳正さんは15歳の時に『中学生日記』でデビューしました。
当時から役者になることしか考えておらず、「とにかく東京へ」という思いが強くありました。
しかし『中学生日記』で先生役を務めていた湯浅実さんが「しっかり準備をしてからでも遅くはない」と悟し、1年間指導を行ってくれたそうです。
その後上京し青年座の研究生になり、生活のためにホテルで皿洗いのアルバイトを始めました。
そこで「彼が将来を有望視されている若手演出家だ」と紹介された人が、自分の隣で一緒に皿洗いをしている状況に「とんでもなく厳しい世界だ」と絶望感が重くのしかかったそうです。
研究所を卒業した後も特定の劇団に所属することなくフラフラしていた近藤芳正さんは、劇団七曜日のオーディションには合格したものの、「アルバイトをしながらお芝居をする」という生活は変わりませんでした。
そして28歳の時「30歳を過ぎてもアルバイトをしながら役者を続けるのか」と自問した結果、「もう役者は辞めよう」という結論に至りました。
ただ「悔いだけは残したくない」という気持ちがあったため、いろいろな舞台を観て歩き面白いと感じた劇団に出演を直談判した結果三谷幸喜さんの作品に出演、役者を辞めることなく今に至っています。
近藤芳正の代表作
窪田将治監督最新作『野良犬はダンスを踊る』出演/近藤芳正 加藤慶祐 鈴木勝吾/久保田秀敏 山田ジェームス武 倉貫匡弘/川瀬陽太 柳憂怜 草野康太/山本宗介 橘美緒 中島愛里 潮美華/柳英里紗/木下ほうか 10月10日公開 pic.twitter.com/INlll1fWvU
— NORTH FAITH (@north_faith) July 16, 2015
俳優としてのキャリアが長い近藤芳正さんには、多くの印象的な出演作がありますが、その中でも特に注目を集めたのが、2015年に公開された映画『野良犬はダンスを踊る』です。
この作品では、近藤さんが映画初主演を果たし、俳優人生において大きな節目となりました。
この映画は、孤独を抱える中年男性があるきっかけで変化していく姿を描いたヒューマンドラマで、近藤さんの演技力が存分に発揮された作品として高く評価されました。
これまで主に脇役として作品を支えてきた近藤さんにとって、主演として物語を引っ張る立場を経験したことは、新たな一面を見せる契機となったようです。
作品の内容だけでなく、国際的な評価も見逃せません。『野良犬はダンスを踊る』は、カナダで開催されたモントリオール世界映画祭において「フォーカス・オン・ワールド・シネマ」部門に正式出品されました。
この映画祭は、世界各国の注目作品が選出される権威ある場として知られており、選出自体が作品の完成度や俳優の演技への評価を意味しています。
また、近藤さんはこの作品において、内面の機微を繊細に表現する演技が高く評価され、キャリアの幅をさらに広げるきっかけにもなりました。
テレビドラマや舞台で培ってきた確かな技術を、映画という枠組みの中でも十分に発揮できることを証明したとも言えるでしょう。
もちろん『野良犬はダンスを踊る』だけが代表作ではありません。
これまで数多くのドラマや映画に出演しており、たとえば医療ドラマや刑事もの、コメディ作品などジャンルを問わず幅広い役柄をこなしてきました。
どの作品においても“名脇役”としてその場に欠かせない存在感を放ち、視聴者の記憶に残る演技を見せています。
役柄の幅広さは、舞台経験の豊富さにも裏打ちされており、長年にわたって磨き上げてきた表現力の深さが、どの作品でも安定感のある演技につながっているのかもしれませんね。
こうした代表作を通して見えてくるのは、近藤芳正さんの「ただ上手い」だけではない、見る人の心に残る演技の力です。
今後もまた、どんな作品でその魅力を発揮してくれるのか、楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。
近藤芳正のプロフィールや経歴
今日から お世話になります。#ブギウギ #山下達夫 pic.twitter.com/nIaE8YcknL
— 近藤芳正 (@goensai) December 21, 2023
名前:近藤芳正
生年月日:1961年8月13日
出身地:愛知県
血液型:AB型
身長:171cm
所属事務所:松竹エンタテインメント
近藤芳正さんは、15歳のときに芸能界デビューを果たし、長年にわたり俳優として幅広いジャンルの作品で活躍してきました。
早くから俳優を志していた近藤さんですが、その道のりは決して順風満帆だったわけではありません。
高校卒業後、名門・文学座の養成所に応募しますが、残念ながら不合格だったそうです。
近藤さん自身、当時は「ここに入れば何とかなるだろう」といった漠然とした思いで受験していたそうで、結果には納得していた部分もあったのかもしれませんね。
その翌年、俳優としての道を本格的に追い求めるため、東京に上京。
演出家・湯浅実さんが所属していた劇団「青年座」の研究所に入所し、約2年間にわたり演技の基礎を学びました。
続いて「劇団七曜日」に入団するも、しばらくのあいだは目立った役に恵まれず、俳優としての評価はなかなか得られませんでした。
そんな近藤さんに転機が訪れたのが1991年。
脚本家・三谷幸喜さんによる映画『12人の優しい日本人』に出演したことがきっかけでした。
この作品での演技が評価され、以降、三谷さんの主宰する「東京サンシャインボーイズ」の舞台にたびたび客演として登場するようになります。
正式な劇団員ではなかったものの、ほぼレギュラーのように舞台に立ち続け、徐々に注目を集めるようになっていきました。
さらに近藤さんの名を広く知らしめたのが、1996年に上演された『笑の大学』での二人芝居。
西村雅彦さんと共演したこの舞台は、読売演劇大賞の最優秀作品賞を受賞するなど高い評価を受け、近藤さん自身の演技力にも大きな注目が集まりました。
この作品以降、テレビドラマや映画への出演が一気に増え、名バイプレイヤーとしてのポジションを確立していきます。
また、自らの表現の場を広げるために劇団活動も精力的に行っており、2001年には劇団「ダンダンブエノ」を、2009年にはソロプロジェクト「バンダ・ラ・コンチャン」を立ち上げています。
これらの活動では演出や企画にも関わり、俳優としてだけでなく創作の面でも手腕を発揮してきました。
このように近藤芳正さんのキャリアは、華やかな主演作だけで語れるものではありません。
下積みを重ね、舞台での経験を積みながら、独自の存在感を確立してきたことがわかります。
派手さはなくとも、どの作品にも欠かせない“名脇役”として、着実に信頼と実績を積み上げてきたその歩みには、多くの共感や尊敬の声が寄せられています。
近藤芳正の所属事務所
俳優として長年にわたり活躍している近藤芳正さんが所属しているのは、大手芸能プロダクションの「松竹エンタテインメント」です。
この事務所は、松竹グループの一角として確かな歴史と実績を持ち、特に舞台やテレビ、映画など幅広いメディアに対応できる体制が整っている点で知られています。
松竹エンタテインメントには、歌舞伎俳優としても有名な片岡愛之助さんや、ミュージカルやテレビドラマで活躍する尾上松也さん、落ち着いた演技で定評のある森口瑤子さんなど、実力派俳優が多数在籍しています。
いずれも演技力に定評があり、芸能界で着実に実績を積み上げてきた方ばかりですよね。
近藤芳正さんがこの事務所に所属していることからもわかるように、松竹エンタテインメントは“派手なタレント性”というよりも、表現力や経験に裏打ちされた“本物志向の役者”を大切に育てる傾向があるようです。
地道にキャリアを築き、作品ごとに確実な仕事をしてきた近藤さんのスタイルとも非常に相性がよいのではないでしょうか。
また、松竹エンタテインメントは舞台のプロデュースやイベント制作にも積極的に取り組んでおり、所属俳優が映像だけでなく生の舞台でも力を発揮できる場を用意しています。
こうした土壌が、舞台と映像の両方で活躍している近藤さんの活動の幅を支えているとも言えそうですね。
俳優としての信頼性や作品ごとの演技の質を重視する方にとって、所属事務所の方針は非常に重要な要素です。
その点で松竹エンタテインメントは、芸歴や演技の深みを活かして長く活躍したい俳優にとって、非常に理想的な環境といえるでしょう。
近藤芳正さんが安定したペースでさまざまなジャンルの作品に出演し続けている背景には、こうした事務所のサポート体制や方針があるのかもしれませんね。
今後もまた、舞台・ドラマ・映画と幅広いフィールドでの活躍が期待されます。
近藤芳正の年収
近藤芳正さんの年収については、公式な発表はされていません。
芸能人の収入は、出演本数やギャラの単価、CM契約や舞台公演の有無などさまざまな要素によって大きく変動するため、明確な数字は公にはなっていないのが実情です。
ただ、近藤芳正さんの場合は長年にわたって安定的に多くの作品に出演しており、その出演歴はかなりのボリュームです。
主演を張ることは少ないものの、名バイプレイヤーとしてテレビドラマ・映画・舞台など幅広いフィールドで引っ張りだこの存在となっていますよね。
たとえば、1クールの連続ドラマにレギュラーで出演するだけでも、ギャラは1話あたり数十万円〜百万円台とされており、単発ドラマや映画、舞台公演を含めると年間の仕事量は相当なものになると考えられます。
また、近藤さんはナレーションやCM、トーク番組などにも登場することがあり、これらもすべて収入に直結する仕事です。
さらに、芸能界では“主演=高収入”というイメージがあるかもしれませんが、実際には脇役であっても出演本数が多ければ年収はしっかりと積み上がっていきます。
長く芸能界に身を置き、多くの制作サイドから信頼されている近藤さんであれば、単価も一定以上に設定されている可能性が高いです。
実際、ある芸能メディアの関係者の話によると、「主役級ではなくても、年間数千万円を稼ぐ俳優は少なくない」といったコメントもあるようです。
そうした背景を踏まえると、近藤芳正さんの年収もおそらく数千万円規模に達していると推測しても不自然ではありません。
もちろん、舞台活動や自身のユニット立ち上げなど、演技以外にも積極的な活動をしている点も見逃せません。
これらの企画においては、出演だけでなく構成や演出にも関わっていることがあり、そのぶん収益の分配率が高くなるケースもあるでしょう。
近藤さんのように、「派手さはないけれど、業界で信頼され続けている俳優」の場合、安定した仕事と収入を確保しているケースが多いのも特徴です。
俳優という職業の多様な働き方や収入スタイルを知るうえでも、近藤さんのような存在はとても参考になりますよね。
年収の具体的な数字こそ不明ではありますが、長く第一線で活躍してきた近藤芳正さんのキャリアと実績を考えると、その実力と信頼に見合った安定した収入を得ていると考えるのが自然でしょう。
近藤芳正の学歴
近藤芳正さんが通っていた学校について調べてみました。
近藤芳正の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
ネット上では「名古屋市立稲西小学校ではないか」と噂されています。
近藤芳正の出身中学
小学校卒業後は、名古屋市立汐路中学校に進学しました。
中学時代は肥満児で、体重は75㎏もあったそうですよ。
そんな近藤芳正さんは絵を描くことも好きだったことからお父さんに「児童劇団に入団したい」、「油絵の絵の具を買ってほしい」という2つのお願いをしたそうです。
しかしお父さんから「一つにしなさい」と言われたため、悩んだ末に選んだのが児童劇団でした。
近藤芳正さんは「この時絵を選んでいれば、今とは違った道を歩んでいたかもしれない」と明かしていました。
近藤芳正の出身高校
中学卒業後は、立花高等学校(現・日本福祉大学付属高等学校)に進学しました。
現在の偏差値は、49です。
近藤芳正さんが通っていた時には学園総合移転計画のまっただ中で、名古屋市昭和区にあった仮校舎はプレハブ造りで「夏は暑く冬は寒い」という状況だったそうです。
すでに役者になると決めていたため「何のために行くのかな」と思いながら通っており、授業後はテレビ局のスタジオで過ごす毎日が続き、勉強にはあまり興味を持てなかったそうですが、留年や中退することなく卒業しました。
近藤芳正の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
近藤芳正さんは「高校を卒業したら東京へ行こう」と決めていたと明かしており、進学は考えていませんでした。
近藤芳正の実家や生い立ち
近藤芳正さんは1961年8月13日生まれで、愛知県名古屋市瑞穂区の出身です。
名古屋市内でも歴史と落ち着きのある地域として知られる瑞穂区で、幼少期を過ごしました。
現在のところ、実家の住所など詳細な場所までは公表されていないようです。
子どもの頃から、人前で何かを表現することが好きだったようで、小学生のときに出場した学芸会では、演劇『夕鶴』の主人公・与ひょう役を務めています。
このときの演技が、先生や周囲の大人たちから非常に高く評価されたことで、演じることの楽しさに目覚めたといいます。
たしかに、子ども時代に褒められた経験って、のちの人生を左右する大きなきっかけになりますよね。
さらに、中学時代には地元名古屋で長年放送されていた教育番組『中学生日記』(NHK名古屋放送局制作)に出演。
この番組は名古屋周辺の中学生たちが多数出演しており、地元の子どもたちにとっては身近な存在でした。
そのなかで実際に出演者として活動した経験が、近藤さんにとって俳優の道を選ぶ決定打になったようです。
芸能一家というわけではなく、地元でごく普通の家庭に育ちながら、自身の興味と経験をもとに俳優を志していった過程は、多くの人にとって共感を呼ぶ部分かもしれません。
特別なコネクションがあったわけではないからこそ、努力によって一歩ずつキャリアを積み上げてきた姿に、応援したくなる気持ちも湧いてきます。
なお、近藤芳正さんのご両親については、これまでのメディア取材などでもあまり詳しく語られていません。
ただ、家族との関係は良好だったようで、演技を始めたきっかけやその後の活動にも一定の理解があったのではないかと推察されます。
名古屋という土地でのびのびと育ち、演劇の楽しさに触れながら成長していった近藤さん。
こうした原点が、今の自然体で説得力のある演技にもつながっているのかもしれませんね。
近藤芳正の父親と母親
近藤芳正さんのご両親は、芸能関係者ではなく一般の方です。
そのため、名前や顔写真、職業などの詳細な情報はこれまで公表されていません。
ただし、いくつかのインタビューや過去の発言から、近藤さんの家庭環境について断片的に知ることができます。
たとえば、近藤芳正さんが中学生の頃に出演していたNHK名古屋放送局の番組『中学生日記』。
この番組に関するインタビューの中で、当時の家庭環境について触れた場面がありました。
近藤さんによると、この番組に出演していた時期、ご両親はすでに離婚していたそうです。
離婚そのものの経緯については語られていないものの、近藤さんは当時の心境について「撮影現場に通っていたことで、自分の寂しさが和らいだ」と率直に語っており、「ここに来れば必要とされているという感覚が、自分にとってとても大きかった」と話しています。
このエピソードからも、家庭の中で寂しさを抱えながらも、外の世界で自分の居場所を見つけていたことがうかがえますよね。
こうした経験が、近藤さんの人間味あふれる演技や、内面を繊細に表現する力につながっているのかもしれません。
実際に、どの作品でも“人間の複雑さ”や“さりげない感情の機微”を丁寧に演じ分けている印象があります。
幼少期や思春期に抱いた感情が、今の俳優としての土台を支えていると考えると、近藤さんの演技にはより一層深みを感じますね。
ご両親については情報が限られているため、外からはわからない部分も多いですが、家庭の状況がその後の人生に大きな影響を与えていたことは間違いないようです。
それでも前を向いて進み、自分の場所を見つけてきた近藤さんの姿は、多くの人にとって励みになるのではないでしょうか。
近藤芳正の兄弟や姉妹
近藤芳正さんには、兄弟や姉妹はおらず、一人っ子として育ちました。
芸能人や著名人の家族構成が気になる方は多いですが、兄弟がいないという情報は、ご本人のこれまでのインタビューやプロフィール紹介などでもたびたび明かされています。
一人っ子というと、少し寂しい印象を持たれる方もいるかもしれませんが、近藤さんの場合は、幼少期から“ひとりで過ごす時間”を自然と楽しむタイプだったようです。
周囲の同年代の子どもたちが集団で遊ぶなかで、近藤さんは一人で空想を膨らませたり、演じることに没頭したりするのが好きだったといいます。
そうした子ども時代の過ごし方が、のちに「一人芝居でも違和感がない」と感じる感覚につながっていったのかもしれませんね。
実際、演技の世界では“自分の世界観を一人で構築できる力”が求められることも多く、特に舞台ではセリフの間や視線の動きなど、相手役がいなくても観客の心を引き込む演技力が必要とされます。
近藤さんの繊細で安定感のある芝居には、そういった幼少期からの“自己完結型の想像力”が大きく影響しているようにも思えます。
また、一人っ子ならではの感受性の高さや観察力は、役作りにも生かされているのではないでしょうか。
たとえば、登場人物のちょっとした心の揺れや、日常の中にある些細な違和感を演じ分ける力は、近藤さんの大きな魅力のひとつです。
どんな役でも“演じすぎない自然さ”がにじみ出ており、それが多くの視聴者の共感を呼んでいる理由ともいえますよね。
一人っ子という家庭環境は、時に孤独を感じることもあったかもしれませんが、それをネガティブではなく「演技の原点」として捉えている近藤さんの姿勢は、とても前向きで魅力的です。
演じることが“自分を表現する手段”であり、同時に“心の居場所”でもあったのかもしれません。
こうした背景を知ると、作品に登場する近藤芳正さんの一つ一つの表情や佇まいが、より深く感じられてきますね。
まとめ
10代でデビューした近藤芳正さんは、アルバイト生活が続き「役者を諦めよう」と思ってしまったこともありました。
しかし「後悔しないように」という思いが近藤芳正さんを俳優への道へと導き、今の活動に繋がっています。
今後も近藤芳正さんの活躍を応援していきたいと思います。
