岩松了さんは、俳優としてだけではなく、劇作家、演出家、映画監督としても活動しています。
そんな岩松了さんはどんな人なのでしょうか。
今回は、岩松了さんの経歴や出身学校について調べてみました。
岩松了のプロフィールや経歴
「二十歳のとき、何をしていたか?」発売中。劇作家の岩松了さんの取材をしたのは、当時の思い出が強烈に宿る四谷・津の守坂通り。何でも極貧時代、駒込にある友人のバーに行くべく歩いていたところ、道を訪ねたガソリンスタンドで人の優しさに触れたのだとか。思い出の場所があるって、いいよね。 pic.twitter.com/Zs4mC0RAkF
— POPEYE (@POPEYE_Magazine) February 28, 2018
生年月日:1952年3月26日
出身地:長崎県
血液型:A型
身長:168cm
所属事務所:鈍牛倶楽部
大学在学中に舞台の世界に入った岩松了さんは、1980年代後半から劇作家、演出家としても活動を始めました。
1989年に『蒲団と達磨』で岸田国士戯曲賞を、さらに1993年には紀伊國屋演劇賞を、1998年には『テレビ・デイズ』で読売文学賞を受賞しています。
1990年代からはテレビドラマや映画の脚本家・監督としても活躍し、さらに竹中直人さんと共に舞台『竹中直人の会』を上演、全9回に渡り脚本・演出を手掛けました。
2009年からは兵庫県にある劇団「ピッコロ劇団」の代表を務め、2018年には兵庫県文化賞を受賞しました。
俳優として多数のドラマに出演していますが、2017年から出演している名刺管理サービス会社SansanのCMでは「それ、早く言ってよ〜」のフレーズとともに親しまれ、老若男女問わず知名度を上げました。
こちらのCMでは、2020年8月から元社長役として出演しています。
岩松了は劇団東京乾電池出身!
岩松了さんは、1978年に劇団東京乾電池に入団、1992年退団しています。
この劇団は俳優の柄本明さんやベンガルさんが旗揚げし、岩松了さんは「演出家として参加してほしい」と頼まれ、入団したそうですよ。
劇団東京乾電池では、高田純次らと一緒にコントを主体としたお笑い演劇で人気を博し、「不条理の中の渋みのある笑い」として認知されていました。
岩松了の若い頃はどんな感じ?
大学在学中に劇団自由劇場へ入団した岩松了さんは、違和感を感じて1973年に退団しています。
その後、劇団東京乾電池に入団、活動の幅を広げていきました。
劇作家の仕事には強いこだわりがあるとのことで、「仕事はなんですか、と訊かれたら、やっぱり劇作家と答える」と明かしています。
岩松了の学歴
岩松了さんが通っていた学校について調べてみました。
岩松了の出身中学
出身中学校については、公表されていません。
出身が長崎県ということで、県内の学校に通っていた可能性が高いですね。
中学時代は、受験勉強から逃れるためにと読み始めた本にのめり込んでいったそうです。
岩松了の出身高校
中学校卒業後は、長崎県立川棚高等学校に進学しました。
高校時代については情報がなく、不明です。
岩松了の出身大学
高校卒業後は、東京外国語大学に進学しました。
外国語学部ロシア語学科に在籍し、「演劇部ベガ」に所属していたそうです。
しかし演劇の世界に惹かれ、大学は中退しています。
まとめ
演技だけではなく物語の作り手でもある岩松了さんは、多くの役者から親しまれ、舞台、ドラマ、映画と絶えず仕事をしています。
今後もそんな岩松了さんの活躍を応援していきたいですね。
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