中山泰秀防衛副大臣は33歳の頃から国会議員として活躍しています。
そんな中山泰秀防衛副大臣はどんな派閥にいて、どんな経歴なのか。
今回は、中山泰秀防衛副大臣の経歴や派閥・学歴などを調べました。
中山泰秀防衛副大臣の派閥は?
中山泰秀防衛副大臣は自民党に所属していますが、自民党内のどの派閥に属しているのかも調べました。
中山泰秀さんが所属している派閥は、清和政策研究会という派閥で、通称・細田派とも呼ばれています。
清和政策研究会は、自民党内の最大派閥で、安倍晋三元総理なども所属している派閥で、古くからあり名門派閥とも呼ばれています。
中山泰秀防衛副大臣のプロフィールや経歴
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生年月日:昭和45年10月14日
出身地:大阪市北区
所属政党:自由民主党
当選:5回
大学卒業後、電通に入社しました。
1996年、26歳の時に第41回衆議院議員総選挙で大阪5区に出馬しましたが、次々点となり、比例復活もならず、初めての出馬では落選を経験しました。
2000年の第42回衆議院議員総選挙にも出馬しましたが、落選してしまいます。
2001年に行われた大阪府議会都島区補選に自民党公認・保守党推薦で出馬しましたがこちらも落選してしまいますが、応援に駆けつけた小池百合子氏の政策秘書に採用されました。
2003年の第43回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬し、小選挙区では敗れてしまうものの、比例復活で初の当選を33歳で果たしたのです。
2005年、第44回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬して再選を果たし、政治倫理審査会委員や衆議院議事進行係を務めました。
翌年の2006年10月には、自民党内の党内閣部会専任部会長に就任しています。
2007年8月、第1次安倍改造内閣で外務大臣政務官に就任し、9月に福田康夫内閣では外務大臣政務官に再任されました。
2009年8月に第45回衆議院議員総選挙で大阪4区から出馬しました。小選挙区で敗れてしまい、比例復活もできずに落選してしまいました。
落選したあとは、株式会社パソナグループの代表補佐に就任しています。
2010年3月、早稲田大学大学院でスポーツ科学研究科修士課程修了しました。早稲田大学大学院では修士(スポーツ科学)の学位を取得しています。
2012年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙に大阪4区から再起をかけ出馬し、小選挙区では敗れましたが、比例復活で当選し、見事国政へ復帰を果たしたのです。
2014年9月に第2次安倍内閣では、外務副大臣に就任しました。12月には第47回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬し、小選挙区で4選を果たしました。第3次安倍内閣で外務副大臣にも再任されました。
2015年1月に起こったISILによる日本人拘束事件を受け、外務省在ヨルダン日本国大使館に設置された現地対策本部の本部長に就任しました。10月に、自民党大阪府連の会長に就任しています。
2017年10月、第48回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬し、5選を果たしました。
2020年9月、菅義偉内閣で防衛副大臣兼内閣府副大臣に就任しています。
中山泰秀防衛副大臣の学歴
世襲議員としては、スーパーサラブレッドと言ってもおかしくない中山泰秀防衛副大臣はどんな学生生活を送ったのか気になる人も少なくないでしょう。
中山泰秀防衛副大臣の学歴について調べてみました!
中山泰秀防衛副大臣の出身小学校
中山泰秀防衛副大臣が卒業したのは追手門学院小学校です。
西日本最古の小学校で、私立の小学校です。
学校名を検索すると「金持ち」という言葉が出てくることでもわかるように、お受験をして多くのお金持ちの子女が通う学校でもあります。
中山泰秀防衛副大臣の出身中学
中山泰秀防衛副大臣が通った中学校は、千代田区立九段中学校です。
千代田区立なので、見ての通り公立校ですが、入学には受験が必要な学校です。
現在は、都立九段高等学校と合併し、千代田区立九段中等教育学校となっています。
中山泰秀防衛副大臣が通っていた当時は、まだ九段中学校だったので、そこを卒業したのです。
中山泰秀防衛副大臣に出身高校
中山泰秀防衛副大臣は、高校はフランスへ留学しています。
留学先の学校は、アルザス成城学園という成城学園が経営している、フランスの日本人向けの学校に通っていました。
3年間通い、卒業しています。
中山泰秀防衛副大臣の出身大学
中山泰秀防衛副大臣が成城大学を卒業しています。
成城大学は、多くの財界人や著名人が通うことでも有名ですね。
大学卒業後は、電通に就職しました。
中山泰秀防衛副大臣の出身大学院
中山泰秀防衛副大臣は、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で修士課程を修了しています。
しかし、大学卒業後に、就職をしています。
大学院には、2009年に落選をしたときに、修了しました。
国会議員として返り咲こうと再起をかけている時期に、しっかりを修士課程を終えているのは、まさにそのための努力をしていたと言えますよね。
まとめ
祖父母も有名な国会議員で、お父さんも伯父さんも国会議員でまさに政治家一家に生まれた中山泰秀防衛副大臣ですが、政治生活は常に順風満帆だったとは言いにくいものでした。
何度かの落選などもあり、紆余曲折ある中で、国会議員としての今があるのは、努力の賜物だったと言えるのかもしれません。
これからも日本のために頑張って欲しいものですね!