平野早矢香さんは、全日本卓球選手権大会・女子シングルスで歴代3位タイの5度優勝を果たした元卓球選手です。
そんな平野早矢香さんは何故「鬼」といわれていたのでしょうか。
今回は、平野早矢香さんの経歴と、鬼といわれていた理由を調べてみました。
平野早矢香がかわいい!
ネット上では、現役時代だけではなく引退した今も「平野早矢香さんが可愛い」といわれています。
笑顔がかわいい卓球選手は群抜いて平野早矢香選手。
— カクエー💙 (@1kakue1) July 26, 2021
平野早矢香ほんとかわいい。女子卓球史上最高にセクシー。
— がっきぃ✨(11) (@wasarya) September 30, 2018
現役を引退してテレビに出てきたらすごくかわいいんだけどってスポーツ選手が村上佳菜子ちゃんと卓球の平野早矢香さん。お話するたびに好感度が上がる。
— オックン (@xtlhjn12njt) January 27, 2018
卓球は今までだと平野早矢香選手が一番好きだった
試合じゃない時の彼女は柔らかい表情で可愛いねんけどいざラケット握るとほんま鬼の形相(褒めてます)でめちゃくちゃかっこよかったすっごい目ヂカラほんまかっこよかった プレーは無論
世界卓球女子の解説してはる
女子残すは今晩の決勝 vs中国 pic.twitter.com/6sdBZyqT0u— テぺヘロン (@yat7_iw5_ys16) May 4, 2018
現役時代とは雰囲気が変わりましたが、今も可愛らしいですね。
平野早矢香はなぜ鬼と呼ばれてる?
同一人物です(笑)
平野早矢香さん『卓球の鬼と呼ばれて。』出版記念サイン会(9月24日東京) https://t.co/9qNFHyqHkM #takkyu #卓球 pic.twitter.com/RVegpPtsso
— 卓球王国 (@worldtt) September 11, 2017
平野早矢香さんについて調べてみると「鬼の平野」という言葉が浮上しました。
きっかけは2004年の世界選手権広州大会の時、平野早矢香さんが鬼のような形相で戦っていたことから「鬼の平野」とテレビ局が名付け、広まっていったのです。
2017年には、『卓球の鬼と呼ばれて。』という著者も発売しました。
現役時代、平野早矢香さんは五輪への熱い思いを抱えており、周囲には「オリンピックでメダルを獲れたら死んでもいい」と本気で語っていたそうですよ。
平野早矢香のプロフィールや経歴
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生年月日:1985年3月24日
出身地:栃木県
血液型:O型
身長:158cm
所属:ノースプロダクション(マネジメント委託)
卓球をしていた両親の影響で5歳で卓球を始めた平野早矢香さんは、仙台育英学園秀光中学校・仙台育英学園高等学校に在学、中学時代は全国大会3位、高校時代は全日本選手権ジュニア優勝という成績を残しました。
高校卒業後にミキハウスに入社すると早々にシニア代表入りし、18歳の若さで2003年度の全日本卓球選手権を初制覇しています。
その後はスランプに悩まされた時期もあったものの、1年程で抜け出し、大会や選考会においてほとんど負けることなく優勝し続けました。
しかし2008年の北京オリンピックではメダルを手にすることが出来ず、2012年ロンドンオリンピックは福原愛さん、石川佳純さんと共に団体戦のみに出場しました。
すると準決勝でシンガポールを下して男女通じて日本卓球として初めてのメダルを確定、決勝では中国の前に敗れたはしたもののオリンピックの卓球競技において初の銀メダルを獲得したのです。
2014年の第52回世界卓球選手権団体戦では、日本女子として31年ぶりとなる銀メダルを獲得しましたが、2016年に3大会連続のオリンピック出場を逃したことを理由に現役引退を表明しました。
そして同年4月9日に行われた日本リーグ・ビッグトーナメント佐賀大会の初戦で敗れ、現役生活を終えました。
引退後は所属していたミキハウスのコーチとして後進を指導、さらに『卓球ジャパンオープン2016』で卓球解説者としてデビューして以降は、『全農杯全日本卓球選手権』などでも解説を担当しています。
また2017年1月からは、日本卓球協会アスリート委員会の委員も務めています。
まとめ
「卓球の鬼」だった平野早矢香さんは、現役時代に数々の大会に出場し、結果を残していました。
これからも卓球解説者として、指導者として、卓球の世界を盛り上げていってほしいと思います。