10代から第一線で活躍する本格派女優の『深津絵里』さん。
透明感ある儚げな美しさと、高い演技力からファンの心を掴んでますね。
そんな深津絵里さんは若い頃から仕事をされてますが、出身中学・高校はどちらなのでしょう?
また実家の父親や母親、兄弟についても調査してみました。
深津絵里の学歴
今では! 名女優の! 深津絵里でも! 売れて無い頃! グラビアをやっていたのだ! 女性には! 若い時しか! 出来ない事も! ある!! pic.twitter.com/eLrOW2Kj7g
— ショーケン (@YPkKvoDQy6kSy7X) March 28, 2021
小さい頃の深津絵里さんは目立たないタイプで、友人の後に付いていくような女の子だったとか。
またピアノを習ってたそうですが、先生が怖くてレッスンが嫌いだったそうです。
そんな内向的だった深津絵里さんは、どんな学生時代を送ったのか見ていきましょう。
深津絵里の出身小学校
通ってた小学校名は公表されてませんが、候補として4校があげられてました。
大分市内にある『横瀬小学校』『横瀬西小学校』『稙田小学校』『宗方小学校』の可能性が高いです。
内気な女の子だった深津絵里さんですが、小学校時代はサッカーをされてたとか。
また将来の夢は、響きが良いことから”薬剤師”になりたいと思ってたそうですよ。
深津絵里の出身中学
13歳で芸能界入りした深津絵里さんは、地元の『大分市立稙田(わさだ)西中学校』に通ってました。
しかしその後、14歳で上京して『港区立赤坂中学校』に転校されてます。
上京する娘の決断に両親は反対せず、やりたいことを応援してくれたそうです。
また母親が高校を卒業するまで、東京で一緒に生活してくれたとか。
現在の活躍の裏には、ご家族の理解があったんですね。
深津絵里の出身高校
高校は都内にある、私立の女子校『日本音楽高等学校』へ進学されました。
元々アイドル歌手だったので、歌の仕事をメインにやりたかったのかもしれませんね。
しかしその後、仕事が忙しくなり芸能活動がしやすい『堀越高校』へ転校。
あまりにも忙しすぎて単位が取得出来ず、高校は4年かかって卒業されたそうです。
15歳で「JR東海」のCMをきっかけに売れっ子になったので、大変だったと想像つきますね。
深津絵里の実家は大分市?
深津絵里が大分出身って突然変異としか思えないよな。 pic.twitter.com/sjYnp27cnw
— けんたろうZ (@ken_haruka) August 15, 2013
深津絵里さんは上京する14歳まで、大分県大分市で生まれ育ちました。
上京するまでは田んぼ眺めながら、あぜ道を抜けて学校へ通ってたそうです。
子供心に「東京の街はどんなだろう?」「面白そう」と、憧れがあったとか。
自然豊かな大分県大分市で暮らしてたんですね。
深津絵里の父親はどんな人?職業は?
志賀廣太郎さんは『恋のチカラ』での楠木文具の社長さん役が印象に残ってる。デザイン事務所の話やって、自分もMac使い始めて間もない頃やったから、思い入れ強くて好きなドラマやったな〜。深津絵里可愛かった♡ pic.twitter.com/ghPHOFzNft
— elastic mind (@elasticmind_05) April 30, 2020
深津絵里さんの父親は、海外を飛び回るエンジニアだったそうです。
以前インタビューで「エンジニアとして、途上国の通信インフラ整備を現地で指導する仕事」と語ってました。
無口で亭主関白だった父親が、帰国して家族と過ごすのは年に2回ほどだったとか。
子供だった深津絵里さんは、少し寂しい思いをされたでしょうね。
そんな忙しい父親が『絵里』と名付けたのですが、その時も出張前でギリギリだったそうです。
大変なお仕事をされてたのが伺えますね。
また父親について、誠実で同世代だったら友達になってた人と語ってました。
きっと子供の頃から、海外で活躍する父親を尊敬されてたんでしょうね。
ちなみに顔や性格、食べ物の趣向など父親似らしいですよ。
深津絵里の母親は書道家!
ワシ今日仙台、本当に楽しかったす。萩の月、深津絵里と同じくらい好き pic.twitter.com/FvQOQoDHb6
— 大森 (@yri_yri_) October 8, 2019
深津絵里さんの母親は、書家として活動されてた『深津諭美子』さんです。
歯ブラシ・ほうき・たわし・ストロー等を筆代わりにしたり、左手や両手を使って書く『漢字アート』という独自の手法で、個展を催し始めた方。
そんな母親の作品がこちらになります。
先月他界された深津先生(深津絵里母)の作品。 pic.twitter.com/MXfYm8TKby
— 諜報局破壊班員(鈴木泉) (@chibira38) July 24, 2015
諭美子さんの実父も書道家だったそうですが、元々は服飾デザイナー志望で福岡市でブティックを開いてました。
しかし1994年頃ブティックを閉め、東京で本格的に書道に取り組み2003年には『上海大学』で学んだそうです。
そして長年、娘が有名ということで『諭黄(ユンホン)』という名前で本名を伏せて活動。
本名で活動したのは、2009年の個展がきっかけでした。
とても娘思いな母親だったんですね。
そんな諭美子さんは、2014年に『東久邇宮文化褒賞』を受賞されてます。
しかし同時期に、末期の肺がんということを公表されました。
余命3ヶ月、長くても1年と宣告されたとか…。
そして2015年6月、深津絵里さんは最愛の母を亡くされました。
まだ諭美子さんは、66歳という若さだったそうです。
早くに母親が旅立ち、辛かったでしょうね。
深津絵里の兄弟や姉妹
NHKのニュース番組で #カムカムエヴリバディ のヒロインについて
祖母役 上白石萌音さん
母役 深津絵里さん
娘役 川栄李奈さん
と紹介していて、なんかおもしろいなと思いました。 pic.twitter.com/0ZoEh8fXKQ— 9m15 (@akako530) December 24, 2020
深津絵里さんは父親と母親の3人家族で、兄弟がいない一人っ子のようです。
早くに母親を亡くされたので、父と2人家族になり少し寂しいかもしれませんね。
まとめ
「深津絵里の出身中学や高校は?実家や父親と母親・兄弟についても!」をお送りしました。
深津絵里さんの凜とした姿には、尊敬するご両親の影響があるように感じます。
大切な家族の愛情に触れ、10代から第一線で頑張ってこられたと思いました。
これからも深津絵里さんの活躍を、引き続き応援していきたいと思います!