「ポルノグラフィティ」、「THE 野党」のギタリストとして活動している新藤晴一さんは、どんな人なのでしょうか。
どこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、新藤晴一さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
新藤晴一の学歴
新藤晴一さんが通っていた学校について調べてみました。
新藤晴一の出身小学校
出身小学校は、公表されていません。
ネット上では、「因島市立土生小学校に通っていた可能性が高い」と言われていました。
小学生の頃の夢は、新聞記者だったそうですよ。
新藤晴一の出身中学
出身中学校についても公表されていません。
「因島市立土生中学校を卒業した可能性が高い」という情報がありました。
新藤晴一の出身高校
中学校卒業後は、広島県立因島高等学校に進学しました。
こちらの学校の偏差値は、42です。
「ポルノグラフィティ」のボーカルを務めている岡野昭仁さんは、同じ高校の同級生でした。
高校時代から「NO SCORE」というバンドを組み、ボーカルを担当していましたが、コーラス担当としてスカウトした岡野昭仁さんが自分よりも歌がうまかったため、ボーカルを譲ったのだそうです。
新藤晴一の出身大学
高校卒業後は、福山YMCA国際ビジネス専門学校に進学しました。
こちらの学校は、2020年度から学生の募集を停止し、2021年3月末で閉校しています。
新藤晴一さんはバンドの方が生活の中心になってしまったことから、退学しています。
新藤晴一のプロフィールや経歴
#SVB 代官山の。僕もいただきました。 pic.twitter.com/nQFJ7b957I
— 続・晴一 (@blackcaster) April 5, 2019
生年月日:1974年9月20日
出身地:広島県
身長:177cm
所属事務所:アミューズ
新藤晴一さんは、青春時代に聴いていた洋楽のガンズ・アンド・ローゼズ、エクストリーム、エリック・クラプトン、邦楽のBARBEE BOYS、X(後のX JAPAN)などがきっかけで音楽に目覚めたそうです。
高校卒業後、岡野昭仁さんとは離れ、広島県内の複数のコンクールに出場、尾道・三原地区で行われた楽器店主催コンクールで優勝するなど実力をつけていました。
その後新藤晴一さんの「(岡野)昭仁とやりたい」という気持ちが固まったことから共に活動をするようになり、数回のデビュー延期を経て、1999年9月8日に「アポロ」でメジャーデビューを果たしました。
当初はTamaさんを含めた3人で活動していましたが、Tamaさんが脱退してからは2人で活動しています。
「ミュージック・アワー」、「サウダージ」、「ハネウマライダー」「今宵、月が見えずとも」といったヒット曲をリリースし、2008年にはシングル・アルバム出荷枚数が1200万枚を突破しました。
新藤晴一の性格
新藤晴一さんは、趣味が野球、絵を描くこと、麻雀、サーフィン、ゴルフなど多数あり、とても好奇心が旺盛です。
私生活は多くを語らないため謎な部分もありますが、音楽には一生懸命で真面目な方です。
新藤晴一の年収
新藤晴一さんの年収は公表されていません。
「ポルノグラフィティ」や「THE 野党」の活動だけではなく、他のミュージシャンへの詞の提供も積極的に行っていることから、年収は数千万円ほどあるのではないかと思われます。
まとめ
「ポルノグラフィティ」を結成してからデビューするまで、全てが順調に進んだわけではありませんでしたが、諦めずに活動を続け、日本を代表するバンドを作り上げることができました。
これからも新藤晴一さんが生み出す楽曲に期待したいですね。