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浜村淳の身長や年齢・出身高校や大学は?性格や年収・愛車も調査

浜村淳の身長や年齢・出身高校や大学は?性格や年収・愛車も調査 タレント
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司会者、タレント、パーソナリティ、映画評論家として活動している浜村淳さんは、どんな人なのでしょうか。

どこの学校に通っていたのか、なぜ芸能界に入ったのか、気になります。

そこで今回は、浜村淳さんの経歴や出身学校、年収、性格、愛車について調べてみました。

浜村淳のプロフィールや経歴

名前:浜村淳
生年月日:1935年1月10日 
出身地:京都府
血液型:A型
身長:165㎝
所属事務所:昭和プロダクション

大学卒業後、浜村淳さんは大阪市内の靴下メーカーの宣伝部へ働きながら社業の一環として「浜村淳」名義でラジオ番組の脚本を執筆していました。

しかし職場を半年で退職、大学時代にやっていた京都市のクラブ・ベラミでの司会業を再開させます。

1957年に上京、渡辺プロダクション所属のタレントとして活動を始めました。

その後、養父の体調悪化を養母から知らされたことを機にタレント活動の拠点を大阪へ移すことを決意し、1964年に渡辺プロダクションを退社します。

その後、吉本興業や昭和プロダクションに所属しながら、「文字では共通語で表現できるフレーズを大阪弁で語る」という芸風を確立したのです。

吉本興業に所属していた時期には、ポケットミュージカルスや吉本新喜劇にも出演し、活躍の場を映画評論やラジオの深夜番組などに広げていきました。

1974年からはMBSラジオ『ありがとう浜村淳です』のパーソナリティを担当しています。

2006年には徳川夢声市民賞、2009年には第4回おおさかシネマフェスティバル特別賞、2011年には第37回放送文化基金賞「放送文化賞」を受賞しています。

また芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師に就任、1994年には追手門学院大学文学部講師として教壇に立ちました。

浜村淳はシークレットブーツを履いてる?

ネット上では、「浜村淳さんといえばシークレットブーツ」という声が多数ありました。

現在は履いていないようですが、昔はシークレットブーツを愛用していたようですね。

浜村淳の学歴

浜村淳さんが通っていた学校について調べてみました。

浜村淳の出身小学校

浜村淳さんは、京都市立鷹峯小学校出身です。

小学校時代のエピソードは明かされていないため、分かりませんでした。

浜村淳の出身中学

小学校卒業後は、京都市立旭丘中学校に進学しました。

中学時代についても情報はありませんでした。

浜村淳の出身高校

中学校卒業後は、京都府立山城高等学校に進学しました。

こちらの学校の現在の偏差値は、65~59です。

浜村淳の出身大学

高校卒業後は、同志社大学に進学しました。

浜村淳さんが在籍していたのは文学部で、偏差値は60です。

大学在学中は放送部に入り、学生と司会者の二足のワラジをはき、多方面で活躍していました。

同立戦前夜祭で急遽司会を務め、滑舌の訓練や司会の真似事などで磨いた話術を3,000人の観客の前で披露したことがきっかけで司会者として注目を集め、人生が大きく変わったのだそうですよ。

浜村淳の性格

浜村淳さんは、とても仕事熱心で真面目な方です。

毎朝4時50分に起きて『ありがとう浜村淳です』のためにスタジオには6時に入り、放送までの2時間は新聞や雑誌などを読んでネタを仕込むのだそうです。

2020年1月、定期健診で再検査と投薬治療のため入院した以外、番組を休んだことはありませんでした。

そんな浜村淳さんは「(ラジオを)少なくとも90歳までやりたい」と話していました。

浜村淳の年収

浜村淳さんの年収は公表されていません。

司会業の年収は約500万円が平均と言われており、ベテランの浜村淳さんは平均よりも多くもらっている可能性が高いです。

また映画評論家としても一本数万円ほどのギャラが出るとのことから、年収は1000万円を超えているのではないかと言われています。

浜村淳の愛車

浜村淳さんの愛車について調べてみると、トヨタ・セルシオ B仕様という情報がありました。

初代XF10型で、車体色は銀&グレーとのことです。

まとめ

40年以上『ありがとう浜村淳です』を休まずに続けてきた浜村淳さんは、今も現役の司会者、パーソナリティーとして走り続けています。

これからも体に気を付けながら多くの人に浜村淳さんの声を届けてほしいですね。

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