「中国女子テニス界の猛女」と呼ばれている彭帥さんがかわいいと話題になっています。
彭帥さんはどんな人で、何がきっかけでテニスを始めたのでしょうか。
今回は、彭帥さんの経歴や結婚などについて調べてみました。
彭帥の若い頃がかわいい!
ネット上では「彭帥さんの若い頃が可愛い」という声が多く聞かれています。
こちらは2013年~2014年頃の彭帥さんの姿です。
目鼻立ちがはっきりしていて、とても可愛らしいですね。
彭帥は現在もかわいい!
彭帥さんの現在の姿はこちらです。
若い頃と変わらず、今もとても可愛らしい方ですね。
彭帥の読み方
彭帥さんの名前は、「ポン・シュアイ」と読みます。
日本語音読みでは、「ほう すい」となります。
彭帥ってどんなテニス選手?プロフィールや経歴
名前:彭帥
生年月日:1986年1月8日
出身地:中華人民共和国
身長:173cm
8歳の時からおじの勧めでテニスを始めた彭帥さんは、2000年から中国国内のトーナメントに出場し始め、2001年に15歳で女子テニス国別対抗戦・フェドカップに中国代表選手として初出場しました。
2003年にプロ入りし、2004年ウィンブルドンで4大大会本戦にデビュー、2005年夏にはシングルスの自己最高ランキングを31位まで上げ、当時の中国女子の最高位になりました。
2007年9月末に開かれた中国・広州市の大会では、晏紫さんとのペアで女子ツアーのダブルス初優勝を達成しています。
2008年3月のインド・バンガロール大会では同じ中国の孫甜甜さんとペアを組み、決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組を破って優勝、この年はダブルスの自己最高ランキングを18位まで上げました。
2009年1月にはメディバンク国際の女子ダブルスで謝淑薇さんと組んで優勝、全仏オープンでは初めて女子シングルス「第31シード」を得たものの、シングルスは1回戦敗退、謝淑薇さんとのダブルスでは決勝進出を逃しています。
2010年11月の広州アジア大会ではシングルス準決勝で日本のクルム伊達公子さんを、決勝でアクグル・アマンムラドワさん破り金メダルを獲得、さらに団体でも金メダル、ダブルスでは銅メダルを獲得しました。
2011年には自己最高のランキング14位を記録、2013年のウィンブルドン選手権では謝淑薇さんとペアを組み初めて4大大会ダブルスの決勝に進出、決勝ではアシュリー・バーティ&ケーシー・デラクア組を 破り大会初優勝を果たしています。
最終戦のWTAツアー選手権でも決勝でエカテリーナ・マカロワ&エレーナ・ベスニナ組を破り優勝、2014年全仏オープンでも決勝でサラ・エラニ&ロベルタ・ビンチ組を破り4大大会ダブルス2勝目を挙げました。
2014年全米オープンでは初めて4大大会シングルスでベスト8に進出、準々決勝ではベリンダ・ベンチッチさんに快勝しベスト4に進出、しかしキャロライン・ウォズニアッキさんとの準決勝を途中棄権しています。
2016年10月の天津オープンでシングルス7度目の決勝進出、決勝でアリソン・リスクさんに勝利し、30歳でシングルス初優勝を果たしています。
さらにオリンピック中国代表として、2008年北京五輪と2012年ロンドン五輪、2016年リオ五輪の3大会に出場しました。
彭帥は結婚している?
彭帥さんの結婚については情報がありませんでした。
そのため、独身ではないかと言われています。
彭帥さんは2021年11月、中国版Twitterの「ウェイボー」で、共産党最高指導部メンバーだった張高麗前副首相と不倫関係にあったと投稿し話題になりました。
投稿によると、張高麗さんが天津市トップの党委員会書記時代に性的関係を持ったとし、最高指導部メンバーに抜てきされ一度は連絡が途絶えたが、引退後に再び連絡があり、テニスをしたあと、 張高麗さんの妻と自宅に招かれ性的関係を迫られたとのことでした。
この投稿の直前に張高麗さんが関係を終わらせようとしたそうで、「また連絡するね、と言ったけど…。(最初に関係を持った)7年前と同じ。突然消える。遊ぶだけ遊んでポイ」と、綴っています。
彭帥さんの投稿はすぐに削除されたものの、彭帥さんの消息が途絶えたことで中国だけではなく日本でも報道されました。
現在彭帥さんは自宅で静かに過ごしているとのことですが、この問題がきっかけでテニスの女子ツアーを統括する女子テニス協会が香港を含む中国での全ての大会を取りやめると発表、「このような状況で、WTAの選手を中国でプレーさせるわけにはいかない」とコメントしています。
まとめ
自己最高ランキングはシングルス14位、ダブルス1位の記録を持つ彭帥さんは、8歳の頃からテニスに打ち込んでいました。
これからも中国のテニスプレーヤーとして、活躍してほしいですね。