売れっ子すぎる落語家として老若男女問わず親しまれている柳家喬太郎さんは、既婚者です。
奥さんや子供はどんな人なのでしょうか。
今回は、柳家喬太郎さんの経歴や家族、年収などについて調べてみました。
柳家喬太郎の嫁はどんな人?
柳家喬太郎さんは既婚者です。
しかし奥さんは一般人ということで、結婚した年や奥さんの名前、年齢、顔写真などは公表していません。
ネット上でも情報が一切なかったことから、奥さんは芸能活動を行ったことはないのだと思われます。
柳家喬太郎さんと奥さんは、柳家喬太郎さんが大学卒業後に大手書店(福家書店)に入社したことがきっかけで出会い、結婚に至っているため、奥さんも本が好きなのかもしれませんね。
柳家喬太郎の子供
柳家喬太郎さんには、子供がいます。
ただ子供についても名前や年齢、顔写真などは公表していません。
柳家喬太郎さんの年齢を考えると子供は成人している可能性も高いですが、就職先に関する情報もありませんでした。
性別については柳家喬太郎さん自身がインタビューの中で「男の子」と明かしています。
柳家喬太郎のプロフィールや経歴
名前:柳家喬太郎
生年月日:1963年11月30日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:175cm
所属:落語協会
中学時代に落語を好きになったという柳家喬太郎さんは、日本大学に進学してから落語研究会(日本大学経商法落語研究会)に入り、「砧家駄楽」を名乗りました。
大学在学中には『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に「悪い下宿人」として出演するなどしていたため、周囲の誰もがそのままプロになると思っていたものの、柳家喬太郎さんが選んだのは書店への就職でした。
この時の心境について柳家喬太郎さんは「落語で食べていこうとは思わなかった。こわかったんです。好きだっただけに、畏怖の念があった。それに僕は、普通の人生が送りたかったんです」と語っています。
しかし落語への情熱は冷めやらず、落語家になることを決意して約1年半で退職、1989年10月に柳家さん喬さんに入門し、初高座は1989年12月29日の新宿末広亭で「道灌」を演じました。
1995年には「第一回高田文夫杯お笑いゴールドラッシュII」で優勝、1998年の平成10年度「NHK新人演芸大賞」落語部門大賞を受賞したことをきっかけに一躍名を知られることとなりました。
2000年3月に林家たい平さんと共に12人抜きで真打に昇進、平成11年度「彩の国落語大賞」技能賞を受賞しています。
2003年、春風亭昇太さんらとともに「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げ、2014年には落語協会理事に就任しています。
2016年の映画『スプリング、ハズ、カム』で映画初主演を務めるなど、落語家だけではなく俳優としても多数のドラマに出演しています。
2018年にはNHKドラマ『昭和元禄落語心中』の落語監修を担当しました。
柳家喬太郎の年収
柳家喬太郎さんの年収は公表されていません。
落語家として多くの高座に上がり、さらに俳優などマルチに活動しています。
そのため柳家喬太郎さんの年収は億を超えているのではないかと噂されていました。
柳家喬太郎の師匠
柳家喬太郎さんの師匠は、柳家さん喬さんです。
柳家さん喬さんは、1967年3月4日に五代目柳家小さんに入門、1972年11月に五街道雲助さん、柳家さん治さん、金原亭駒三さん、三遊亭梅生さん、立川談十郎さん、三遊亭楽松さんと共に二ツ目に昇進しました。
1980年10月に真打試験に合格、1981年3月に五街道雲助さん、三遊亭圓龍さんらと共に真打昇進、 1984年には国立演芸場金賞を、1986年には選抜若手演芸大賞 真打部門大賞を受賞しました。
他にも1987年に文化庁芸術祭賞、1994年に浅草芸能大賞新人賞を受賞し、2001年に落語協会理事付役員に就任、2006年に落語協会常任理事に転任しています。
2014年には国際交流基金賞を受賞、落語家としては初受賞となりました。
柳家さん喬さんの一番弟子は柳家喬太郎さんで、2018年には『なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?』を出版しました。
柳家喬太郎の弟子
柳家喬太郎さんには、弟子がいません。
弟子を取らない理由については分かりませんでしたが、ネット上では「自分の芸は自分で墓まで持っていく」、「自分には他人を指導する才能がない自覚がある」などという思いから弟子をとらないのではないかと噂されています。
まとめ
若い頃から才能がありながらも一度は就職し、落語家とは別の道を歩んだ柳家喬太郎さんですが、落語に対しての熱い思いから落語家になり、今は「チケットがなかなか取れない落語家」と言われるほどになりました。
これからも柳家喬太郎さんの落語で多くの人を楽しませてほしいと思います。
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