大和悠河さんは、1995年に宝塚歌劇団に入団し、2009年に退団しました。
退団時のパレードは今も語り継がれているほど、凄いものだったようです。
今回は、そんな大和悠河さんの経歴や出身学校、宝塚退団について調べてみました。
大和悠河はド派手ベンツで宝塚退団!
大和悠河さんには、宝塚退団時に全面スワロフスキーで埋め尽くされたベンツでパレードしたという伝説があります。
トップスターが退団する際は千秋楽後オープンカーなどでパレードするのが通例ですが、車はファンが準備するのが定番なのだそうです。
以前、大和悠河さんがデパートに展示されていたスワロフスキーのベンツを見て何気なく「これすごいね」と発言したことをファンが覚えていたことから、このようなパレードが実現しました。
大和悠河さんが退団して10年以上経っていますが、今でもこのパレードが印象に強く残っているファンは多いようですね。
大和悠河の宝塚を退団した理由
大和悠河さんは、宝塚退団について「宝塚では充実感を得た!新しい目標を決めて、またそのゴールに向けて全力で走りたい」と明かしていました。
2007年から退団までの2年程は宙組トップスターを務め、14年という長い時間、宝塚の舞台に立ち続けました。
そのため大和悠河さんの中で、やり切ったという気持ちが芽生えたのかもしれませんね。
大和悠河のプロフィールや経歴
名前:大和悠河
生年月日: 1977年8月4日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:169cm
所属事務所:GOOGA
1993年に宝塚音楽学校に入学した大和悠河さんは、1995年に81期生として宝塚歌劇団に入団しました。
同年4月には『国境のない地図』で初舞台を踏み、その後月組に配属されると『ミー・アンド・マイガール』、『’97 TCAスペシャル ザ・祭典』に出演、『EL DORADO』で新人公演初主演を務めています。
『ワン・モア・タイム!』ではバウホール初主演(ダブル主演ではあるが、入団3年目でバウ最年少主演を果たす)を務め、1998年には初ディナーショー『COLOR』を開催しました。
1999年の中国公演(北京・上海)『夢幻花絵巻/ブラボー!タカラヅカ』で海外公演に初参加し、2001年の『大海賊』新人公演で6度目の主演をし、新公を卒業しました。
2002年、「第18回浅草芸能大賞」新人賞を受賞すると、月組2番手にも昇格、しかし2003年2月に宙組に組替えしました。
2007年3月15日、『A/L(アール)-怪盗ルパンの青春-』より宙組トップスターに就任し、2009年7月5日、『薔薇に降る雨/Amour それは…』千秋楽で宝塚歌劇団を退団しています。
2010年2月に『CURTAINS』で女優デビューを果たし、2013年には『彼岸島』でドラマ初出演を果たしています。
大和悠河の学歴
大和悠河さんが通っていた学校について調べてみました。
大和悠河の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
東京都文京区出身のため、都内の小学校に通っていたと思われます。
大和悠河さんは食が苦4年生の時にお母さんに連れられて初めて宝塚の舞台を鑑賞、そこで心を打たれ、6年生の時には宝塚音楽学校の受験を決意していたそうです。
大和悠河の出身中学
小学校卒業後は、東京家政大学附属女子中学校に進学しました。
こちらの学校の偏差値は、48です。
中学時代はとにかく受験のためのレッスンに明け暮れたそうで、背が高いことから入ったバスケットボール部も半年で退部してしまいました。
中学卒業後は宝塚音楽学校に入学しているため、一般の高校には進学していません。
大和悠河の宝塚同期
大和悠河さんの同期は、元花組トップスターの真飛聖さん、元花組トップ娘役のふづき美世さん、元雪組トップ娘役の舞風りらさん、元雪組男役の蘭香レアさん、元宙組男役の椿火呂花さん、元月組娘役花瀬みずかさんらがいます。
現在も宝塚歌劇団に在籍しているのは、専科男役の悠真倫さんのみです。
大和悠河の性格
大和悠河さんは、真面目で素直な性格の持ち主です。
宝塚時代から人並み以上の努力を重ねてきました。
負けず嫌いな部分もあるそうで、その性格があってこそトップスターにまで上り詰められたのかもしれませんね。
まとめ
小学生の頃から宝塚を目指していた大和悠河さんは、トップスターにまで成長し、退団パレードでは今も語り継がれる伝説を残しました。
現在は舞台、テレビとジャンルを問わず活躍しています。
これからも大和悠河さんの活躍に注目していきたいですね。