平昌オリンピックでは、日本人女子として初めて見事金メダルを獲得した小平奈緒さんは、長野県出身のスピードスケート選手です。
今回は小平奈緒さんのスポンサーや年収、学歴について調べてみました!
小平奈緒の所属は相沢病院
小平奈緒さんの所属は、長野県にある相沢病院です。
正式には「社会医療法人財団慈泉会 相澤病院」という病院のようですね。
小平奈緒さんはこの病院でスポーツ障害予防治療センタースタッフとして所属しており、スポンサーというわけでなく所属するという形でサポートを受けています。
この病院に所属することになったきっかけは、小平奈緒さんがまだ無名時代の大学卒業した当時、スポンサーとして名乗り出てくれる企業がなかった中、唯一サポートに名乗り出てくれたのが相澤病院だったようです。
無名だった小平奈緒さんを信じて支援を決意された病院の見る目というのもすごいですよね!
その後、結果を残していくと複数の企業から誘いが増えていったそうですが小平奈緒さんは断り、そのまま相澤病院のサポートを受けているというかたちのようです。
お互いに固い信頼関係を築いていることが分かりますね。
相沢病院所属だけど普段の職業は?
相澤病院で勤務されているため、小平奈緒さんは看護師?といった噂もありましたが、看護師としての資格は持っていないため看護師ではなくスポーツ障害予防センターのスタッフとして勤務しています。
以前は勤務と競技練習が半々だったそうなのですが、現在は病院側の配慮もあり競技にしっかり専念できる環境に整えているそうです。
小平奈緒のスポンサー
小平奈緒さんのスポンサーは無名選手から変わらず長野県の相澤病院です。
小平奈緒さんは相澤病院の職員として給料を受け取りながらサポートを受けているそうで、1年間に1,000万円を超える遠征費だと言われていました。
また2019年9月に自動車メーカーのマツダが、3年間の期限付きで車を貸与することを発表し、国内外での遠征、荷物の搬送などサポートしてくれていたそうですよ。
車を貸与する流れになったきっかけは、マツダの小飼会長が小平奈緒さんと同じ長野県茅野市の出身ということだったと言われています。
小平奈緒の年収
気になる小平奈緒さんの年収についてですが、プロスポーツ選手の給料事情というのはどんな感じなのでしょうか!
小平奈緒さんは2018年に行われた平昌オリンピックで見事金メダルと銀メダルを獲得していて、年収は2000万~3000万超えとも言われています。
フィギュアスケートよりかは年収が低いと言われているスピードスケートですが、小平奈緒さんほどのトップ選手であればかなり高い年収が見込めるようですね。
またお給料とは別にスポンサーからの用具代や遠征費のサポートがあることや、オリンピックや世界選手権でメダルを獲得するともらえる報奨金があります。
前回の平昌大会で小平奈緒さんが獲得した報奨金はなんと1400万と言われていました!
スピードスケート選手の年収は通常、1000万円もないといわれているようですが、小平奈緒さんほどの選手は別格の金額だということが分かりました。
小平奈緒のプロフィールや経歴
生年月日:1986年5月26日
出身地:長野県茅野市
身長:165cm
血液型:A型
所属:相澤病院
趣味:日向ぼっこ、お散歩、語学(オランダ語)、料理、コーヒー
小平奈緒さんは3歳の時からスピードスケートを始めていますが、きっかけはお姉さんが通っていたためでした。
スケート経験がないお父さんがコーチをしていたのですが、実業団の選手の滑りなどを研究しながら指導をしていました。
独学で勉強し、娘の小平奈緒さんがここまでの選手になっているというのは、すごいですよね!
ちなみに、小学校時代の小平奈緒さんの憧れの選手は、清水宏保さんと岡崎朋美さんだったと話してします。
学生の頃からすでに良い結果を残していた小平奈緒さんは、中学2年生では全日本ジュニアスプリント部門で史上初の中学生王者に、高校では500mと1000mののインターハイで2冠獲得し、全日本ジュニアでも優勝を飾っていました。
そして大学時代は、1年生の時に第25回日本学生氷上競技選手権大会500mと1000mの2冠、2年生では全日本スピードスケート距離別選手権大会1000mで優勝、4年生で全日本スピードスケート距離別選手権大会1500mで優勝という結果を残しています。
教員になりたいという夢があった小平奈緒さんは出身校である信州大学を卒業した後、引き続き同校で恩師の指導を受けたい思っていたようで地元の長野県で雇用先を探していました。
そして今の所属先である相澤病院とご縁がありサポート契約を結びます。
また趣味に「オランダ語」とあるように、小平奈緒さんは2014年から約2年間のオランダ留学の経験があり、当初は1年のつもりだったそうですが、お父さんから
「1年で終わりにするには、もったいないから悔いのないようにやれ!」
という内容のメールが届き、滞在期間が延びたことを明かしていました。
現地に行ってからオランダ語を勉強したそうで、「ポケットに入るくらいのノートを常に持ち歩いていた」と話してします。
小平奈緒さんが文武両道のスポーツ選手と言われている理由が分かりますね!
それ以降は、
- 2010年バンクーバーオリンピック、団体パシュートで銀メダル獲得
- 2018年の平昌オリンピック、500mで金メダル、1000mで銀メダル
を獲得したことで一気にスピードスケート選手として注目されることとなりました。
平昌オリンピックで金メダルをとった時に話題となったのは、小平奈緒さんとライバルの李選手の感動エピソードです。
平昌オリンピックで金メダルが期待されていた李選手でしたが、小平奈緒さんが1位、李選手が2位となり競技が終わってから4年間切磋琢磨していたライバルとしてお互いをたたえ合っていた姿に感動する声が多く寄せられていました。
アスリート選手ならではのこの姿、本当にかっこいいですよね。
平昌オリンピックでの心に残る名シーンになっていることは間違いないでしょう。
きっとこれまで悔しい思いをたくさんしてきたことでしょうし、世界のトップに上り詰めた方はさすがですよね!
これからもまだまだ現役で活動されることを期待して、新たな記録をたたきだしてほしいですね!
小平奈緒の学歴
長野県出身の小平奈緒さんは、どんな学校生活を送っていたのでしょうか!
出身学校についてご紹介していきましょう。
小平奈緒の出身小学校
出身小学校は長野県にある茅野市立豊平小学校です。
3歳から中学校までお父さんがコーチとなり近所のリンクでスケートを始めていたそうで、小学校時代も練習に励んでいました。
小平奈緒さんは当時スピードスケート選手の清水宏保さんと岡崎朋美さんに憧れていたため、ビデオテープが擦り切れるほど2人を見ながら研究していたそうです。
小平奈緒の出身中学
出身中学校は長野県にある茅野市立北部中学校です。
中学校時代の部活動については明らかになっていませんでしたが、学校の部活が終わった後、お父さんの車でスケートクラブに通っていたそうで帰宅時間は10時頃でした。
また中学2年生で500mの中学記録を塗り替え、全日本ジュニア(スプリント部門)では、史上初の中学生王者に輝くなど当時からすでに運動神経が良かったようですね。
小平奈緒の出身高校
出身高校は、伊那西高等学校です。
小平奈緒さんは普通科の進学コースに通っていました。
スケート部がなかった学校なので小平奈緒さんはスケート同好会で活動をし、当時インターハイ500mと1000mの2冠を獲得し、全日本ジュニア大会でも優勝を果たしています。
高校時代から小平奈緒さんは、試合に勝って表彰台に乗るというイメージをノートに書き留めていたそうで、自分を信じて成功イメージを持ちながら前に進むという強いメンタルを作るということも実践されていたようですね。
小平奈緒の出身大学
出身大学は、信州大学の教育学部生涯スポーツ科です。
憧れの清水宏保さんのコーチを務めていた恩師の結城匡啓監督がいるためこの大学へ進学され、11歳の頃から「将来は信州大に」ということを決めていたと話していました。
大学在学中も数々の大会で優秀な成績を残していたそうです。
[ad01」
まとめ
今回は小平奈緒さんの学歴から経歴、年収などについてご紹介しました。
学生時代から成功イメージをノートに書くなど、ストイックに練習を重ねてきた小平奈緒さんは、これまで素晴らしい成績を残しています。
今後も進化を続ける小平奈緒さんの活躍に注目が高まりそうですね。