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石崎琴美の職場は病院?復帰した理由・身長や年齢・出身中学や高校

ishizakikotomi_career スポーツ

カーリング選手で、「ロコ・ソラーレ」ではフィフスを務めている石崎琴美さんは、どんな人なのでしょうか。

過去には競技から離れ、解説なども行っていました。

今回は、そんな石崎琴美さんの経歴や出身学校、現在の職場について調べてみました。

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石崎琴美の職場は松田整形外科記念病院!

石崎琴美さんは、2015年から松田整形外科記念病院に勤めています。

仕事内容は明かされていませんが、職位は職員とのことでした。

インタビューでは「全面的にバックアップして頂いていることに理事長、院長、事務長、看護部長はじめ松田職員の皆様には本当に感謝しています」などと明かしています。

石崎琴美は若い頃チーム青森で活躍

石崎琴美さんは、2007年から2013年まで「チーム青森」に所属していました。

2007年9月に体調不良を理由に休養に入った「チーム青森」のリード・寺田桜子さんの代理として同チームへ加入、11月には第17回パシフィックカーリング選手権出場し2位に輝きました。

12月に寺田桜子さんが脱退したため、正式にチームに加入しています。

「チーム青森」時代は、第25回日本カーリング選手権優勝、軽井沢国際カーリング選手権大会2008準優勝、第30回世界女子カーリング選手権4位という結果を残しています。

石崎琴美は解説もしていた

2013年5月1日に「チーム青森」を離脱した石崎琴美さんは、2015年に札幌カーリング協会理事、日本カーリング協会指導普及委員に就任しました。

チーム離脱後は選手としての活動を休止し、平昌五輪や世界選手権など大会中継の解説者としても活動していました。

石崎琴美さんの解説はとても好評で、ネット上では「今後も解説をしてほしい」という声も聞かれています。

石崎琴美が現役復帰した理由

石崎琴美さんは、2020年9月に「ロコ・ソラーレ」に加入し、7年ぶりの現役復帰を果たしています。

2015年から「ロコ・ソラーレ」に帯同するなど関わりを持つようになり、2019年にそれまでチームのフィフスであった本橋麻里さんが第二子を授かったことから、フィフスとしてメンバー入りの声がかかったそうです。

しかし石崎琴美さんは、即決することが出来ませんでした。

後のインタビューでは「(平昌オリンピックで)銅メダルを獲って、そんな強いチーム、できあがったチームに入ることに、すごく大きな不安もあるし、とてつもない大きな覚悟が必要だった」と語っています。

それでも「琴美ちゃんがいい!」と、ロコ・ソラーレのメンバーからのラブコールを受け、チームに入ることになりました。

石崎琴美のプロフィールや経歴

名前:石崎琴美
生年月日:1979年1月4日
出身地:北海道
血液型:B型
身長:166cm
所属:ロコ・ソラーレ

高校卒業後、帯広市の東光舗道株式会社に入社した石崎琴美さんは、同社にカーリング部があったことからカーリングを始めました。

部内で最初はリザーブを担当、当時からとにかく熱心で、ストーンがどう滑るかというくせを見抜いて入念にチェックし、選手に合う“いい石”をあきらめずに徹底的に見つけ出す能力があったそうですよ。

その後北見市の「河西建設」に参加、日本選手権優勝、日本代表などを経験しました。

2000年2月には第17回日本カーリング選手権で優勝、2002年のソルトレークシティ五輪には他チームでプレーしていたものの代表の「シムソンズ」にフィフスとして参加し出場しています。

2010年のバンクーバー五輪では「チーム青森」の一員としてリードを務めました。

2022年の北京五輪では「ロコ・ソラーレ」のフィフスとして出場、銀メダルを獲得したことで、スキージャンプ選手の葛西紀明さんの記録を破り、日本における冬季オリンピック最年長メダリストになりました。

石崎琴美さんは、「加わってよかったと思うし、私のカーリング人生はもしかしたらこのチームで最後かもしれません。そこがこのチームで本当によかったと思います」と語っています。

石崎琴美の学歴

石崎琴美さんが通っていた学校について調べてみました。

石崎琴美の出身小学校

石崎琴美さんは、帯広市立栄小学校出身です。

3年生まではサッカー教室に入り、ドリブルやリフティングなど、ボールに親しんでいたそうです。

4年生からはバレーボールを始めました。

石崎琴美の出身中学

小学校卒業後は、帯広市立帯広第一中学校に進学しました。

中学時代もバレーボールをやっていました。

ただ大きな大会などに出演したことはないようです。

石崎琴美の出身高校

中学校卒業後は、帯広市立帯広南商業高等学校に進学しました。

こちらの学校の偏差値は、55です。

高校もバレーボールを続けており、カーリングとは縁のない生活を送っていました。

まとめ

社会人になった19歳からカーリングを始めた石崎琴美さんは、選手としては遅咲きのスタートだったと言えます。

しかしチームの中で活躍し、北京五輪では女子カーリング初の銀メダルに貢献しました。

これからも「ロコ・ソラーレ」のメンバーと共に、上を目指していってほしいと思います。

カーリング女子日本代表についてはこちら!
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