女優として長年第一線で活躍し続けている内田有紀さん。
その私生活でもっとも注目を集めたのが、2002年の吉岡秀隆さんとの結婚ですよね!
当時は“演技派ビッグカップル”の誕生に祝福ムードが広がる一方で、わずか3年後の離婚報道には驚きの声が相次ぎました。
「ふたりのあいだに何があったの?」「子どもはいたの?」と、いまもなお気になる人が多い話題のひとつです。
この記事では、ふたりの出会いから結婚生活、そして離婚に至るまでの背景を丁寧に振り返りながら、内田有紀さんのこれまでの歩みにもフォーカス!
知られざる一面が見えてくるかもしれませんので、ぜひ最後までじっくり読んでみてくださいね。
内田有紀の元旦那は吉岡秀隆
今月の「キネマ旬報」吉岡秀隆さんロングインタビュー、写真が素敵。 pic.twitter.com/e3b6H2brzs
— Shinichi Ando (@andys_room) March 22, 2019
内田有紀さんの元旦那として知られているのが、俳優の吉岡秀隆さん。
その名を聞いて「名優!」とすぐに思い浮かべる方も多いはずです。
吉岡さんは、映画やドラマで数々の名演を残してきた演技派俳優で、業界内外から長年にわたって高い評価を受けているんです。
そんな吉岡さん、なんとデビューは5歳という超早熟ぶり。
最初に出演したのは、テレビ時代劇『大江戸捜査網』でした。
その後のキャリアもとにかく順調で、1981年公開の映画『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』では、寅さんの甥・諏訪満男役に大抜擢!
この役をきっかけに、シリーズ第50作までレギュラー出演を果たすという大役を担うことになります。
当時からテレビにかじりついて見ていた方には、特別な存在だったのではないでしょうか?
さらに吉岡さんといえば、やっぱり『北の国から』シリーズの黒板純役!
1981年から2002年まで、なんと20年以上にわたってひとりのキャラクターを演じ続け、視聴者とともに成長する姿を見せてくれました。
あの等身大で繊細な感情表現には、胸を打たれた人も多かったですよね。
2003年には、フジテレビ系ドラマ『Dr.コトー診療所』で主演・五島健助を演じ、再び注目を浴びることに!
離島の小さな診療所で懸命に患者と向き合う姿は、リアルで誠実な医師像そのもので、「コトー先生が近くにいてほしい…」と思った視聴者も多かったはず。
さらに、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』では昭和の下町を舞台にした心温まる物語の中で見事な演技を披露し、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞!
これぞ実力派の証ですよね。
そんな吉岡秀隆さんと内田有紀さんが結婚したときは、まさに“実力派ビッグカップル”の誕生として大きな話題に!
演技派として第一線を走るふたりの結婚は、多くのファンにとっても衝撃と祝福の入り混じった出来事だったと思います。
内田有紀と吉岡秀隆の馴れ初め
(´-`).。oO(内田有紀も吉岡秀隆と結婚した時、クラリスのウエディングドレス着てたなあ… pic.twitter.com/5YtrcZstEP
— ピコ・大東洋ヴィヒ太 (@picodvaccino) January 16, 2015
内田有紀さんと吉岡秀隆さんの出会いは、名作ドラマ『北の国から 2002遺言』での共演がきっかけです。
この作品で内田さんは、吉岡さん演じる黒板純の恋人役を演じ、物語の中でふたりは結婚するという設定でした。
そしてその“ドラマ内の結婚”が、現実の世界でも実現することになり、「まさにドラマが現実に!」と世間は大盛り上がり!
共演から始まったリアルラブストーリーは、多くの人の心をつかみました。
当時の結婚会見でのコメントも、ふたりの人柄がにじみ出ていて素敵すぎたんです。
吉岡さんは「撮影のときに同じ宿に泊まって、同じものを食べて、壁のない人だと思った」と語り、内田さんは「作品の中で結ばれるから、一生懸命彼のことを見ていて…気づいたら自然と」なんてコメントしていたんですよ。
そんなの聞いたら、もう胸キュン不可避ですよね!
交際期間は約1年と短めだったものの、ふたりはしっかりと絆を深め、ついにゴールイン!
結婚式が行われたのは、ふたりの出会いの地・北海道の富良野。
しかも、この式をプロデュースしたのが『北の国から』の生みの親・倉本聰さん!
内田さんの「雪の中でウエディングドレスを着たい」という願いを叶えるために、吉岡さんが倉本さんに相談。
すると倉本さんが「じゃあ、僕がプロデュースしよう」と言ってくれたそうで、もうエピソードまるごとロマンチックすぎる…!
まさに“作品と現実が重なる奇跡”のような馴れ初めだったんです。
内田有紀と吉岡秀隆に子供はいた?
内田有紀さんと吉岡秀隆さんのあいだに、お子さんはいません。
ふたりは2002年に結婚しましたが、2005年には離婚しており、結婚生活はわずか3年という短い期間で終わってしまいました。
当時の内田さんは芸能界を引退し、専業主婦として家庭に入っていたものの、吉岡さんはというと、まさに俳優としての全盛期!
『Dr.コトー診療所』や『ALWAYS 三丁目の夕日』など、話題作に次々と出演していたタイミングでもあり、ものすごく多忙な毎日を送っていたようです。
そんな状況だったこともあり、夫婦としてはすれ違う時間が多く、子どもを迎えるような落ち着いた生活にはなかなか至らなかったのかもしれませんね。
もちろん当時の詳細はふたりにしか分かりませんが、「家族を持つ」よりも、それぞれが自分の人生やキャリアと真剣に向き合っていた時期だったのではないでしょうか。
内田有紀と吉岡秀隆が離婚した理由
『北の国から 2002遺言』(後編)
— ウメちゃん🐶【BSフジ公式】 (@Ume_bsfuji) March 19, 2017
20時~放送❗
いよいよ完結。五郎は新吉に薦められ“遺言”を書くことになるわけで…
原作・脚本:倉本聰
音楽:さだまさし
田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 宮沢りえ 内田有紀https://t.co/4CUKpZUphJ
#北の国から pic.twitter.com/XKhJReFfFV
2005年12月、内田有紀さんと吉岡秀隆さんは3年の結婚生活に終止符を打ち、離婚しました。
ふたりとも人気俳優同士だっただけに、当時は大きな話題になりましたよね。
離婚理由については正式に公表されていないものの、「すれ違い」が主な原因だったとされています。
内田さんは結婚を機に芸能界を引退し、家庭に専念。
もともと当時所属していた事務所とのトラブルもあったようで、さらに吉岡さんから「家庭に入ってほしい」と望まれていたという話もあります。
一方で吉岡さんは、仕事が超多忙!
ドラマや映画の撮影で地方ロケも多く、家に帰れない日々が続いていたそうなんです。
その結果、内田さんは日々ひとりで家にいる時間が増え、孤独を感じるように…。
「このままじゃ自分が壊れてしまう」と感じた内田さんが、ある日家を飛び出してしまった…というのが、もっとも有力な説のひとつとされています。
また、ネット上では「吉岡さんのこだわりが強すぎた」「独占欲が強かった」などのウワサや、「DVがあったのでは?」という憶測も飛び交いましたが、これらはあくまで噂レベルで、事実は確認されていません。
ただ、倉本聰さんが後に「ふたりは仲の良い夫婦だと思っていた」と語っていたことからも、周囲には悩みを打ち明けず、内田さんがひとりで苦しみを抱えていた可能性も。
どんなに愛があっても、価値観のズレや日々の積み重ねは、じわじわと心をすり減らしてしまうものですよね。
まとめ
内田有紀さんは離婚を経て芸能界に復帰し、今も変わらぬ美しさと実力で女優として活躍中!
あのキリッとした存在感、見ているだけで惹き込まれちゃいますよね。
一方の吉岡秀隆さんも、変わらず演技派俳優として第一線を走り続けています。
ふたりが再び共演するような場面は今のところありませんが、それぞれが自分の道をしっかり歩んでいる姿に、応援したくなる気持ちが高まります!
人生いろいろあるけれど、お互いにとって大切な時間だったことは間違いないはず。
これからも、それぞれのフィールドでますます輝いていってほしいですね!





