2002年12月、内田有紀さんは俳優の吉岡秀隆さんと結婚しました。
しかし二人の結婚生活は3年で幕を閉じています。
何故、離婚してしまったのでしょうか。
今回は、内田有紀さんと吉岡秀隆さんの馴れ初めから離婚まで調べてみました。
内田有紀の元旦那は吉岡秀隆
今月の「キネマ旬報」吉岡秀隆さんロングインタビュー、写真が素敵。 pic.twitter.com/e3b6H2brzs
— Shinichi Ando (@andys_room) March 22, 2019
内田有紀さんの元夫は、俳優の吉岡秀隆さんです。
吉岡秀隆さんは、5歳の時にテレビ時代劇『大江戸捜査網』でデビュー、1981年の『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』から第50作まで寅次郎の甥・諏訪満男役でレギュラー出演、さらに同年から2002年まで『北の国から』に黒板純役でレギュラー出演したことで知名度を上げました。
2003年には『Dr.コトー診療所』で主演を務め、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しています。
内田有紀と吉岡秀隆の馴れ初め
(´-`).。oO(内田有紀も吉岡秀隆と結婚した時、クラリスのウエディングドレス着てたなあ… pic.twitter.com/5YtrcZstEP
— ピコ・大東洋ヴィヒ太 (@picodvaccino) January 16, 2015
内田有紀さんと吉岡秀隆さんの出会いは、『北の国から 2002遺言』での共演でした。
内田有紀さんは吉岡秀隆さんの恋人役を演じ、作品の中でも結婚していることから、当時は「ドラマで結婚した二人が現実世界でも結婚した」と大きな話題になったのです。
吉岡秀隆さんは結婚会見の中で「ドラマ撮影当時に同じ宿に泊まり、同じものを食べて、内田さんは壁のない人だと思った」 と話し、内田有紀さんも「作品の中で結ばれるので一生懸命彼(吉岡秀隆さん)のことを見てきて、役というより、気が付いたら…」と語っていました。
1年程の交際を経てゴールインした二人は、北海道の富良野で結婚式を挙げています。
結婚式をプロデュースしたのは『北の国から』を手掛けた倉本聰さんで、内田有紀さんの「雪の中でウエディングドレスを着たい」という願いを叶えるために吉岡秀隆さんが倉本聰さんに相談、倉本聰さんが「プロデュースしよう」と言ってくれたのだそうですよ。
内田有紀と吉岡秀隆に子供はいた?
内田有紀さんと吉岡秀隆さんの間に子供はいません。
結婚生活が3年で終わってしまったこと、内田有紀さんは専業主婦だったものの、当時の吉岡秀隆さんはドラマや映画に引っ張りだこだったこともあり、子供を作る余裕がなかったのかもしれませんね。
内田有紀と吉岡秀隆が離婚した理由
『北の国から 2002遺言』(後編)
— ウメちゃん🐶【BSフジ公式】 (@Ume_bsfuji) March 19, 2017
20時~放送❗
いよいよ完結。五郎は新吉に薦められ“遺言”を書くことになるわけで…
原作・脚本:倉本聰
音楽:さだまさし
田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 宮沢りえ 内田有紀https://t.co/4CUKpZUphJ
#北の国から pic.twitter.com/XKhJReFfFV
2005年12月、内田有紀さんと吉岡秀隆さんは離婚しました。
離婚理由は公表されていませんが、すれ違いが原因と言われています。
内田有紀さんは結婚時に芸能界を引退しており、専業主婦でした。
芸能界を引退したのは、当時内田有紀さんが所属していた事務所とトラブルがあったこと、さらに吉岡秀隆さんが内田有紀さんに専業主婦を望んでいたためだったそうです。
しかし専業主婦で時間に余裕がある内田有紀さんとは反対に、吉岡秀隆さんは撮影で地方に泊まり込むことも多く、毎日家に帰ってくるという状況ではありませんでした。
内田有紀さんは毎日家に一人きりという孤独に耐えられず、家を飛び出してしまったようです。
他にもネット上では「吉岡秀隆さんのDVがあった」、「吉岡秀隆さんの独占欲やこだわりが強かった」などという噂もあります。
どこまでが本当かは分かりませんが、離婚後に倉本聰さんは「仲の良い夫婦だと思っていた」と語っていたことがあり、内田有紀さんは周りに相談できず、一人で抱え込んでしまった結果、突然家を飛び出すほどの限界を迎えてしまったのかもしれません。
まとめ
内田有紀さんは離婚後、芸能界に復帰し、今も女優として活動しています。
吉岡秀隆さんとの共演はありませんが、それぞれの道でお互い頑張ってほしいですね。
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