「神野三鈴さんって結婚してたの?」と驚いた方も多いかもしれません。
舞台や映像作品で存在感を放ち続ける神野さんのパートナーは、なんと世界的ジャズピアニストの小曽根真さん。
実は、ジャンルを超えて活躍するふたりの結婚には、意外な接点と深い縁があるようです。
プライベートではあまり多くを語らない神野さんですが、夫婦の出会いや馴れ初め、そして子供はいるのかなど、その素顔に触れてみたくなる人も多いのではないでしょうか。
また、自宅の場所や実家の家族構成、兄弟姉妹との関係など、神野三鈴さんのルーツにも注目が集まっています。
この記事では、そんな神野三鈴さんの家族にまつわるエピソードを、じっくりと深掘りしていきます。
神野三鈴の旦那は小曽根真!
3月25日はジャズピアニスト小曽根真さんの61才の誕生日です。
— ふみ (@wtnb71350) March 25, 2022
12才のときオスカーピーターソントリオを聴いてジャズに目覚めました。
NYバークリー音楽大学卒。
ボズ・スキャッグス/小曽根(編):We’re all alone ↓https://t.co/qlvLG9lczG#眠りのための優しいピアノ曲Disc26 #小曽根真 pic.twitter.com/KQ0hDLDARk
神野三鈴さんの夫は、世界的に活躍するジャズピアニストの小曽根真さんです。
ふたりは1995年に結婚しており、公私ともに芸術的な空気をまとったご夫婦として知られています。
小曽根真さんは、音楽一家に生まれ育ちました。
お父さんの小曽根実さんも著名なジャズ・ミュージシャンで、ピアノやハモンドオルガンの名手として長年活躍してきた存在です。
そんな環境のなか、小曽根真さんはわずか5歳でピアノを始め、15歳にしてプロとして音楽活動をスタート。
類まれな才能と早熟なセンスを備えていたことがうかがえます。
そして1983年、小曽根真さんが21歳のとき、アメリカ・ニューヨークの名門カーネギー・ホールでソロ・ピアノ・リサイタルを開催。
その場に偶然訪れていた音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズさんの目に留まり、アメリカCBSとの契約が決定します。
日本人としては初の快挙となるこの専属契約により、デビューアルバム『OZONE』が世界に向けてリリースされ、一気に国際的な舞台へと羽ばたきました。
その後も活動の幅は広がり、2003年にはヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートンさんとの共作アルバム『ヴァーチュオーシ』が第45回グラミー賞にノミネート。
ジャズとクラシックの枠を超えた表現力が評価され、「ベスト・クラシカル・クロスオーバー・アルバム」部門に名を連ねることとなりました。
さらに2017年には、シンガポールのエスプラネード・コンサートホールでシンガポール交響楽団と共にガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』を公演。
このように、小曽根真さんは長年にわたり国境を越えて活躍してきたアーティストです。
そんな小曽根真さんと神野三鈴さんがどのような経緯で結婚に至ったのか、その背景には音楽と演劇という芸術同士の共鳴があったのではと想像する声も少なくありません。
それぞれが表現の世界で第一線を走り続けている点にも、深い信頼関係と理解が感じられます。
神野三鈴と小曽根真の馴れ初め
こちらは、”相棒”の神野三鈴さんの受賞を喜ぶ小曽根真とのツーショット。受賞おめでとうございます! pic.twitter.com/XwRrg2sh
— KAJIMOTO (@Kajimoto_News) December 20, 2012
神野三鈴さんと小曽根真さんが出会ったのは、阪神・淡路大震災の復興支援のために開かれたチャリティーコンサートがきっかけでした。
このコンサートは神野三鈴さんが自ら企画したもので、多くのミュージシャンに出演の依頼をしていたそうです。
そんな中で唯一、「名前なんて出なくていいから」と、純粋に協力の意思を示してくれたのが小曽根真さんでした。
それまで面識がなかったふたりですが、神野三鈴さんは初対面の瞬間に「この人と結婚するんだ」と直感したといいます。
まるで運命に導かれたような出会いだったことが伝わってきます。そして実際に、出会いからわずか3ヶ月後には結婚に至りました。
ただ、ふたりの結婚は祝福一色ではありませんでした。
当時、小曽根真さんの日本での知名度はまだ高くなく、音楽活動の方向性に悩みも抱えていた時期だったといいます。
加えて、両家の顔合わせもないままのスピード婚だったことから、周囲の関係者からは強い反対の声も上がっていたそうです。
結婚後もしばらくは苦労が続きました。
小曽根真さんは音楽活動に行き詰まりを感じていたようで、コンサートから帰ってきてはお酒に頼り、気持ちのやり場をなくしていた時期もあったとされています。
そんな状況でも神野三鈴さんは小曽根真さんを責めず、むしろ支える言葉をかけ続けていたそうです。
転機となったのは、ヴィブラフォン奏者ゲイリー・バートンさんのツアーに参加してヨーロッパを巡っていた頃のこと。
思うように演奏できず、音楽が苦しく感じられていた小曽根真さんに対して、神野三鈴さんは「一度、思いっきり弾いてみたら?それで怒られてクビになっても仕方ないじゃない」と背中を押したといいます。
その言葉に勇気をもらい、イタリア・ウンブリアでの公演で小曽根真さんが思い切りソロを披露したところ、観客の反応は熱狂的なものでした。
その瞬間、「これでいいんだ」と自分の音楽の軸を掴むことができたと語られています。
神野三鈴さんと小曽根真さんの関係は、ただの夫婦という枠を超えた、深い信頼と支え合いの絆に満ちています。
困難な時期を共に乗り越え、互いの芸術表現を尊重しながら歩んできたふたりのエピソードは、多くの人に勇気を与えるものと言えるでしょう。
神野三鈴の子供
神野三鈴さんと小曽根真さんの間にお子さんがいるかどうかを調べてみたところ、これまでのインタビューや公のプロフィールなどに、子育てに関する具体的な発言や記録は見つかっていません。
公に語られていないという点から考えても、おふたりに実子がいない可能性が高いと見られています。
一方で、神野三鈴さんと小曽根真さんは現在、3匹の猫と一緒に暮らしていることがわかっています。
名前は「おーちゃん」「めいちゃん」「ゆっくりちゃん」。それぞれ個性的な名前がつけられており、大切に育てられている様子がうかがえます。
インタビューなどでは、猫たちと過ごす日常が何気ない癒しになっていることも語られており、芸術家として多忙な日々を送る中で、動物との暮らしが心の支えになっているのかもしれません。
人によって家族の形はさまざまですが、神野三鈴さんと小曽根真さんにとっては、この3匹の猫がまさに“家族”そのものなのでしょう。
また、長年にわたってそれぞれの分野で第一線を走り続けているおふたりにとって、作品作りや公演活動が人生の中心にあることも想像できます。
そうした背景も含めて、現在のライフスタイルが自然と今の形に落ち着いたのかもしれません。
子供に関する情報がないからといって、その選択に何か特別な理由があるとは限りません。
ただ、猫たちとの穏やかな日々を大切にしている様子からは、静かで豊かな家庭の雰囲気が伝わってきます。
家庭の在り方は一つではないということを、神野三鈴さんと小曽根真さんの暮らしぶりがさりげなく教えてくれるようです。
神野三鈴の自宅は鎌倉?
神野三鈴さんと小曽根真さんは、神奈川県鎌倉市で暮らしていることが知られています。
古都の風情と豊かな自然に囲まれた鎌倉という土地を選んだのは、静かで落ち着いた環境を大切にしているおふたりらしい選択といえるかもしれません。
現在のお住まいは、東日本大震災が起きた2011年の年に建てられた一軒家だそうです。
特徴的なのは、その建材選びにまでこだわりが込められている点。
床材には、当時風評被害で出荷が困難になっていた福島県産の木材をあえて使用し、復興支援の思いを込めた家づくりを実現させています。
また、リビングには大きなグランドピアノが置かれており、そこが生活の中心になっているとのこと。
小曽根真さんが音楽家として日々向き合う空間であり、神野三鈴さんにとっても創作の息づかいを感じられる場所なのかもしれません。
住まいというより「舞台裏」とも呼べるような、二人にとっての表現の場でもあるのでしょう。
神野三鈴さんはあるインタビューで、「自然のなかに間借りしているみたいな家にしたかったんです」と語っています。
この一言からも、住まいに対する姿勢や価値観が垣間見えます。
大きく主張するのではなく、自然に寄り添いながら生きる。
その静かな佇まいは、神野三鈴さんの演技や立ち姿とも重なるような印象を与えます。
こうしたエピソードから、鎌倉での暮らしが単なる居住地ではなく、ふたりの思想や生き方を象徴する場所になっていることが感じ取れます。
都市の喧騒から離れ、自然と調和した空間で自分たちの時間を丁寧に重ねていく——そんな暮らしが、今の神野三鈴さんと小曽根真さんの日常に根づいているようです。
神野三鈴の実家や両親
神野三鈴さんの出身地は、自然と歴史が調和する神奈川県鎌倉市です。
育った環境に関する詳細な情報は多くありませんが、その静かな佇まいと深みのある表現力から、幼少期から豊かな感性を育んできたことがうかがえます。
ご実家の正確な住所や詳細は公にはされておらず、プライバシーへの配慮からか、家族に関する情報も最小限にとどまっています。
ご両親も一般の方であるため、氏名や写真などの情報はこれまで公開されていません。
そんな中でも印象深いのは、神野三鈴さんが語るお母さんとのエピソードです。
かつてインタビューで「お母さんから“いつも本物だけを見なさい”と言われて育った」と話していたことがありました。
その言葉には続きがあり、「偽物と本物を並べて見分けるのではなく、あなたの心が震えたら、それが本物だよ」と教えられたそうです。
この教えは、神野三鈴さんの芝居や舞台に対する姿勢、そして人間としての在り方にも深く影響を与えているように感じられます。
また、お母さんとの絆は深く、神野三鈴さんが小曽根真さんとニューヨークで暮らし始めた頃、お母さんが急病で倒れてしまいます。
それをきっかけに、神野三鈴さんは13年間もの間、ニューヨークと日本を往復しながらお母さんの介護を続けていたといいます。
女優として第一線で活躍しながら、家族のそばに居続けようとする姿勢には、決して表には出さない強さと愛情がにじみます。
華やかなキャリアの陰で、日々の生活と向き合いながら人としての深みを重ねてきた時間が、いまの神野三鈴さんの表現に奥行きを与えているのかもしれません。
ご両親の詳細なプロフィールは明かされていないものの、少なくともお母さんから受け継がれた言葉とまなざしが、神野三鈴さんの原点としてしっかりと息づいていることは間違いありません。
静かで確かな愛情の中で育まれた原風景が、今も女優としての芯を支え続けているように感じられます。
神野三鈴の兄はナレーターの假野剛彦
#6月4日は假野剛彦さんのお誕生日
— アニメと電車が大好きな荒ちゃん (@JRE2334001) June 3, 2021
本日、6月4日はナレーターでDJの假野剛彦さんのお誕生日です。おめでとうございます。 pic.twitter.com/By8Xcj1gSP
神野三鈴さんには、同じく声の世界で活躍している兄・假野剛彦(かりのたけひこ)さんがいます。
名前は広く知られていなくても、実は耳にしたことがあるという方は多いかもしれません。
假野剛彦さんは、ナレーターやDJとして活動しており、スカパー!のサッカー中継や、アーケードゲーム『WORLD CLUB Champion Football(WCCF)』シリーズの実況など、多方面で声の仕事を担当しています。
特にWCCFでは、実況と解説がリアルな試合さながらに展開されるため、その独特なテンポや臨場感を演出するナレーションは、多くのファンにとって印象に残る存在となっています。
また、特撮ファンの間ではよく知られているのが『仮面ライダー555』や『仮面ライダーウィザード』のドライバー音声です。
変身ベルトなどの音声ガジェットは、シリーズにおける重要な演出要素のひとつであり、假野剛彦さんの力強くも印象的な声は、作品の世界観を支える要となっていました。
神野三鈴さんと假野剛彦さん、それぞれ分野は異なりますが、どちらも「声」や「表現」に携わる道を選んでいる点に、何か通じるものを感じさせます。
兄妹ともに、人の心に届く表現を大切にし、それぞれの現場で信頼を得ているというのは、なかなか特別なことかもしれません。
家族について語る機会が多くない神野三鈴さんですが、表には出ないところで、互いに刺激を与え合う存在であることは想像に難くありません。
演劇とナレーション、それぞれの道で長く活躍している兄妹の背景には、きっと共通する価値観や感性があるのだと感じさせられます。
まとめ
神野三鈴さんと小曽根真さんの出会いから結婚、そして現在の生活や家族との関係までを見てきました。
芸術家同士として深くつながり合いながら、困難な時期も支え合い、少しずつ自分たちのペースで人生を築いてきた姿がとても印象的でした。
実家のことや兄との関係など、普段はあまり表に出ることのない神野三鈴さんの素顔にも触れることができ、女優としての表現力の奥には、こうした豊かな人生経験があるのだと改めて感じさせられます。
猫たちとの暮らしや鎌倉での静かな生活も、華やかな舞台の裏にある日常として多くの方の関心を集めたのではないでしょうか。
今後の舞台や映像作品で、どのような表情を見せてくれるのかも楽しみですね。
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