俳優の笹野高史さんといえば、独特の存在感で幅広い作品に出演してきた名バイプレーヤーです。
たとえば時代劇や映画だけでなく、歌舞伎の舞台に立った経験もあり、芸の幅は実に多彩。
そんな笹野高史さんが若い頃、どんな青春時代を過ごし、どのような道を選んできたのか気になる人は多いでしょう。
学生時代の学校生活や進学先、芸能の道に進むまでの背景には、意外なエピソードも隠れています。
さらに現在の所属事務所や俳優としての収入事情、愛車にまつわる話まで知ると、人柄や生活感がぐっと身近に感じられるはずです。
笹野高史は若い頃から変わってない?
笹野高史さんには「若い頃から見た目があまり変わらない」という声が多く寄せられています。
SNSでも「昔からずっと”お爺ちゃん役”のイメージがある」といった感想が目立ち、代表作の一つである映画『ぼくらの七日間戦争』(1988年公開)でも、当時40歳前後ながら教頭先生役を演じ、すでに貫禄のある雰囲気を放っていました。
こうした”年齢以上に落ち着いた存在感”は、笹野高史さんならではの個性と言えるでしょう。
実際に若い頃の写真や舞台映像を振り返ると、確かに顔立ちはすっきりとしているのに、演じる役柄や醸し出す空気感のせいか「老け役」がしっくりと似合っているのが印象的です。
SNSでは「生まれながらにしてお爺ちゃんだったのでは?」と冗談交じりに語られることもありますが、そこには長年培った役者としての表現力が大きく影響していると考えられます。
若い姿のまま、あまり変わらない役者さんは多いけれど、笹野高史さんは、なんと云うか、知っている頃から、ずっとお爺ちゃんと云うか、逆の意味で変わらない役者さんだな、と思う
— ポンタ (@Pontax0418) February 3, 2022
笹野高史が昔の映画でもお爺ちゃん感があって、もしかしたら生まれながらにしてお爺ちゃんなのでは?と思って調べてみたら、ちゃんと若い頃あった。35〜40歳くらい?
— 水江未来 (@MIRAI_MIZUE) January 23, 2020
「ぼくらの七日間戦争」の教頭役は当時40歳にして、お爺ちゃんみたいだった
笠智衆を継ぐ老け役かな? pic.twitter.com/5QFLIiGE5d
ってな訳で感想は他の方に任せて、思ったこと。
— 🐸森青蛙🐸 (@kaeruchan_55) August 21, 2020
笹野高史さん、若いぃぃぃぃ!
因みに役的には47才現役バリバリじゃあ! pic.twitter.com/MD7AyJLT2H
ちなみに、笹野高史さんが映画やドラマで重ねてきた”老け役”の数々は、故・笠智衆さんを思い起こさせるという意見も見られます。
日本映画の名脇役として知られる笠智衆さんの後を継ぐように、笹野高史さんも「親しみやすい老人像」を自然に体現し、多くの作品に欠かせない存在となっています。
また、近年でも舞台やバラエティで元気な姿を見せており、公式インタビューでも「役者に年齢制限はない。むしろ年を重ねることで深みが増す」と語っていました(https://www.shochiku.co.jp/)。
こうした発言からも分かるように、”変わらない外見”だけでなく、年齢に応じて役の幅を広げる姿勢がファンの支持を集めているのです。
今後も笹野高史さんは「若い頃から変わらない」と言われつつも、役柄によって新しい顔を見せてくれるでしょう。
その独特の持ち味こそが、長く第一線で活躍し続ける理由なのかもしれません。
笹野高史は歌舞伎にも出演している!
笹野高史さんは、歌舞伎役者の家系ではないものの、歌舞伎の舞台にも立ってきた経歴を持っています。
出身地・兵庫県淡路島にちなみ「淡路屋」という屋号を用いていますが、代々の役者家系というわけではなく、あくまで俳優としての活動の延長線上で歌舞伎と縁を結んだのが特徴です。
きっかけになったのは1994年に始まった『コクーン歌舞伎』で、中村勘三郎さんが「もっと幅広い世代に歌舞伎を楽しんでほしい」という思いから立ち上げた舞台でした。
【配信中】信州・まつもと大歌舞伎「登城行列」の模様を生配信中 http://t.co/WVEL0FirAV 出演: 中村勘九郎、中村七之助、尾上松也、片岡亀蔵、笹野高史、串田和美芸術監督他 pic.twitter.com/QSyMfthVfo
— Ustream 日本版(公式) (@Ustream_JP) July 20, 2014
現代的な演出や異分野の役者の参加を取り入れることで、新しい歌舞伎の可能性を切り開いた試みであり、そこで笹野高史さんも重要な役割を担うようになったのです。
この出演を機に、笹野高史さんは『平成中村座』などにも度々招かれ、歌舞伎の世界でも知られる存在となりました。
ちなみに記者会見では「民間からの参加です」とユーモアを交えて話していたこともあり、その飾らない人柄が歌舞伎ファンからも親しまれています。
俳優が歌舞伎の舞台に立つ例は決して多くありませんが、笹野高史さんは映像作品で培った存在感をそのまま歌舞伎に持ち込み、違和感なく溶け込んでいる点が高く評価されています。 近年もシアターコクーンや歌舞伎座の舞台に出演しており(松竹公式サイト https://www.shochiku.co.jp/)、ベテラン俳優として培った芝居の間合いと柔軟さは、伝統芸能と現代演劇の架け橋のような存在になっています。
こうした活動は「歌舞伎をより開かれた舞台にしたい」という故・中村勘三郎さんの思いを受け継ぐものとも言え、今後の再演や新作でも笹野高史さんの姿を目にする機会は増えていくと考えられています。
笹野高史の学歴
笹野高史さんの学歴を振り返ると、スポーツや音楽、そして演劇への関わりが自然につながっていることが分かります。
子どもの頃から人前に立つことを好み、学生時代の活動は後の俳優としての基盤を作っていきました。
笹野高史の出身小学校
笹野高史さんは、洲本市立第三小学校出身です。
幼少期から人前で表現するのが好きで、遠足のバスでは先生から「笹野、歌え」と声を掛けられ、マイクを渡されるのが恒例だったそうです。
こうした経験が、人前で演じることへの抵抗のなさにつながったと考えられています。
笹野高史の出身中学
小学校卒業後は、一宮町立一宮中学校(現・淡路市立一宮中学校)に進学しました。
中学時代は野球部に所属し、部活動に熱心に打ち込んでいたといわれています。
後年の芝居における体力的な基盤や、チームプレーの精神はこの頃に養われたのかもしれません。
笹野高史の出身高校
中学校卒業後は、兵庫県立洲本高等学校に進学しました。
現在の偏差値は55前後とされています。
高校時代は音楽部と陸上部を掛け持ちし、陸上部では短距離走や走り幅跳びに挑戦していました。
しかし腎臓と肝臓が弱く、練習中に血尿が出るほど体を酷使してしまい、最終的に医師からドクターストップがかかったといいます。
一方で音楽部ではテナーサックスを担当し、その演奏がきっかけで演劇部に誘われ、文化祭の劇に出演したこともありました。
ここで初めて「人前で芝居をする」体験を得ています。
笹野高史の出身大学
高校卒業後は、日本大学芸術学部に進学しました。
学科の偏差値はおおよそ50程度。
当初は俳優コースを希望していましたが、「馬鹿にされそうだから」との理由で監督コースを選んだというエピソードも残っています。
ただし大学生活は長く続かず、1年半で中退。
その後は一度就職を経験しながらも、俳優の道を志すようになりました。
笹野高史のプロフィールや経歴
淡路島の出身で、幼い頃から映画の世界に惹かれていた笹野高史さん。
実家は造り酒屋を営んでおり、父親が早くに亡くなった後、お母さんと兄たちとともに暮らすなかで、映画館に連れていかれる時間が彼の心に刻まれたと語っています。 (ステラnet | NHK財団が運営するネットメディア)
1968年には大学在学中に自由劇場にスタッフとして関わるようになりましたが、大学を中退した後、一度は船会社に就職して船員として働く日々もありました。
ですが「やはり俳優になりたい」という想いが消えず、船内でニュース番組を目にしたことを機に自由劇場主宰の串田和美さんに連絡を取り、1972年、舞台『ヴォイツェク』での初舞台出演を果たしました。(ウィキペディア)
【特典映像】⁰時夫役の笹野高史さんがスペシャルインタビューに登場!⁰「吉岡くんとの芝居はどんどん発展していってパーッと面白くなる。本当に楽しいんです」 pic.twitter.com/PqLms3k1hh
— 「北の国から」全話収録DVDマガジン (@kitanokunidvd) March 13, 2018
名前:笹野高史
生年月日:1948年6月22日
出身地:兵庫県
血液型:O型
身長:167cm
所属事務所:グランパパプロダクション
映画界には1983年公開の『ふしぎな國 日本』でデビュー後、以降は映画・ドラマともに多彩な役柄で活躍。
『男はつらいよ』シリーズや『釣りバカ日誌』シリーズへの出演を重ね、脇役ながら確かな存在感を築きました。
テレビではNHKの連続テレビ小説『はね駒』『わろてんか』、さらには大河ドラマ『新選組!』『風林火山』などにも顔を見せています。
2007年の映画『武士の一分』では、最優秀助演男優賞をはじめ複数の映画賞を受賞。
日本アカデミー賞などでの受賞歴は、彼が”名脇役”の地位を確立した象徴的な出来事です。
そして意外な側面として、2015年には特撮ドラマ『手裏剣戦隊ニンニンジャー』でレギュラー出演を果たし、翌2016年には第45話で「アカニンジャー」に変身。
戦隊シリーズ史上最年長変身者となったことは、ファンの間でも語り草になっています。(ウィキペディア)
最近の動きとしては、2025年9月公開の映画『沈黙の艦隊 北極海大海戦』で、内閣総理大臣・竹上登志雄役を務めています。
舞台あいさつでは「政治色の強い映画が、総裁選と重なってタイムリー」との言葉を残しており、作品と現実社会の接点に対する示唆も含まれた演技が注目を浴びました。 (nikkansports.com)
また、2025年1月には愛車をポルシェに乗り換えたことをSNSで公表。
ボディカラーを黒から白に変更し、「ポルシェ 911ターボS」に乗り換えたという情報もファンの間で話題を呼んでいます(車両本体価格は3000万円超との報道あり)。(クランクイン! – エンタメの「今」がわかる 映画&エンタメニュース)
笹野高史さんは、長年にわたって舞台・映像の両方で「存在感のある脇役」を演じつづけながら、意外なチャレンジも恐れない多面性を持っています。
これらのバックグラウンドと近年の動きを踏まえると、今後も俳優としての幅をさらに広げていくことが期待されるでしょう。
笹野高史の所属事務所
笹野高史さんは「グランパパプロダクション」に所属しています。
この事務所は俳優の津川雅彦さんが立ち上げ、経営にも深く関わっていたことで知られています。
津川雅彦さんの逝去後も事務所は継続されており、現在は岩下志麻さん、辻本祐樹さん、松原智恵子さんなど、実力派俳優たちが在籍しています。
映画やドラマだけでなく舞台でも存在感を放つ俳優が多く、業界内では「演技力重視の事務所」として認知されているのが特徴です。
ちなみに「グランパパプロダクション」という名称は、津川雅彦さんが自身の映画監督名義「マキノ雅彦」と同じく”家族”を大切にする想いを込めてつけたと言われています。
笹野高史さんも長年にわたりこの事務所に所属し、映画・ドラマ・舞台と幅広いジャンルで活動を続けています。
事務所公式サイトでも、最新の出演情報や過去の代表作が紹介されており、近年は映画『沈黙の艦隊 北極海大海戦』(2025年公開)など大作への出演もアナウンスされています(グランパパプロダクション公式)。
芸能事務所によってはタレント活動を中心に展開するところもありますが、グランパパプロダクションはあくまで「俳優としてのキャリアを磨く場」であることが大きな特徴です。
笹野高史さんが脇役でも強烈な存在感を放ち続けられるのは、こうした事務所の方針と環境の支えがあってこそだと考えられます。
笹野高史の年収
笹野高史さんの年収は公式に公表されていません。
ただ、長年にわたって映画・ドラマ・舞台と幅広く出演を続けていることを考えると、一般的な俳優の平均を大きく上回っていると推測されています。
とくに脇役や助演ポジションであっても作品に欠かせない存在感を放つタイプの俳優は、安定してオファーが続くため収入も継続的に確保できるのが特徴です。
映画出演のギャラは主演級と比べれば抑えられますが、シリーズ作品や大河ドラマ・朝ドラといったNHK制作の作品は出演料が積み重なりやすく、舞台やCM、特撮作品への出演も加わることで収益の幅が広がります。
実際に笹野高史さんは2007年の『武士の一分』で日本アカデミー賞を受賞して以降、映画界でも高い評価を受け続けており、ギャラ水準も年齢とキャリアに比例して上がっていると考えられます。
また、2015年の『手裏剣戦隊ニンニンジャー』や2025年公開の『沈黙の艦隊 北極海大海戦』など、大手制作会社の作品にレギュラーや主要キャストとして参加している点も見逃せません。
こうした大作への出演は出演料が比較的高額になる傾向があり、一定の生活水準を安定させる要因となっています。
SNS上では「芸歴50年以上のベテラン俳優で、朝ドラや大河に何度も出演しているなら、年収は数千万円規模ではないか」といった推測の声も見られます。
ただしこれはあくまで推定であり、事務所との契約形態や舞台活動の比重によっても変動します。
とはいえ、多忙なスケジュールと近年の大作出演を踏まえると、現在も俳優として十分に高い収入を得ていることは間違いなさそうです。
笹野高史の愛車
笹野高史さんは、かつて「ポルシェ 911 カレラS カブリオレ」に乗っていたことで知られています。
当初はシルバーを選ぶつもりだったそうですが、撮影で共演した木村拓哉さんから「年を取ったら派手な色に乗らないと」と勧められ、最終的にイエローを選んだというエピソードがあります。
明るいボディカラーのスポーツカーに颯爽と乗る姿は、ファンの間でも「似合っている」と話題になりました。
富士山は、🗻いいなぁ〜。#富士山 pic.twitter.com/QuS8RMxCxo
— 笹野高史 (@sasano61) August 19, 2022
ただし、新型コロナウイルスの影響で仕事が減った時期には「車を運転すると疲れてしまう」と感じるようになり、買い替えを決断。
シルバー系のモデルに替えたものの、どうにも自分に馴染まず、わずか1か月で手放したと明かしています。
こうした選択からも、笹野高史さんが”車はただの移動手段ではなく、気分を高める存在”として大切にしていることがうかがえます。
その後の愛車については長らく不明とされていましたが、2025年1月には「ポルシェ 911 ターボS」に乗り換えたことが報じられています。
ボディカラーは黒から白に変更し、車両価格は3000万円を超える高級モデル。
笹野高史さんが70代後半になってもなおスポーツカーを選び続ける姿勢には、「かっこいい」「憧れる」といった声が多く寄せられました(クランクイン! 2025年1月記事より)。
愛車の選び方ひとつをとっても、笹野高史さんの人生観や美学が表れています。
舞台やスクリーンでの存在感と同じように、日常生活でも”自分らしさ”を大切にしていることが伝わってきますね。
まとめ
笹野高史さんの歩みを振り返ると、学生時代から培った表現力や舞台経験が、その後の俳優人生を支える土台になっていることが分かります。
自由劇場での原点から映画・ドラマ・舞台、さらには歌舞伎や特撮ヒーロー作品まで、ジャンルを問わずに存在感を放ってきました。
『武士の一分』での受賞や大河・朝ドラでの名演、そして近年の大作出演やポルシェを楽しむ日常まで、キャリアの幅広さと人間味が魅力です。
年齢を重ねても新しい挑戦を恐れない姿勢は、多くの人に勇気を与えてくれるもの。
これからも変わらぬ存在感と新しい一面を見せてくれるはずで、作品を通じてどんな表情を見せてくれるのか楽しみにしている人は少なくないでしょう。
